内容的には
前回『潰瘍性大腸炎で慶応大学病院に入院した頃の話』の続きになります。
前回はこちら⇒リンク
■慶応大学病院から北里研究所病院へ
慶応大学病院の外来通院で、
1日プレドニン60mmgを大量投与されていたニャンコですが
1週間経っても、下血が一向に止まらず、ついに体力の限界を感じるようになったため
ニャンコ自ら入院を申し出たのでした。
ところが、いざ入院の話を進めていくと、
慶応には「ベッドの空きがない」ということで、ニャンコは絶対絶命の大ピンチに陥りました
そこで「空きベッドが出るまで。」ということで
慶応の関連病院である、北里研究所病院での入院を手配してもらうことになりました
初めは「そこ、ドコだよ行ったことねーよ」と、ニャンコは不安で泣き出しましたが、
結果として、北里研究所病院でよかったです(笑)
病室やトイレはすごくキレイだったし、
看護師さんは優しいわ、規則が緩いわで、イイ事尽くしだったのでした
その点、慶応だと大部屋が6人で全体的に汚い
その上、病棟担当医は研修医でピンチに弱い
そして、面会時間が短いときており、
今思えば、寂しがり屋のニャンコには耐えられないものだったと思います
こっちは病気で入院している、か弱い身の上だというのに、
精神修行みたいな我慢を強いられるらしいなどと、後から慶応の悪い評判を聞いて
たまたま関連病院の北里に飛ばされたニャンコでしたが、
(不幸中の幸いだった・・。)と思ったものでした。
■北里研究所病院での治療
北里研究所病院に到着したニャンコは
車椅子で即、病棟に連れて行かれ、
プレドニン40mmgの点滴治療を受けることになりました。
翌日、大腸鏡検査が行われ、その時、左大腸炎症型と診断されました。
検査中、医師が「こりゃあ、ひどいなぁ」と言っているのが
まな板の上のニャンコに聞こえてきました
そりゃあ、こっちは腹がクソ痛いですから
(腹の中はひどいだろうな・・)ということくらい、薄々感じていましたよ。
しかし、患者の目の前で、そういう事は言わないで欲しいですよねぇ?
中にはショックを受ける患者もいると思うので、配慮が欲しいものです。
検査後から3日間はゼリー食でした。
その後、流動食⇒3分食⇒5分食と、食事がアップしていき、
入院当初は虫の息だったニャンコでしたが、驚異的なスピードで回復していきました。
重病に見えても、キッカケがあれば、身体は急速に回復していくものです
食欲も回復して、ニャンコの口癖は「腹減ったぁ~腹減ったぁ~」になりました
このように、ニャンコは順調に回復していき
入院して10日も過ぎる頃、「そろそろ退院か?」なんて、話も出てきた矢先のある日の夜
突然下血がはじまりました。
(次回へつづく⇒リンク
)
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