とりきちTagebuch

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ドイツ・ベルリンから鳥好きの とりきちが、
一緒に暮らす鳥達、家族、ドイツの鳥事情を日記につづります。


 
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イラストは、rinkoさん の作品です。

 

こんにちは、とりきちです。

 

今日のブログは長くなりますが、先日急逝したセキセイインコのブリッツィとの日々、私の思いを綴ります。

 

彼がこの世に存在した証として、

そして悲しむべきときにきちんと彼を悼み、涙を流し、前を向くためにも彼と過ごした日々を書き記したいと思います。

 

 

🔶出会い

 

息子ぴーが小学校2年生になった頃、息子はA君という同じクラスの男の子と仲良しになり、自然とA君のママとも話す機会が増えていきました。

 

互いの家を行き来する中で、A君の家にセキセイインコが1羽いることを知り、ママと意気投合して鳥の話で盛り上がるようになりました。

 

ただ、不思議なことに、私は肝心のセキセイインコを直接見る機会がなかなかありませんでした。それは、セキセイインコのケージが、いつもキッチンの棚の上のほうに置かれ、見えなかったからです。

 

油ものを使うキッチン。

空気もよどんでいます。

 

戸惑う私の様子に、ママから「場所を変えたくても狭くて置く場所がないのよ」との言葉がありました。

 

時々ケージを下ろして日光浴をさせたり、家族で遊ぶことはあったそうですが、手乗りではないと聞いていました。

 

その頃、そのセキセイインコが「ブリッツィ」という名前であることも、私はまだ知りませんでした。

 
 

🔶戸惑い

 

A君とは、家族ぐるみの付き合いに発展し、今でも仲良くお付き合いをしています。

 

2022年の冬、A君家族が広めの家に引っ越すことになりました。

 

手伝いをしに新居へお邪魔したとき、あのセキセイインコの鳴き声が聞こえ、私は手を止めて、聞こえる方向にふらっと吸い寄せられていきました。

 

ケージの中には青いセキセイインコ。

 

ケージにへばりついていました(止まり木はあります。空腹で訴えているようでした)。 

 

ケージには野鳥用のごはん、水は糞で緑色に濁っていました。

 

そのときの衝撃は忘れません。

 

野鳥用のごはんは、ヒマワリの種やとうもろこしでセキセイインコは食べることができません。

 

急いで水の容器を洗い、ママに優しく尋ねました。

 

「なぜ、野鳥用のごはんが入っているの?」と。

 

すると、「引っ越しで忙しく、セキセイインコ用のごはんを買いに行く時間がなく、近所で唯一手に入った野鳥用を入れた」とのことでした。

 

あからさまに非難することはできず、一度帰宅し、「おみやげ物だよー」と言いながら、セキセイインコ用のごはんと穂のおやつを改めて持参しました。

 

それから私は、このセキセイインコが気がかりで、数日おきに息子と一緒に、時にはひとりでA君の家を訪ねるようになったのです。

 

 

🔶行動 

 

新居で暮らすA君家族に、このセキセイインコはあまり大切にされていないことが明白でした。

 

名前はブリッツィ。

 

誰にも遊んでもらえず、A君の部屋の片隅にケージが置かれるようになりました。

 

ブリッツィに優しく声をかけながら、訪問のたびに、おやつやサプリメント、オモチャや用品を持ち込む日々が続きました。

 

ある日、A君が猫を飼いたいと両親にねだる様子を見て、ついに私の中で何かが動きました。警報(アラーム)です。

 

そして、A君のママに切り出しました。

 

「ブリッツィを休暇(ドイツ語でウアラウプ)と称して預かって、私の家の鳥たちと遊んでもらいたいんだけれど、どうかな?」

 

ママは快諾してくれ、1、2週間の約束で預かることになりました。

 

この時点では、あくまで『一時預かり』という形でした。

 

息子ぴーとA君の関係、そして私・とりきちとA君ママとの関係を維持する上で、あの時打てた最大限の策が、この「休暇」と称した保護だったのです。

 

 

🔶とりきち家へ 

 

ブリッツィが我が家にやってきた日々のことを、今でもよく覚えています。

 

独立したケージに入ってもらい、1週間、別の部屋で隔離しました。

 

やたらとレタスを気に入って夢中で食べていたほか(たぶん初めて食べた)、キビ穂もすごい勢いで食べていました。

 

