スタイリッシュなイタ客船 レオナルド・ダヴィンチ | フレンチ客船なブログ

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自身の客船漫画や客船に乗船した時の話などをブログで不定期に更新しています。
更新頻度は主に木曜日と週末ですが、基本、不定期です。
今更ですがアスペルガー症候群です。でもあまり語りませんので悪しからず。

皆さんこんにちは。

 

7月の初日はイタリア人の友達の誕生日でした。

 

そんな彼にイラストを描きプレゼント!

 

かつて存在した国営船会社イタリアラインの戦後の名船レオナルド・ダヴィンチです。

 

イタ客船って言っても、別にオタク絵塗装がされてたわけじゃないからね!!

イタ車風にね、なに?それも痛車と間違えるだって!?

まぁしゃあないわね……

 

イタリアラインは客船の建造ラッシュでもあった1930年代初頭、

「ブルーリボンなんざ1年もしないうちにぶん奪ってみせるぜ!!!!」とお先っ走りのムッソリーニの国策でロイド・サバウド社、コスリッチライン、NGI(ナヴィガツィオーネ・ゲネラーレ・イタリアン)の3社が合併し、誕生した船会社です。

 

そうして5万総トンのレックスとコンテ・ディ・サヴォイアを建造したのですが、

両船ともに戦禍で灰塵に帰してしまいました。

 

そんな同社が1950年代に建造したのが、アウグストゥス、アンドレア・ドリア、そして今回の主役のレオナルド・ダヴィンチの3隻でした。

 

初めからこの3隻は大西洋横断とクルーズの兼用船だったので、当時としては珍しく、全等級の乗客用の屋外プールを備えており、内装も戦後のモダニズムを意識した非常に洗練されたインテリアで、さすが芸術の国!と思わせるものでしたが、国民性なのかマネジメントの問題なのか、乗組員の要求がこじれて船がストで停船することがよくありました(笑)

多分、前者か両方………

 

まぁそれでもイタリアは、同じ枢軸国のドイツや日本と比較してかなりの客船が戦争を生き延びたので、船隊再建も比較的容易だったのかもしれません。

 

ドイツが他国の中古客船を購入して復興し、日本に至っては効率第一主義になってしまい氷川丸引退を機に、客船がほぼ全滅してしまったのとは対照的に、イタリアは戦後も沢山の船を建造しました。

 

アンドレアドリアは1956年にスウェーデンの客船ストックホルムと衝突し、沈没してしまいましたが、

レオナルド・ダヴィンチは石油ショックで運航ができなくなり、係船中の1980年に火災で焼失、クルーズできるように大改装したんだけどね……(T . T)

クルーズ客船にするにはデカすぎたようです……。

 

しかし国営のイタリアラインのDNAはしっかりと、民間船会社でクルーズ産業で成長したコスタ・クルーズにもしっかり引き継がれております。

コスタ・クルーズの客船にも芸術の国イタリアらしい豪華な内装がふんだんに使われております。

 

ご閲覧ありがとうございました。