[法学関連英語特集・第1回] Rationale~米国コモンロー学習の基礎 | 日々、リーガルプラクティス。

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企業法務、英文契約、アメリカ法の勉強を
中心として徒然なるままに綴る企業法務ブログです。
週末を中心に、不定期に更新。
現在、上場企業で法務を担当、
米国ロースクール(LL.M.)卒業し
CAL Bar Exam合格を目指しています。

さて、ブログ2年目を迎えて、何か新しいことをやろうかな、と思ってひとまずトライすることに決めたのが、この「法学関連の英語特集」(シリーズものの予定)。

Business Law Journalでも、「源流からたどる 翻訳法令用語の来歴」という連載項目がありますが、そのレベルには当然至りませんし、趣旨も違います。自分が考えているのは、自分がせっかく米国のLL.M.の講義や予習、復習で「この用語は大切だな」とか、「ほぉなるほど」と思う用語とか表現に出会うことがあるので、その中から、

●企業法務を担当されている方にとって、ある種の教養またはその材料となるようなもの

●企業法務を担当されている方にとって、実務でも関係するようなもの

●Bar Exam受験を考えている人にとって、知っておくと受験の際に役立つのではないか、というもの

といったものをピックアップして、自分なりの観点からその用語・表現について語って共有してみよう、と思い立ち始めることにしたものです。

そんななかで、どの用語や表現から取り上げようか、、、と思っていていくつか候補をあげていたのですが、最近勉強している刑事訴訟法の復習とか、あと今日拝見したブログ・企業法務マンサバイバルの投稿を見て、「じゃあこれにしよっと」と思って今回投稿しているのが、表題の"Rationale"です。なお、ちょっと力が入って、長いのでご容赦ください。。。ぜひ時間があるときに、何回かに分けてお読みください(笑)ちなみに、こんなに長いのは今回が最初で最後かと、、、


"Rationale"~"Rational"じゃないですよ


多分、この用語は米国のロースクールの講義または判例において、最も使用頻度の高い用語の1つではないかと思うのですが、正直ロースクールで勉強するまでは、あまり目にすることも耳にすることもない用語でした。

"Rational"というと、日本語では「合理的」という形容詞ですが、"Rationale"は語源は全く同じラテン語ではあるものの、日本語だと「論理的根拠」「論拠」「理由付け」といった感じで訳されているようです。

この"Rationale"という用語がどんな場面で利用されるかというと、例えば、米国連邦憲法修正第5条の下で認められている"Miranda rights"(黙秘権及び拘束下の尋問において弁護を受ける権利。これらの権利を含めた5つの警告を行うのがいわゆる「ミランダ警告」)について、直接修正第5条の条文には定められていないものの、その権利が認められる"Rationale"として、"The rationale is that in-custody interrogation by police is inherently coercive," and "[u]nless adequate protective devices are employed to dispel the compulsion inherent in custodial surroundings, no statement obtained from the defendant can truly be the product of his free choice."といった説明がなされます(イタリック体の部分はMiranda v. Arizonaの判決文からそのまま引用)。

要するに、判例法を確立するときのその理由付けとか、法の適用を行う際のその根拠・理由づけを指す用語ですが、個人的には、同じ英語で言うと"Underlying legal concept"という表現に近い、かと考えています。論理的な根拠、というよりは、その法の下に横たわる基本的な考え方、思想みたいなイメージが個人的には強いです。(現代の米国法が自然法学をそのルーツとしつつ、社会学的法学、リアリズム法学等の考えから変革されて今に至っている、という経過を考えると、こういった表現のほうがいいのではないかと勝手に思っています)


この"Rationale"は、米国の判例法のみならず制定法を学ぶ際にも理解しておくのが非常に重要な気がしていて、かつ日本法を学ぶ際にも同じく非常に重要なことではないか、と考えています。ただ特に米国法においては、この"Rationale"というのは、米国コモンローの根源である、と勝手に思っていて、そういった意味でも各判例法等に関するRationaleを理解することは非常に重要である、と考えています(単に判決理由(Ratio Decidendi)を理解する、というより更に一歩踏み込んだものだったり、制定法においては判例以前に存在するRationaleだったりを意識しています)。


米国コモンローと日本の成文法との違いとRationale"


例えば、日本の法律の場合は成文化された条文に明確に法律としてのルールが記載されているため、そのルール自体を読み間違えることはあまり多くないと思われ、逆にそのルールから導き出される法律要件と法律効果、および具体的な事案において導き出された判例の射程が事実認定との関係で問題となってくる、と理解をしています。要するに、事実は法律の適用時に問題となってくる、という理解です。