怯えてはいないものの、手を指しのベただけでパニックで飛び回りました。

 

隔離期間中には、生まれて初めての健康診断も受けました。

 

健康状態は悪く、胃腸に問題があるうえ、呼吸器にもトラブルを抱えていました。夜はずっと、ヒューヒューという呼吸音が鳥部屋中に聞こえていたほどです。

 

治療を続け、隔離期間を終えて、お医者さまの許可を取った上で、とりきち家の鳥たちと、ついに合流することができました。

 

 

🔶ナビゲーター 

 

長い間一羽で暮らしていたブリッツィが、鳥社会に馴染むには時間と手助けが必要でした。

 

鳥たちは互いの存在を認識しているものの、なかなか近づこうとはしなかったからです。

 

そんな中、救世主とも言える存在となったのが、近所のカフェで保護され、とりきち家にやってきたカーミットでした。

 

 

 

カーミットはブリッツィのそばで語りかけながら、とりきち家で出されるごはんの食べ方、用品の使い方、遊び方に至るまでを教えているかのようでした。ブリッツィはそんなカーミットに心を開き、いつも一緒に行動するようになりました。

 

 

二羽の関係は一心同体といえるほどまでに発展し、最近では立場が逆転するほどにブリッツィはカーミットに心を許し、対等な関係を築くまでになりました。

 

 

鳥社会をそばで見守る身として、日々感じることがたくさんあります。

 

人間が介在せずとも鳥たちは自ら考え、仲間を思いやり、慈しみます。

 

その光景に幾度となく感動しました。

 

ブリッツィが鳥社会の仲間として受け入れられるよう尽くしたカーミットは、まさにブリッツィを鳥社会へいざなうナビゲーター的な存在だったのです。

 

 

🔶譲渡 

 

A君とママは、とりきち家に遊びに来るたび、鳥たちと一緒に暮らすブリッツィの様子に安心した言葉を口にしてくれていました。

 

ブリッツィに仲間ができたこと、食生活や居住環境の点で、とりきち家で暮らすことが彼にとって最良だと言ってくれたのです。

 

それでも、当初はあくまでお預かりという形で、所有者はA君家であることを伝え、私はブリッツィの様子を逐一報告していました。

 

ある日、ついにA君家に猫がやってきて、ブリッツィが元の生活に戻ることができないとA君ママから告げられました。そして、無償でブリッツィを譲渡したいとの申し出がありました。

 

もちろん、私は心の中で喜びました。 

 

その瞬間、彼はとりきち家の正式な一員となったのです。

 

A君家族と良好な関係を維持しながらブリッツィを引き取ることができた点が、何よりもほっとする出来事でした。

 

 

🔶交流 

 

 

ブリッツィの食生活や健康状態は少しずつ改善し、2023年後半になると次第に呼吸器の問題はなくなり、胃腸の状態も発芽シードや新鮮な野菜を多めにしたメニューによって回復しました。

 

体調が元気になるにつれて、彼の行動範囲も比例して広がっていきました。

 

人間である私にも少しずつ心を開いてくれるようになり、最初はカーミットの真似をして恐る恐る腕に乗るようになりました。

 

そして、やがて手のひらにも安心して乗ってくれるようになり、衣服をつついて遊ぶ仕草も見られるようになりました。

 

ベタ慣れではない鳥が、少しずつ心を開き交流しはじめてくれる様子に、言い表せないような喜びと感動に、私は包まれていました。この頃には、他の鳥と隔てなく、いやそれ以上の愛情を込めてブリッツィを愛するようになっていました。

 

 

2024年には、ブリッツィは他の鳥たちとも遊ぶようになりました。

 

特に、同じオスのにーたんとは追いかけっこをしたり、ブリッツィがずっとにーたんに話しかける様子が増えました。「あ、お友達になりたいんだな」と微笑ましく見守っていました。

 

じーたんやまーたんとも時には喧嘩しながらも渡り合い、同じお皿のごはんを仲良く食べる光景が見られるようになりました。

 

ご機嫌なときにはピヨピヨとさえずり、大好きなケージの中のロフトでくつろぐ姿は、目を閉じると今でも思い出される幸せな場面です。

 

彼の世界はこれからもっと広がるはず。 

彼との生活は、もっと喜びに満ち、長く続くと、信じて疑いませんでした。

 

 

