氷艶ってさ・・・完全に私見なので悪しからず(続く、かも) | 気まぐれデトックス

気まぐれデトックス

基本、デトックス目的のブログです。
アメンバーの承認は、直接の知人、もしくは高橋大輔選手ONLYファンとわかるプロフィール設定をしておられる方のみとさせていただきます。

「氷艶2024ー十字星のキセキー」について、つらつらと考え続けています。

まあ色々ありましたけど、そりゃあ楽しかったんですよ。
生中継の録画を観ても、涙ぽろぽろこぼれるんですよ。
充実した、イキイキした表情の大輔さん観てると、「よかったねえ、よかったねえ」と、それこそ親戚のおばちゃん気分で(←キモチ悪いからやめなはれ)すっかり嬉しくなっちゃうんですよ。


でも、どっかで「なんか、『氷艶』観た、って気がしないんだよなあ」と小さく呟いている自分がいるんです。
なんなんだろう?
いっぱい楽しんでおいて、どっかで何かが引っかかってる。

そんな、私自身の心を読み解きたい!というだけの、なんとも自己チューな勝手な考察です。


ですから、「氷艶2024ー十字星のキセキー」について、キャッキャウフフ💛する以外の内容は見たくない、という方は、ここで回れ右していただけるとありがたいです。

よろしくお願いします。



というわけで、あけます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて。

 

何が「違う」のかを考えるなら、過去の「氷艶」と見比べるのが、一番手っ取り早い。

という訳で、なんとか時間ひねり出して。

「十字星のキセキ」と「月光かりの如く」をぶっ通しで観てみました。

本当は破沙羅~月光かり~十字星と続けて観たかったけれども、そうすると7時間くらいTV前に座りっぱなしになっちゃいますからね(;^_^Aさすがに、主婦がソレはやれません。

それに、比較するなら、一応でもベースは同一人物の発想による両作の、片方はなんの引っかかりもなく、片方は「氷艶・・・ん?」と感じてしまったのか、を考察した方がわかりやすかろうと。

 

あと、私が「破沙羅」好きすぎる、ってのもあります。

「破沙羅」初演を観た時のワクワク感、高揚感、「ああ、今自分はちょっと普通じゃ体験できない『場』にいるんだ!」というあの感覚は、たぶん、もう二度とは味わえない。未知なるものとの遭遇だったから。

「氷艶」シリーズは「最高級闇鍋」であることは、全作共通してますが、「破沙羅」は闇鍋の最たるもので、開幕するまで、もう、ほんっとになぁんにもわからなかった。

知っているのはこの世にただひとり、幸四郎さんだけ。いや、幸四郎さんすら、実際にお客様が入って幕が上がるまで、どんなものが生まれ出でるのか、本当にはわかってなかったんじゃなかろうか。

掛け値なしに驚きと感動の連続。

えっ?そんなところから登場する?

えっ?そんな重厚華麗な衣裳で滑れるの?マジ??
えっ?氷の上に波が、火山が、桜吹雪が、リアルに見える!!
えっ?氷上で歌舞伎の踊り?宙乗り??毛振りまで???
ええっ?歌舞伎の音楽で何?!その斬新な踊り???カッコよすぎーーーーー!!!!
ええっ?蛇が、大蛇が!!リアルに氷上で動いてるっ!!
えええっ?本物の和太鼓出てきたっ!!なんだこの超絶本格的な和太鼓っ!!すげえええええっ!!!

うわーーーー、幸四郎さん、氷上で六方踏んでるじゃないですかっ!ええええ?宙返りまで??!!
氷上の殺陣ってこんな迫力??!!かっけえええええええ!!!

・・・こうして思い出してさえ、血がたぎる。きりがない。

という訳で、客観視不可につき、比較対象にならんのです。

 

話がそれましたね(;^_^A

 

 

 

1.絵面、というかヴィジュアル面で、ゴージャス感が足りない

これはね、なんといってもチーム・ラボが外れたことが大きい

あの真っ白な銀盤をキャンバスに見立てれば、どんな場面転換も即応!異空間も一瞬で描出できる!と最初に思いついたのは、やっぱり幸四郎さんだったのでしょうか。

その着想に、まずは最大限の敬意を。貴方天才です、ホントに。

 

で、さあ?せっかく破沙羅~月光かり~LUXEと積み上げてきた、トップスケーターの豪速と連動できるプロジェクションマッピング技術の精華を、わざわざ切り捨てたのは、いったい誰やねん?(亞門さんらしいけどさ)

今回、私は四公演ともスタンド席だったんですが、「投影の魅力を満喫するならスタンドよねえ💛」って、めっちゃ楽しみにしとったんですよ。

それが、ほとんど銀盤は真っ白なまま。あれは、超ガッカリしましたわ。

いや、創る立場で、細かい変更を間際にどしどし出したい人にとっては、チーム・ラボの映像制作に縛られる、っていう不満は、「月光かり」の時からあったのかもしれないですよ?
「LUXE」のメイキングから、最後の見せ場・光の王子のフェニックスの場の投影は、スケジュール逆算して真っ先に決めて、その後は現場の微調整しか無理らしいということが、伺い知れましたからね。