そして米国のコモンローの場合はというと(*1)、法律である判例がその背景事実と密接に結びついているために、ルール自体に一定程度のFact Specificな前提が付されることが多く、または当初は判例や制定法という法の射程がはっきりしない場合、いくつかの判例がでてくるうちにその射程が明確化されても、判例の適用の観点から射程がはっきりしてくるというよりは、よりFact Specificな射程範囲を伴ったが判例法が生成されていく、という違いがある感覚があります。

これはある意味、日本のように各裁判官の出す判決の統一性が高くない米国においては、各裁判官が出す結論の統一性や予測性を高めるためにも、適用時ではなくルールとなる判例そのものがFact Specificであるべき、という必要性から生じている気もしますし、また歴史的には、「権利は法準則に先行する存在である」という自然法学的な考え方から米国法が生まれつつも、社会の高度化と複雑化に伴い、自然法学的な考え方では問題が生じることも増えてきたがために「法をその背景となっている社会的事実との関連で捉えるべきだ」と考える社会学的法学や、「法は法規範と切り離すべきであり、法律効果の妥当性から常に法準則を検討・評価すべきである」というリアリズム法学的な考え方によって、米国法のコモンローとしての性格に修正が加えられてきた(*2)結果ではないか、という気もしています。そして、各事実ベースに成立する法としてのルールにおける"Rationale"というUnderlying Legal Conceptが、法の適用時のみならず、法そのものに浮かびあがってくることもあるのが、(米国)コモンローの特徴である気がしております。(そういった意味で、このRationaleを、Essayの問題におけるApplicationのReasoningだけではなく、Ruleとして記載することもあるのは、納得ができるのではないでしょうか。)


とはいえ、結局ある程度Fact Specificな前提が付された判例法(=Case Law/Common Law)が確立されても、それが別の事実状況/Fact Patternにおいて適用され得るのか、という法の適用に関する分析と議論が学説や裁判においてもなされるわけで、実はこの点は日本法とさして変わらないともいえるのではないか、という気がします。(日本法がコモンローとさして変わらないのではないか、という議論は、弁護士の長谷川俊明先生が、いつぞやの国際商事法務の論稿で述べられていました。どの号かは忘れました。。。)

そして、日本の弁護士の方がアメリカの各州のBar Examの勉強をして受験されて合格する方が多いのも、こういった法律としてのルールの射程及び法を適用する際に前提となる事実とルールである法との関係をきちんと捉えることができ、またその考え方や解法/論文記載方法が日本法に非常に似ている(例えば日本の法学における三段論法と米国の法学におけるIRACとの類似)からなのではないでしょうか。(自分の場合、日本法と米国法の最大の違いは、連邦法と州法というDual Systemの有無や、民事訴訟手続の体系やプラクティスの違いのほうが大きいという気がしています。)

*1) 米国におけるコモンローは自然法的な要素を初期に強くもっていたことが大きな特徴であり、イギリスや他の国におけるコモンローとは若干異なる性質を持つと思われ、他国のコモンローについてはあまり深く勉強したことがないため、このように表現しました。

*2) 米国の自然法学的なアプローチとそれに対する批判として生まれた社会学的法学(プラグマティズム法学)とリアリズム法学のアプローチの違いと変遷については、田中英夫先生の「英米法総論(上)」313頁~315頁参照。



Rationaleを学ぶ意義


しかし、自分のような初学者が米国の制定法や判例法を学ぶ場合、とある判例で確立されたルールの前提事実やその射程範囲が、「これがそのルールに付随する事実や射程範囲だよ」と判例のどこに記載されているのか明確に分からないこともあったり、また非常にシンプルに書かれすぎているがために、英語力との関係もあって、見逃してしまっていることがあったりすると思います。

そんな見逃しをしないために自分が注目していることの1つが、この"Rationale"です。このRationaleを理解することこそが、未知のFact Patternに遭遇したとき(つまり実務家なら紛争における未知のFact Pattern、自分みたいな受験生にとっては、未知のテスト問題)、自分が理解している判例法や制定法としてのルール自体が合っているのかを再考させてくれたり、判例法・制定法の射程範囲を適切に捉えられるようにできるようにさせてくれる気がしています。(これ、本当はめちゃくちゃ当たり前のことを言っているにすぎないのですが、日本法を弁護士レベルで学んでいない自分みたいな人が米国法を勉強していると、忘れがちなことかと。)


その一例を、最近勉強している刑事訴訟法の問題から考えてみます。


例えば、刑事訴訟法において、"Exclusionary Rule"という判例法を勉強します。この判例法のルールの内容は、ざっくりと日本語で言えば、「違法な操作・逮捕によって得られた証拠は、その証拠能力(証拠力ではない)を失う」といった感じです。しかしあくまでざっと言えば、の話で、この定義は実際は誤りです。