🔶突然のお別れ

 

 私の住む家は仕事場と直結していて、鳥部屋はその間に位置しています。

 

そのため、仕事の合間に意識的に鳥部屋を通り、鳥たちの様子を頻繁に確認するよう日頃から心がけています。

 

現在、高齢で介護が必要なボタンインコのボバさんや、高齢のカナリアであるハッケもいて、日々こまめな鳥たちのチェックは不可欠だと考えています。

 

その日は奥の部屋で溜まった書類を整理していました。

 

いつものように鳥部屋を通ってインターンのマックスが働く仕事場へ向かおうとしたとき、セキセイインコたちが全羽、いつもとは違う床に近い位置に止まっている様子に気づきました。

 

鳥たちの視線の先には、床に横たわるブリッツィがいました。

 

息絶えていることにすぐ気づき、悲鳴をあげながらブリッツィを手に抱えたところ、まだ温かく、おそらく少し前に床に倒れたのだろうと推察されました。

 

パニックになり、その日いたマックスと息子ぴーを思わず呼び寄せ、何かを泣きながら喋り続けていたように思います。

 

ブリッツィをバスケットに安置し、冷静さを装いながらその日残っていた仕事を終え、その夜、家族が寝静まってから改めて号泣しました。

 

A君家族にブリッツィ急逝の知らせを伝えたのは翌日でした。

 

A君ママは、私を責めることは一切なく、ブリッツィが晩年幸せに暮らしていたことに感謝の言葉を伝えてくれました。

 

そして彼の来歴を教えてくれました。

 

ブリッツィはもともと他人の家にいたところをネットの掲示板サイトで譲り受けたそうで、その時点で既に5歳だったそうです。そこから2年ほどAくん家族のもとで過ごし、とりきち家にやってきた時点で彼は7歳以上で、そこから2年間一緒に過ごしたのであれば、彼は9歳以上であったことは確実で、寿命であったのかもしれない、と。

 

解剖を依頼して死因を特定することも考えました。

 

ですが、もうブリッツィは十分に苦しんだ。

 

一時的であったかもしれませんが、ごはんをもらえず、不衛生な水を与えられた日々を送った彼に、これ以上の苦しみを、たとえ死後であっても与えることは私の本意ではなく、やめると決めました。
 

 

🔶天国の鳥たちのもとへ 

 

数日後、とりきち家の代々の鳥が眠るティアハイム・ベルリンの動物墓地に埋葬の予約を入れました。

 

埋葬日には、いつものボランティアスタッフさんが心温かく迎えてくれ、お悔やみの言葉とともに墓守スタッフのシャルカウさんを紹介してくれました。過去の埋葬とは違い、赤いカーペットにチューリップの献花まで用意された、とても手厚いセレモニーを執り行っていただきました。

 

 

シャルカウさんは、お花のバスケットに入ったブリッツィの姿に深く感動されたようで、自らも「撮影してよいか」と申し出をいただくほどでした。

 

 

ここティアハイムの墓守スタッフの方々は、動物を心から愛する人々であり、心の底から動物たちの死を悼み、遺族に寄り添ってくれるのです。その存在は、遺族の悲しみを和らげ、愛する動物たちを見送る力強い助けとなっています。

 

 

 

🔶愛するブリッツィへ 

 

約2年間、あなたと共に過ごした日々は、かけがえのないものでした。あなたは全身で幸せを表現してくれましたね。

 

初めて腕に乗ってくれたときの感触、初めて私の手のひらでごはんを食べてくれたときの感動は、今でも鮮明に覚えています。

 

あなたが友達を作り、一緒に飛び回る姿は、まるで息子ぴーに友達ができたくらいに喜びました。

 

もっとそんな時間が続くと信じていたからこそ、あなたが突然いなくなってしまい、とても辛かったです。

 

心の準備もないまま逝ってしまった君。

 

次に逝くのはボバさんだと勝手に思い込んでしまい、ボバさんばかり、ちやほやしていた自分を恨みました。

 

まだ涙がたくさん流れます。

 

でも、それはあなたへの愛が本物であり、深かったことの証です。

 

これからは、代々の鳥たちと一緒にお空の上から、私や友達のカーミット、そして鳥たちを見守ってくれると信じています。

 

ティアハイムにはまた遊びに行くからね。

 

ブリッツィ、今まで本当にありがとう。

 

とりきち