昨日、とある国連系の学生シンポジウムで「平和構築」に関する短いプレゼンをしてきた。周到に準備されたプレゼンというよりは、ざっくばらんに語る(つぶやく)つもりで望んだ。

国際機関や政府代表としてフィールドを体験してきた他のパネリストの話は、従事してきた具体的な話であるので、学生の興味を引きやすい。私ももともと国際機関出身ではあり、現在でも大学に籍をおきつつも現場を経験する機会があればいつでも出かけるようにしている。

今回の私のネタはアマルティア・センの「アイデンティティと暴力:運命の幻想」の翻訳作業を通じて得た、考察であり、かなり抽象的な話であった。個人的な話だが「インド疲れ」と体調不良もあって、事前の準備もほとんどできずに、ほとんどぶっつけ本番で望んだ。主催者側からは事前にパワポを送るように言われていたが、プレゼンは当日直前に仕上げるので、ご勘弁いただいた。

要は、ムラとムラ、ムラとクニ、クニとクニの紛争の根源にあるアイデンティティ(という運命と思われる幻想)を克服するにはどうすればよいかという問題設定である。それには、アイデンティティに先行する「個人」の「理性」を働かせることにより、時に暴力を正当化する「集団」の意志決定を防ぐことができると、センは説く。曰く、アイデンティティは「選択」されるものであり、「発見」されるものではない。集団間の構成員の価値観、ルールや認識の共有化は可能であり、そこに衝突回避の活路を見いだそうという考え方である。

アフガンやイラクといった実際の紛争地の事例は他のパネリストが説明をしていたので、私はあえて、沖縄の基地問題を事例としてとりあげた。アイデンティティの問題を考えるのにとてもよい材料を提供すると考えたからだ。沖縄の人たちが基地を反対する理由は何も、反米であるからではない。本土との関係史を通じて抑圧されてきた沖縄のアイデンティティが、基地という象徴的な存在を通じて、あらためて表面にあらわれてきている。防衛問題や対米外交の問題である前に、日本のクニのありかた、日本人のアイデンティティの根本について問題提起を行っていると思われたからだ。

主催者としては、本当は私の具体的なフィールド経験や拙書「平和構築論」の中で述べているような一般的な話をしてもらいたかったのだろうが、15分の持ち時間をどう有効に使うかを考えた場合、他のパネリストとは異なる視点からの話をした方がいいと考えた。座長の方にはとりまとめにご苦労をおかけして少々申し訳なかったと思う。

参加してくれた学生で、個別に話を聞きにきてくれた人が何人かいた。昨日の話の延長でもう少し、個別具体的な平和構築の話が聞きたい方は、毎週水曜日の夜、四ッ谷にある某大学院で平和構築論ゼミを行っているのでご自由に参加していただきたい。詳細は個別に連絡をいただいた方にお知らせいたします。
ここ数ヶ月、滞在先のインドから日本の政局の混迷や新たな動きを眺めてきた。

同世代ないし若い政治家が中央や地方で頑張っているのを見て、自問自答してきた。自分は何ができるだろう?このまま、退屈な講義をやる気のない学生にしつづけることが、何の役に立つのか?ここらで、別の道を模索するときではないか?もう少し、直接的に国た社会のあり方にかかわらなければならないのではないか?今こそ、「お国のため」に何かすべきではないか?

そんなことを考えながらここ数ヶ月間、過ごしてきた。

「国のありかた」が、国民生活を左右する重大事であることは、ここインドの例をみても明らかである。1990年代初頭まで、インドは事実上の計画経済を導入し、外資の導入等については厳しく制限されていた。ところが、1990年代初頭から方針を大転換し、開放政策を採用した結果、IT産業などで伸び、現在の繁栄に結びついたことは周知のとおりである。かつてに比べ、人々の暮らしは格段に豊かになり、都市化も進んだ。統計上の貧困率も改善されている。

確かに政策の変化がそのきっかけをつくったのは事実だ。しかし、その変化をもたらした、もっと根底にある、人々のそれまでの不満、変革しようという熱意、さらには、ソ連をはじめとする共産主義体制の崩壊という状況、そういった歴史のうねりのようなものは無視できない。

で、結局、何がいいたいかというと、どの政党のどの政治家が「日本をこう変えます」と言っても、ほとんど当てにならない<まやかし>にすぎない、ということである。これまで、政治が変わったから、世の中が良くなったというような例はあまりない。今の日本がまさにそのとおりではないか。

新党ができて、ご立派な理念を掲げてはいるけれど、果たしてこの人たちに何を任せて何をやってもらえるのか、見えてこない。どっかの選挙で落ちてきて、たまたまそこにいるだけのように思える。街頭活動といっても、ビラを配ったり、「○○党の××です」を連呼するだけで、政治家の「顔」が全然見えてこない。

ガンジーは今現在にいたるまで、インド人の心のよりどころとなっている。ガンジーを崇拝し、ガンジー思想に影響を受けている。しかし、ガンジーは政治家ではなかった。権力を求めない生き方であったからこそ、世代を超えて人びとに訴えているように思える。まさに、党派を超越した存在である。

結局、大きな歴史の運命の中で、それぞれの人々がそれぞれの「立ち位置」を確かめながら、歩んでいくしかない。私は私で立ち位置を見誤ることなく、もう一度、確認したい。今のまま、できることをまず、やりとげることで、結果として、身の回りや世の中が少しずつ良くなる(ないしはこれ以上悪くなるのを防ぐ)役割が果たせたらそれでいいのではないか。

いよいよ、来週一旦、帰国することになった。