夢のイタリア旅行がだんだん近づいてきた。
実家との行き来しかしていなかった結婚後、こういう本格的観光旅行は25年ぶりかもしれない。
旦那の持病や、自身の老齢化もあって、
ブランドものを買えるお金もなきゃ、コーヒーもワインも飲まないこの私たちが、
一体何をしにいくんだろう?と考えないこともないが、
やっと行ける、という嬉しさと、
若い頃には感じなかった異文化へ行く不安と、
行っちゃったら、もう夢、が終わってしまうのかというちょっとした寂しさと。
浮かれているとは自分では思っていないが、
よく会う近所の友人には、渡航のことを話しておこうと思った。
その中で、話すことに抵抗がある人がいた。
ひとりはヨーロッパ出身のご主人の、自分の店を持つという夢を実現したものの、うまくいかず、
持ち家を手放し、借金を返しながら、次のヨーロッパへの帰省に向けて頑張っている状態の日本人の友人。
もう一人は、彼氏ががんのためホスピスに入っている状態のキウイの友人。
ずっと、どうしようかと考えていた。
最初の人は、近所の友人でもあったため、他の人から聞くよりは良い、と思い、
私が自分で伝えた。
彼らが行きたいと思っているところへ、バカンス目的で行くというのは、やはり気が引けた。
聞いてつらいだろうに、友人は喜んでくれた。
しかし、二人目の人には、言わないで行くのがよいと私は結論を出した。
旦那にもこのことは相談したが、キウイの旦那は、それは絶対に言って行くべきだ。という。
言わなかったら、当人がよけいみじめな思いをする、と。
どっちが正解なのかはいまだにわからない。
が、そんなに頻繁に会う人ではない。
実はこの友人を、彼がまだ自宅療養をしていた頃、お見舞いも含めて数ヶ月前旦那と一緒に訪ねた。
そのあとメールで、お邪魔させてもらったお礼と、帰り道は天気が良かったので、芝生の公園で休憩した、と書いた時、
彼女が、ああ、私もそういう普通のことがしたい。と言い、自分の失言を思い知ったのである。
その後も、メールだけではときどきコンタクトをとっているが、
彼女の姉から3人目の子供の懐妊、という知らせが来たとき、
ちょうど彼氏が家の階段から落ちて、ホスピスへ入ったところだったため、
彼女はその状況の雲泥の差にとてもつらくて、しばらく連絡できなかった、と話してくれた。
こう言うことを鑑みて、私は多分彼女に、フラフラ旅行に行く話など、しない方がいいのでは、と。
このご時世、フェイスブックがあり、職場仲間はそれを期待しているだろうけれど、
私はそこに写真を載せることはしないだろう。
自由にひとりでNZまでやって来たあの頃の自分は、やっぱり果てしなく自由だった。