(その2)潰瘍性大腸炎で北里研究所病院に入院した頃の話 | レジェンドニャンコの医学部受験奮闘記

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数学大嫌い。おバカ高校卒の主婦が独学で国立医学部に合格するまでのサクセスストーリー。
18才で潰瘍性大腸炎を発症して以来、何度か長期入院したりと、騙し騙しやっています。
よろしこ⊂(^ω^)⊃ブーン

内容的には
前回『(その1)潰瘍性大腸炎で北里研究所病院に入院した頃の話』の続きになります。
前回はこちら⇒リンク


(前回のあらすじ)
慶応大学病院病院に入院するつもりでしたが、
「空きベッドがないビックリマーク」ということで、

ニャンコねこへびは急遽、
関連病院の北里研究所病院病院に入院することになりました。
当初は不安でしたが、

『住めば都』で、北里研究所病院病院での入院生活は、なかなか快適なものでしたハロウィン

ちなみに北里研究所病院病院からは東京タワーが見えるんですよ。
夜の街になると1人で病院にいるのが寂しくて、
ニャンコはこの東京タワーを見ながら、よく泣いていたものでした目

東京タワー

その北里研究所病院病院に入院してからは
体の方も順調に回復して、「そろそろ、退院か?」などと言ってた矢先、
夜に突然、下血がはじまりました。



■北里研究所病院に入院した頃の話(その2)
それまで、順調に回復してたものですから、突然の下血にはとてもビックリしました。
後から振り返ると、これが眠れぬ夜の始まりだったのですガーン

3~4時間おきの下血も量がどんどん増えていきました。

しかし、それを看護師さんおとめ座に訴えても


「バイタルが安定してるから、このまま様子を見ましょうおとめ座


と言われ、特に処置はしてもらえませんでした。。


ニャンコは(ガーン。。。叫び)と思い、


(このまま出血多量で死んでしまうんじゃないか・・?目)と思いつめて、
家族あての遺言まで書きました目

この夜、ニャンコオバケは生きた心地がしないまま、長い夜を過ごすことになりました星空
結局、なんとか朝富士山を迎えることが出来たのですが、

ニャンママがその日の仕事を投げ出してまでして、早朝、病院病院に駆けつけてくれました。
ニャンママの姿をみたニャンコねこへびは安心してオイオイ泣いたのでした目



さんざん泣きじゃくった後、さすがに少し落ち着いたので、

(どら、トイレでも行くかいの・・・トイレねこへび)と、トイレに行こうと立ち上がった瞬間、
サーッと目の前が真っ暗になり、ニャンコはブッ倒れたのでしたオバケ



(まぁ・・・あれだけ出血したんだから、倒れて当然だな・・・。)


ニャンコは薄れゆく意識の中、妙に冷静になってボヤいたものです得意げ


「ニャンコさーん大丈夫ですか~?ニャンコさーん?おとめ座
と看護師さん4、5人に抱えられてベッドに戻され、しばらくして輸血が始まりました。


その日は輸血2単位、翌日1単位を使いましたガーン


そして出血箇所をみるため、入院中2回目の大腸鏡が行われ、

大腸内の出血箇所を電気でジュッと焼いて止血するという処置が取られました。


後日、説明を受けたのですが、この時なぜ大量出血したか?というと、

大腸内の潰瘍がひどいところに、形のあるプンコうんちが擦れてしまい、
そこからドバーと出血した、とのことでしたウサギクローバー

(次回につづく⇒リンク

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