セクシー田中さんのことを、連続投稿していますが(ドラマファンの私は、原作者の訃報が衝撃すぎて、考えることが多すぎて、悲しすぎて、何をどう、書いていいのか心の整理がつかなかった)・・・。
一般論ではなくて、具体的に書くことで、自分の衝撃、悲しさを、慰めているような感じです。
私、いいドラマを観るのも好きですが、いい小説を読むのも好きです。そして、好きになるのは理由があって、「設定・流れ」が好きなのと、「細部」が好きなのがあります。どっちも好みの場合もあります。
田中さんは、細部がとても好きです。まさに、神は細部に宿る。です。
その具体的なセリフが、俳優陣の演技とかみ合って、本当に感動的でした。
例えば、朱里に化粧セットをプレゼントする小西が「惚れ直したでしょ」と冗談めかして言ったとき、朱里が「うん。大好き」という場面。これはもう、朱里役のめるるが、本当にかわいすぎて、悶絶するほどでした。Xでも、そういう感想がたくさん見られました。
ドラマを観てから、原作を読んでも、どう改変されたかどうかは全然わかりませんでした。でも、原作者のブログによると、
「粘りに粘って加筆修正」
「やっとの思いでほぼ原作通りの1〜7話の脚本の完成にこぎつけ」
「私が準備したものを大幅に改変した脚本が8話〜10話まとめて提出」「大幅な改編がされたプロットや脚本が提出され、それを小学館サイドが、当初の約束通りにと日本テレビさんにお戻しするという作業が数回」
などとあります。
これは、相当にきついことだったと思います。
でも、なんとか、原作者が思う通りに仕上げたので、ドラマファンの私も、あとから原作を読んで、同じ感動を持ったのですね。
そう考えると、脚本家が書いた最初の脚本とは、どんなものだったのか非常に興味を持ちます。私が、一番知りたいのはそこです。日テレとか小学館とか脚本家の「説明」よりも、最初の脚本が知りたい。どんなにひどかったのか、それとも、そうではなかったのか。読まないと、原作者サイドからの言い分しかわからないので、脚本家の仕事は、批判できないです(脚本家のインスタ投稿という行動はよくないけれど)。
具体的に、原作者は、その脚本の何かダメだったかを箇条書きで指摘しています。
相当、腹に据えかねたのでしょう。
- 漫画で敢えてセオリーを外して描いた展開を、よくある王道の展開に変えられてしまう。
- 個性の強い各キャラクター、特に朱里・小西・進吾は原作から大きくかけ離れた別人のようなキャラクターに変更される。
- 性被害未遂
- アフターピル
- 男性の生きづらさ
- 小西と進吾の長い対話
原作通り、ドラマでも、十分にこれらの場面がありましたので、原作者は原作を守ってくれた、ということなんだと思っています。
朱里が、男からどんな目で見られてるか知ってるか、と進吾に言われた時、「そんなこと、ランドセル背負ってるころから知ってる」というセリフは、Xでも絶賛されていたし、小西と進吾の飲み会も、ほんとによかったもんね。
ただ、田中さんが朱里に紹介する、映画のセリフ「自分を助ける最良の人は自分だ」という場面に、とても感動したんですけれど、・・・今、これがどんなに皮肉かを、かみしめてしまいます。
原作者が、一人で抱えてしまい、自分を尊重できなかった現実を思うと、「自分を助ける最良の人は、自分だけでないよ、誰かに、助けを求めて、頼ればいいんだよ」っていうことだったんじゃないか・・・。