でもそれは、あれだけ芸術的で精緻で迫力ある映像表現とのバーターでしょうよ。

今回の投影も、綺麗だったり愛らしかったりはしたけれども、ごめん、あれなら、他の舞台やアイスショーでも観れる。

あの映像表現と演者の幸福なマリアージュを体験してしまった身としては、どうしたってショボく見えてしまうんですよ。

「月光かり」の狩場や歌合や葬儀や海戦のシーンを改めて観て、ああ、やっぱり、「氷艶」なら、このレベルのゴージャスな映像演出が観たかった、って私は思わずにはいられなかったんです。

 

という訳で、お願いです、USMのお偉い方。

次回「氷艶」においては、チーム・ラボさんの復活を、何卒、よしなにm(__)m

 

 

それと、衣裳ね。

過去にいくつも「衣裳展」記事書いてるから、前からこのブログ読んでくださってる方なら、筆者が衣裳にはこだわりが強いことはご承知かと存じます(;^_^A

特に「月光かり」は細部まで繊細に丁寧に創られた舞台映えのする美しい衣裳ばかりだったので、その落差に愕然としてしまったんですよ。

 

「十字星」ファンから石投げられるの覚悟で書くけど、お洒落番長でセンス抜群の高橋大輔に、あんなだっせー衣裳着せないでくれんかね?ておもたよ。

費用の問題な筈ないですよね?

たぶん遥かに低予算だった筈の「滑走屋」でも、あれだけ舞台映えしスケーターが美しくかっこよく見える素敵な衣裳だったんだから。

ビジュアル発表された時から微妙にいやな予感はあったんですけど、一番素敵なのがコロスの銀衣裳(個人的見解です、もちろん)って、どーなんすか。

とりわけ「生前」のカケルの衣裳のダサさ、あれはねーですわ。

いや、現代の普通の青年、それも鉱物学者ゆえ、身なりになんかさして気を配らない人って設定なんかもしれんけどさ、ひっじょーにスタイルが悪く見える色と素材感とバランスで、四回観て四回とも「なんて服着てんのよおお(TOT)」と内心密かに七転八倒。

ユキだって、バレエダンサーでしょ?ダンサーさんって、概ねお洒落でセンスいい人多いですよ?自分を美しく見せるプロだからだと思うけれど。

なんぼ衣裳の早替えが必要でも、重ねてもボディラインを美しく見せる衣裳って、いくらも考えられるだろうと私は思います。せっかくほっそりスタイルのよい哉中ちゃんが、もったいない。

堂本教子さんの早すぎる逝去が、本当に、本当に惜しまれます(T_T)

 

 

2.創りがそもそも「主演=高橋大輔」になっていない

これTwitter上でちょこっと書いたらさー、「そもそも過去の『氷艶』でも、最初からずっと大輔さんが主役だった訳じゃない」などという謎のエアリプもらっちゃったんですけどね。

 

だって今作は「主演:高橋大輔」って最初っから謳ってるじゃないですか。

なのに、作品の創りはそうなっていないから、変だ、これじゃおかしい、って言ってるんですよ。

そして、前記事でも書いた通り、私は、今回の降板騒動の火種はこれだったんじゃないかと踏んでいます。

そんなことなかったよ?主役だったよ?と仰る方は多かろうと思いますが、それは大輔さんがフルスロットルで演技したからです。あと、初演をご覧になっていない方にそう仰る方が多い印象ですね。初演こそ、「創り」が露骨に見えるものです。二日目以降は、大輔さんが力ワザでねじ伏せた感じ。

本来、作品の創りとしては、全力フルスロットルで演じなければ主役が主役に見えないなんて、おかしい

正直、大した役者じゃなくても、舞台の創りで真ん中に立っていられる人だって、まあまあいますよ、この世界(;^_^A

「大輔さんの出番メッチャ多いじゃん!過去イチ頑張ってるのに『主役に見えない』なんて失礼な!」って趣旨のこと書いてる人もいらしたけれども、まさにそれが問題なんです。

マジでカケル=大輔さん出ずっぱりですよ。超絶大変ですよ。なのに、作品の上で主役らしい扱い受けてない。

氷上にいる時間で言えば、トキオ=拓朗さんの方が長いらしいけれども、表に出ている時間の長短が主役を決める訳じゃない。

 

「月光かり」では、大輔源氏が登場しないシーンはいくらもあります。子役と入れ替わりで登場するまでにまあまあ時間もかけてる(それこそ主役らしく、来たぞ来たぞー!ってね)し、弘徽殿&長道だけのシーンや、藤壺様のソロ、海賊衆だけ、民衆だけ、のシーンもある。

それでも、これが「光源氏の物語」として揺るぎがないのは、物語が「光源氏の生涯」にずっと焦点を絞っているから。柚希さんや平原さんのような、普段から単独で主役張っているスターが輝いていても、基本的に光源氏が中央に立ち、スポットライトを浴びる創りになっているから、その芯がブレない。

