切花が枯れてきてもその枯れゆく様子を眺めて楽しむことが、最近私の趣味となっております。
悪趣味と思われますか?
お花がドライになってもずっと良い香りがしていたり、茎を切って最後のお花だけ水に挿しておいてから色が透明に変化して来たり。
枯れていく様(さま)もさまざまで、実に見飽きないのです。
この写真の左の薔薇は白地にピンク入ったキュートなお花でした。花びらが一枚ずつ枯れ色になっていっても水を上げ続けて葉っぱは生き生きしており、背筋がまっすぐのままで。
なんてカッコよく枯れていくんだい❣️と感嘆の声かけしながら5週間おりました。
3日前に来た今が盛りと咲く赤バラの隣りに並べてみましたが、見すぼらしい感とか全然なく、不思議なほどに美しさに遜色無いように感じました。
昔の私は枯れる兆しが見えたらすぐに捨てていました。
音楽治療の仕事をしながら学んだシュタイナーの人智学では芸術のワークもあり、その中にゲーテ的自然観察法などもありました。
綺麗に咲いているお花をスケッチするのではなく、同じお花を何日も見続けてスケッチするのです。つまり植物が変化していくありのままを観察するのです。
当然枯れていきますが、当然と分かっているにも関わらず、私は花が枯れていく相を見続けるのが苦しい自分がいることに気づきました。苦痛で気分が落ち込んだのです。
30代後半でした。
植物が成長し枯死して行くのは植物のありのままのリズムです。自然のありようで、そこに良い悪いはありません。
それを見て良いとか悪いとか思ったり、喜んだり悲しんだりするのは私の内界、魂です。
外界に見るものを、ほとんどこの魂のレンズを通して見ているのが私たちです。
それに対して
自然や宇宙にみえるリズムは霊的・本質的なものです。
植物の成長と死のリズムもそうだし、
昼が来て夜が来る一日のリズム、月の影響下の干潮満潮のリズム、星々の運行のリズムも…。
すべて変わらぬ自然宇宙の法則です。
その調和の全体像に意識を向け心身を添わせることで、私たちの身体のリズムも呼応します。
苦しい、悲しいは人間の魂にいつもやって来ますが…
ただ健康な調和的な有機体としてのリズムも私たちの霊と体の中にはあるからです。
先の2本の並んだ薔薇を見て、
「左の方が生命力が強いように見える」、と言った方がいました。
おお、私が感じていた事を見事に言葉にして下さったな!と思いました。
ものの表面ではなく、すでに超感覚を使ってその奥を観ておられるのです。
その方は今お母様をお世話しておいでです。認知症が進んだのか?と思うような様子がお母様にある時に、やるせなく切なくなることを話して下さいました。
私も経験ありよく分かります。それで魂はいっぱい泣いたり笑ったりすることでしょう。
同時にその方の霊眼はお母様の奥にいつも消えることない生命力を観て、日々に新しくお母様とご自身を力づけられることでしょう。
さて、外界の太陽は夏至を過ぎてすでに衰えていっています。
(地上の暑さはこれからが本番かも知れませんが)
これも変わることのない、太陽と地球の一年のリズムです。
これから冬至に向かって成長し光を増して行くのは目に見えない、
地球と私たち人間の中の太陽=霊です。
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