(その1)潰瘍性大腸炎で北里研究所病院に入院した頃の話 | レジェンドニャンコの医学部受験奮闘記

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数学大嫌い。おバカ高校卒の主婦が独学で国立医学部に合格するまでのサクセスストーリー。
18才で潰瘍性大腸炎を発症して以来、何度か長期入院したりと、騙し騙しやっています。
よろしこ⊂(^ω^)⊃ブーン

内容的には
前回『潰瘍性大腸炎で慶応大学病院に入院した頃の話』の続きになります。
前回はこちら⇒リンク



■慶応大学病院から北里研究所病院へ
慶応大学病院の外来通院病院で、
1日プレドニン60mmgを大量投与されていたニャンコですが

1週間経っても、下血が一向に止まらず、ついに体力の限界ガーンを感じるようになったため
ニャンコ自ら入院を申し出たのでした。


ところが、いざ入院の話を進めていくと、
慶応病院には「ベッドの空きがないビックリマーク」ということで、ニャンコねこへびは絶対絶命の大ピンチに陥りました叫び


そこで「空きベッドが出るまで。」ということで
慶応の関連病院である、北里研究所病院病院での入院を手配してもらうことになりましたオバケ

北里研究所病院

初めは「そこ、ドコだよはてなマーク行ったことねーよ目」と、ニャンコは不安で泣き出しましたが、


結果として、北里研究所病院病院でよかったです(笑)


病室やトイレはすごくキレイキラキラだったし、
看護師さんおとめ座は優しいわ、規則が緩いわで、イイ事尽くしだったのでしたラブラブ!


その点、慶応病院だと大部屋が6人で全体的に汚いドクロ
その上、病棟担当医は研修医ウサギクローバーでピンチに弱いドクロ

そして、面会時間が短いときており、
今思えば、寂しがり屋のニャンコには耐えられないものだったと思います目


こっちは病気で入院している、か弱い身の上だというのに、
精神修行みたいな我慢を強いられるらしいドクロなどと、後から慶応の悪い評判を聞いて

たまたま関連病院の北里病院に飛ばされたニャンコねこへびでしたが、
(不幸中の幸いだった・・。)と思ったものでした。



■北里研究所病院での治療
北里研究所病院病院に到着したニャンコねこへび
車椅子で即、病棟に連れて行かれ、

プレドニン40mmgの点滴治療を受けることになりました。

翌日、大腸鏡検査が行われ、その時、左大腸炎症型と診断されました。


検査中、医師が「こりゃあ、ひどいなぁ」と言っているのが
まな板の上のニャンコに聞こえてきましたむっ


そりゃあ、こっちは腹がクソ痛いショック!ですから
(腹の中はひどいだろうな・・)ということくらい、薄々感じていましたよ。

しかし、患者の目の前で、そういう事は言わないで欲しいですよねぇ?むっ
中にはショックを受ける患者もいると思うので、配慮が欲しいものです。


検査後から3日間はゼリー食でした。
その後、流動食⇒3分食⇒5分食と、食事ラーメンがアップしていき、

入院当初は虫の息だったニャンコねこへびでしたが、驚異的なスピードで回復していきました。
重病に見えても、キッカケがあれば、身体は急速に回復していくものですウサギクローバー


食欲も回復して、ニャンコの口癖は「腹減ったぁ~チョコレート腹減ったぁ~お団子」になりましたにひひ


このように、ニャンコは順調に回復していき
入院して10日も過ぎる頃、「そろそろ退院か?」なんて、話も出てきた矢先のある日の夜夜の街


突然下血がはじまりました。

(次回へつづく⇒リンク

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