「え、ってかそれこそがExclusionary Ruleじゃないの?」と思った、LL.M.通学中の方やBar Exam勉強中の方は、要注意です。

例えば以下の問題を考えて見ます。

A Metropolis police officer observed the defendant driving just before the driver passed the city line out of Metropolis into a neighboring suburb. State law prohibits a municipal police officer to arrest outside the territorial jurisdiction of her municipality unless in hot pursuit. The Metropolis officer, nonetheless, followed the defendant. Five minutes later, the officer observed the defendant driving erratically. The officer stopped the defendant's car to determine if the defendant was drunk. The officer administered field sobriety tests, which the defendant failed, and then arrested the defendant. Prior to trial, the defendant's lawyer claimed that the arrest was illegal and sought to exclude the officer's testimony. The trial court concluded that the officer violated the defendant's Fourth Amendment rights and excluded the testimony. The state court of appeals reversed the ruling and held the evidence admissible. The defendant appealed to U.S. Supreme Court.

Under this fact, how should the U.S. Supreme Court rule?

(Qestions & Answers: Criminal Procedure 2nd Edition/LexisNexisから抜粋)


もし、この問題を読んだ時に前述のような「違法な操作・逮捕によって得られた証拠は、その証拠能力を失う」というのが確立されたExclusionary Ruleであると理解していると、この問題を考えるときに、結構悩むかもしれません(当該警察官は州法に違反して逮捕している)。そして、本Fact Patternである「市の警察官が市外で緊急時逮捕以外に逮捕をしてはならない」という州法に違反した逮捕によって得られた証言・証拠に証拠能力が認められるか、という問題提起に対し、そのようにルールを理解しているだけだと、どういった理論で当該法律をどのように適用すればいいのかが分からず、過去にそんな事例を見たことがない限り、なかなか答えられないのではないでしょうか。

しかし、そもそもこのExclusionary Ruleが判例として確立された事例において、その結論のRationaleとされたのは、「明らかに犯罪であることを立証するような証拠の証拠能力を否定することで裁かれるべき人間が裁かれない可能性が生じるためにExclusionary Ruleはあまり好ましくないものの、米国連邦憲法の修正第4条にて禁止されている、警察官等による"unreasonable search or arrest"(不当捜査や不当逮捕)を防ぎ、警察官を抑止("Deterrence")することで国民の権利を保護する必要性はそれ以上に高く、その抑止力を働かせるために、Exclusionary Ruleを認める」というもので、そのRationaleには、4th Amendmentにおいて保護される権利がその中心として置かれています。ですので、実はこのExclusionary Ruleの定義は、正確には「米国憲法の修正第4条において禁止されている違法捜査や違法逮捕によって得られた証拠については、その証拠能力を否定する」であるわけです。

よって、これが本当のルールだと分かれば、またはルールの記憶が曖昧でも、ルールの根底にあるRationaleを理解していれば、上述の問題に関して正解を導き出すことができるようになっています。(正解は、「修正第4条の違反ではなく単に州法の違反であるため、州法で独自のExclusionary Ruleを別途定めていない限り、Exclusionary Ruleの適用はなく、当該証拠はAdmissible(証拠能力を有する)である」)

この判例等における"Rationale"というのが、判例法における法律・ルールそのものを理解する観点で重要となってくるのか、それとも法の適用の時点で重要となってくるか、というのは事案によっても異なるかと思いますが、自分みたいな勉強レベルではさして違いがない気がします。ただどちらにせよ、Fact Specificな判例法を理解したうえで未知の問題に対処するためには、FactとRuleを覚えるだけではなく、このRationaleを理解することが、本当に重要ではないか、と考えています。


そして、日本法の理解においても、社会の高度化・複雑化や紛争の背景事例の複雑化に伴い、単に法律の条文を理解しているだけでは具体的な事案に対応できないことが増えてきています。特に、自分が素人な分野でありますが、例えば著作権法の世界ではその傾向が顕著なのではないでしょうか。

そうすると、今後企業法務担当者にとっても、単に法律を理解しているだけではなく、その法律の法律要件と法律効果をきちんと理解しつつも、その法律自体の存在意義や、その法律がどのような事案でどのように適用され、その"rationale"が何であるのか、ということを学んで判例の射程や法律自体の理解を深めていくことの重要性が問われる気がしています。そして、そのRationaleに照らし合わせながら、一定の法律問題において、一定の法律効果を発生させるためにどういった法律要件を満たす必要があり、どういった事実を立証していく必要があるのか、という要件事実論を学ぶ・学びなおすことが、今後未知の問題に対処するために求められる法的スキルなのではないか、という気が何となくしている今日この頃です。

<7月14日7時50分修正。投稿した後すぐに誤りを発見して修正しました。それ以前に読んでくれた方、申し訳ないです。。。>