何をかくそう、私はナショナリストだ。

日本という国に生まれ育ち、長い歴史をもちながら、アジアで最初に近代化に成功したこの国を誇りに思う。だから、いまの日本の現状はあまりにも元気がなく、夢を語る若者がいなくなったことを残念に思う。この国で子供を生み、育てようとする人も減っている。国民の3分の1が老人、このままいけば20年後には2人に1人弱が65歳以上というのはあまりにもさびしい。この国をなんとかしたい、そう願っている。

日本を再生するためには、明治政府が描いた「国のかたち」をそろそろ大転換する必要があると思う。具体的には、世界の優秀な頭脳が終結し、切磋琢磨できる社会を構築すること。「日本民族」なる幻影にとらわれずに、いかなる民族であってもこの国に永住したいと願う優秀な人々に「市民権」を与え、政治・経済・行政に参加してもらう。要は、欧米では普通に行われていることをやろうということだ。米国の頭脳を引っ張っているのはインド系のITエンジニアだったり、中国系だったり、そういう社会をつくろうということだ。そのためには、英語を第2公用語として、就職において日本語ができることを必須としない社会、少なくともインドやシンガポール並に英語が通じることが前提となる。

ITや金融など最先端の日本企業では日本語がネイティブ並みにできることを入社の条件としていないようである。日本人相手の営業などの分野であれば別だが、日本語がネイティブ並みにできなければ、仕事ができないような、会社・組織は早晩淘汰されるだろう。日本企業を再生し、より強化していくためには、世界の頭脳を投入しなければならない。それが、日本のためでもある。

少子化が問題とされるが、世界全体からみれば、むしろ人口爆発が問題となっている。日本として優秀な人材を世界に求めることは、日本のためでもあり、世界のためにもなろう。

日本はすでにシンガポールに、一人当たり所得で抜かれてしまった。「清く貧しい」民族国家を目ざす、という立場もあっていいが、私は個人的は「日本合衆国」という発想をもったナショナリストでありたいと思う。

日本で観そびれてしまった、映画の原作「沈まぬ太陽」(5巻)を一気に読み終えた。小説というよりほとんどノンフィクションに近い。経営破たんした、JALのかかえる問題、さらには日本企業そのもののありかたを「恩地元」(実在の小倉貫太郎をモデル)という主人公を通じて描いた大作だ。聞いた話によると、映画の方も好調だが、映画館には、自らの人生と照らし合わせながら感慨深げに観賞するタバコ臭い中高年サラリーマンが大半だとか....Y(>_<、)Y、むしろこれからの日本を背負う若者にこそ、観てほしいと思う。

ともあれ、作者・山崎豊子氏が描いた日本の大企業の「政」「官」「財」の癒着体質というのは、航空史上最大の犠牲者を出した御巣鷹山事故(1985)が起こるまでの日本経済の成功物語を演出するための「必要悪」であった。しかし、80年代後半のバブル景気とその崩壊、以降、20年にわたるこの国の停滞状況をふりかえれば、それまでの成功物語が幻影にすぎなかったのではないかと思えてしまう。この20年、社会人をやってきて、過去の成功物語の幻影にすがりつこうとする上の世代と闘い、かといって、新たなモデルを提示しきれずにいる、われわれ「新人類」「バブル」世代の責任は大きい。

東京オリンピック(1964)から大阪万博(1970)ごろに生を受けたわれわれ世代は、生まれた時から高度成長とバブルの恩恵を受けてきた「恵まれた」世代だ。他方、受験地獄と言われる中、他方で校内暴力が最も厳しかった時代をくぐりぬけてきた「金八世代」でもある。また、もっとも遊びたい時期にちょうど、「バブル景気」になり、学生の分際で六本木や銀座で毎晩踊っていた、軽薄な「バブラー」である。受験勉強よろしく、要領よく「勝ち馬」に乗ることしかできないこの世代は、バブルが崩壊すると、一気に世の中の負のスパイラルに吸い込まれてしまった。世の中を「変えよう」という気概に乏しいのではないか。

明日、デリー大学の学生を相手に、「最近の日本経済からみた新たなモデル」を講義せよということになっている。ITを中心に中国に追いつき追い越せの勢いのインドからみて、今の日本の何から学ぶことができるのか、頭を抱えてしまった。
デリーの街中を日本から持参したミニ自転車を走らせるのが週末のお決まりのパターンだ。すでに、旧市街に位置するここデリー大学から、コノートプレースと呼ばれる(ロンドンのピカデリーサーカスを模した?)繁華街まではなじみのコースになっている。途中、リキシャー(自転車式人力車:語源は日本語)の運転手に「へえ~その自転車めずらしいね。どこで買ったの?」などと呼びかけられながら、人、牛、車、バイクが混沌として身動きのできないデリー市内をすいすいと飛ばしていく。

途中、デリーの玄関口ともいえる、デリー駅付近を必ず通る。駅を起点として、大きなバザール(市場)が広がっている。来た当初、そのあまりの雑然とした店構えとくねくねと細く伸びた裏道に迷い込んで、方向性を見失って、「樹海」に迷い込んだ旅人のように、巨大なバザールを何時間も這いまわっていた。

しかし、よく観察すると、このバザールの「樹海」にも一定のパターンがあることに気づく。つまり、半径数百メートルには、サリーの店が並び、別の一角には、香辛料専門店が並び、また別の場所には、金物屋が並ぶ、という具合である。ここに買い物にきた客は、例えば食器が目当てであれば、食器専門店の並ぶ場所に向かう。一軒目でお目当ての品物が見つからなければ、隣の店に、という具合で、品ぞろえや価格を比較して最終的に納得したものを選ぶことができる。

店同士は近隣で競争しているから、価格も低めに抑えられている。ただ、バザールでは「値札」は付いていないことが多いので、「言い値」と「買い値」のさぐりあい、交渉がはじまる。「1000ルピーにまけとくよ」「いや、500ルピーならいいんだけど」「特別に800ならどう」「買った」という具合である。この国では多かれ少なかられ何事も交渉によって決まる。

買った人は、その品物に対して、これだけの対価を払ってもいい、という価値を示し、売り手の言い値とつきあわせて、一つ一つの商いをしているのだから、文句はないはずである。はじめから、値札がついていて、「この金額を払わない客はお断り」という立場とは逆である。

「ルールありき」に慣らされている日本から来ると、あたり前のことまで「議論」によって解決しようとするインドは(疲れるという人もいるだろうが)、私にはとても「心地よい空間」である。だから、日本にもどって、「そういう決まりになっています」といわれるたび、つい「反論」してしまって、ばつの悪い思いをすることが多かった。

バザールは一見混沌としているが、専門店の配置は合理的にできており、さながら町全体が「ショッピング・モール」のようなものである。

「混沌の中の調和」をみる思いがした。

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