『醉いどれ天使』(黒澤明監督) | 新・法水堂

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『醉いどれ天使』


1948年日本映画 98分

脚本・演出:黒澤明

製作:本木荘二郎 脚本:植草圭之助

撮影:伊藤武夫 美術:松山崇

録音:小沼渡 演出補佐:小林恒夫

照明:吉沢欣三 音響効果:三縄一郎

編集:河野秋和

現像:東宝フィルムラボラトリー

特殊効果:東宝特殊技術部

音楽:早坂文雄

挿入歌:『ジャングル・ブギ』作詞:黒澤明、作曲:服部良一

ギター演奏:伊藤翁介

演奏:東宝交響楽団、東宝モダンニャーズ


出演:

志村喬(眞田)

三船敏郎(松永)

山本礼三郎(岡田)

木暮実千代(奈々江)

中北千枝子(美代)

千石規子(ぎん)

笠置シヅ子[クレジットでは笠置シズ子](『ブギ』を唄う女)

進藤英太郎(高浜医師)

清水将夫(親分)

殿山泰司(ひさごの親爺)

久我美子(セーラー服の少女)

飯田蝶子(婆や)

生方功(チンピラ)、堺左千夫(ギターの与太者)、谷晃(ヤクザの子分)、大村千吉(同)、河崎堅男(花屋)、木匠久美子(花屋の娘)、川久保とし子(ダンサー)、登山晴子(同)、南部雪枝(同)、城木すみれ(姉御)


STORY

駅前のヤミ市附近のゴミ捨場になっている湿地にある小さな沼、暑さに眠られぬ人々がうろついていた。これら界わいの者を得意にもつ「眞田病院」の赤電燈がくもの巣だらけで浮き上っている。眞田病院長はノンベエで近所でも評判のお世辞っけのない男である。眞田はヤミ市の顔役松永がピストルの創の手当をうけたことをきっかけに、肺病についての注意を与えた。血気にはやる松永は始めこそとり合わなかったが酒と女の不規則な生活に次第に体力の衰えを感ずるのだった。松永は無茶な面構えでそっくり返ってこそいるが、胸の中は風が吹きぬけるようなうつろなさびしさがあった。しめ殺し切れぬ理性が時々うずく、まだシンからの悪にはなっていなかったのだ。--何故素直になれないんだ病気を怖がらないのが勇気だと思ってやがる。おれにいわせりゃ、お前程の臆病者は世の中にいないぞ--と眞田のいった言葉が松永にはグッとこたえた。やがて松永の発病により情婦の奈々江は、カンゴク帰りの岡田とけったくして松永を追い出してしまったため、眞田病院のやっ介をうけることになった。松永に代って岡田勢力が優勢になり、もはや松永をかえりみるものもなくなったのである。いいようのないさびしさにおそわれた松永が一番愛するやくざの仁義の世界も、すべて親分の御都合主義だったのを悟ったとき、松永は進むべき道を失っていた。ドスをぬいて奈々江のアパートに岡田を襲った松永は、かえって己の死期を早める結果になってしまった。ある雪どけの朝、かねてより松永に想いをよせていた飲屋ひさごのぎんが親分でさえかまいつけぬ松永のお骨を、大事に抱えて旅たつ姿がみられた。【「KINENOTE」より】


黒澤明監督第7作にしてキネマ旬報ベスト10第1位。千石規子さんを偲んで。

この映画は何と言っても、記念すべき黒澤・三船初タッグ作品として映画史に残る。
もちろん主演の志村喬さんの演技あってこそだが、「三船の扮した松永って奴がグングンのして来るのを僕はどうしても押さえ切れなかった」という監督の言葉通り、三船敏郎さんの荒削りながらも野生的な魅力が充満している。特に終盤、徐々に病に冒されつつも、仁義を貫き通そうとする姿は鬼気迫るものがある。
また、『新馬鹿時代』という映画で使われた戦後の闇市のセットに作られた沼は巻頭早々から映し出され、この作品の象徴ともなって不気味なインパクトを残す。




千石規子さんはそんな松永に思いを寄せる飲み屋の女性役。最後は葬式代まで出すほど。

他には笠置シヅ子さんの歌も見所の一つ。
久我美子さんの汚れなき美しさが最後の救いとなる。