 

一方、「十字星」はといえば、これはどう見たって「トキオの回復の物語」です。

カケルはとても重要な役割を果たす登場人物だけれども、「自ら命を絶とうとしたトキオがカケルによって魂を救済される話」であることは揺るがない

それは、立ち位置にも現れています。

カケルは、最後の締めくくりのゆずの歌に合わせたスケートシーン以外、基本的に単独で登場する場面がない。スポットライトを浴びている時も、必ず誰かと(主にトキオと)一緒にいるんです。

一方、トキオには単独、もしくはモブキャラの中央に一人、というシーンが複数存在します。

なんなら、真ん中にトキオがいて、カケルは他のサブキャラやモブキャラと一緒に、その周囲を踊っている。

 

本当に、プロデューサーさんに直接訊けるもんなら訊いてみたいです。「いったいいつ、主役が高橋大輔じゃなくなっていることに気づいたんですか?」とね。

 

おそらく、宮本亞門さん演出プランのままでいったら、もっとずっと「トキオが主役」だったでしょうね。

というのも、コトの経緯を時系列でたどると、殺陣指導に諸鍜治さんが加わったのと、演出協力にゆずの北川さんが加わったのは、亞門さんと小野田さんの降板が決まった後だからです。

想像ですが、カケルの見せ場を増やした、つまりブラックホールのシーンでの殺陣や、「十字星」の歌に合わせたスケーティングが追加されたのではないかと私は思います。

あの二つがなかったら、と想像してみてください。少しはご理解いただけるのでは?

その分、大輔さんは体力的にメチャメチャ大変なことになって、ぶっちゃけそれほど目新しさのない某いつもの振付ですら、「頑張れ、頑張れ」と応援されるほど、ギリギリの状態で滑ることになってしまった訳で。

 

だから、私は悔しいんです。

五年間待ちわびた「氷艶」で、当然看板通りに主役ポジションで、キラッキラに輝いている大輔さんが観られるものと思っていたから。

別に氷上ミュージカルにしてもいいけど、看板に偽りあり、は、ナイ。

菊之丞先生はじめとする「あとを丸投げ」された制作陣の創意工夫(と大輔さんの力ワザ)で、かろうじてなんとかなったことには、心から御礼を申し上げるし讃えるけれども、基本の枠組みが変えられない以上、負け戦にはならずとも圧倒的勝利にはならない訳で、それが歯がゆい。

 

題材が悪いとは思いません。

原作のカムパネルラ=カケルを主人公に物語を構成する方法は、それなりにあった筈なんです。

でも、おそらく、ゆずの楽曲を組み合わせて「銀河鉄道の夜」のミュージカルが創れる!という着想に夢中になってしまった創り手は、その着想をカタチにすることに全精力を傾けて、他の途を考えようとしなかった。

3月頃に放送された番宣での、宮本亞門さんのあの熱中っぷりを思い返せば、そういうことなんだと思われます。

彼には彼の、創り手としての譲れない想いがあったればこその決裂だったのでしょう。

でもね、古今東西、依頼主の注文意図を果たさない作品は、受け取り拒否されるもんなんです。

今じゃその絵が壁を飾っていれば重要な観光資源になるカラヴァッジョの宗教画だって、依頼主の教会から何度も受け取り拒否の憂き目をみているくらいです(;^ω^)

依頼主の所属の看板スターを主役に、という当然すぎるほど当然の条件を軽んじたら、そりゃ切られますよ、なんぼ世界的に有名な演出家でも。

 

高橋大輔なくして氷艶なし、と私は思います。

なぜなら、これだけマルチな「演じる」「踊る」「歌う」才能を兼ね備えたスケーターは、他に存在しないから。少なくともUSMには。

 

大輔ファンでさえ忘れている、あるいは理解していないことに今回気づいて驚いたんですが、「氷艶」が大輔さんの事務所であるUSM社の登録商標である以上、「氷艶」の主役が大輔さんか荒川さん以外になることはあり得ないんです。

商標登録って、別にものすごく難しい手続きってほどではないですが、まあ役所関連にありがちなめんどくささはあるもので、さして大きな会社ではない同社が、わざわざそんな手続きを踏んだということは、「氷艶」というブランドを大事に育てよう、同社の看板ともしよう、という意図があったんだと思われます。

18年続く「Friends on Ice」ですら、そんな扱い受けてないです。

そんな大事な自社ブランド使って、自社とは関係ない別な誰かを主役にしたショーを自社の費用で創作されたと考えてみてください。黙ってニコニコしてる方がおかしいでしょう?あり得ないでしょう?そういうもんです。

 

↓これは、特許庁の「特許情報プラットフォーム」に登録されている「氷艶」の情報です。参考までに。


 

いつものことながら、話が長くなっちゃったんで切り上げますが。

自分としては、「十字星のキセキ」を十分楽しんだことに偽りはないけれども、やっぱりどこかで「これって『氷艶』?」と感じている事情は、こんなところです。

 

以上、と一度結んだけれども、もうひとつあったな、と思い直し、もしかしたら、続きを書くかも?