東京オリンピックをどうするか | きっしーのブログ

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東京オリンピックというものを開催する方向でいるが、いろいろな意見もある。

日本ではいろいろなスポーツ競技が行われている。大相撲とか、批判もあったが箱根駅伝とか、高校サッカーも決勝は無観客となったが今月さいたまで行われた。スポーツ競技を行うことに、感染リスクはないようである。クラスターが起きた報告もない。実際、緊急事態宣言の再発令までに、音楽イベントなどもされていたし、感染が報告されたこともない。主催者がいるのだから、感染が起きると大変であることは十分に認識している。

これに対し、居酒屋などの集いは、店が主催しているわけでもないし、客が個人的に集まっているだけだから制御が効かない部分がある。主催者のいるイベントで感染が起きたという事例は、現状把握していない。

 

日本人が気にしているのは、海外から人を招くことに懸念があるのかもしれない。スポーツ競技が大丈夫であることは明白だが、オリンピックとなると、競技者以外の人も国内に入ってくる。来る方にしてみれば、日本は自分の国より、感染が緩やかなのが実情なので、不安はそれほどないだろう。現状日本では、ワクチン接種もまだないのだから、競技者にワクチン接種を義務づけることはできない。その国で自主的にやる分にはいいかもしれないが、ドーピングなどに厳しい分野で、ワクチン接種を義務とすることはあり得ない。日本人も接種してない。それでも体調のチェックは競技者に対しては入念に行うから、不安はない。

 

極論すると、例え無観客でも、開会式だけとなったとしても、オリンピックは行うべきであると思う。例えば3年後のオリンピックであっても、開催される保証はない。感染症が3年後に今よりもましになっていると誰が断言できるのか。先送りしても、今より感染症が下火になっている保証がない以上、今やるほかはないと思う。

もっと未来になって、この時代の人は苦労して、それでもオリンピックを開催した、と思われたいと思う。ここで中止すると、もうそのような競技はなくなるかもしれない。戦争のようなものだから、各国の分断が進んでおり、みな本心では自国のことばかり考えるようになってきている。戦争の話をすると日本人は嫌がるかもしれないけど、戦争をして勝つためには、死者が全く出ないということはあり得ない。確かに、オリンピックも中止して、何もしなければ感染リスクも低く押さえられるかもしれないが、オリンピックは、テレビ中継を見る人が殆どだから、市中に感染が広がるリスクもなく、開催者が気をつければ済むだけである。「災害である」と規定した場合は、例えば東日本大震災時に、オリンピックをしている場合ではないという考え方もあるだろうが、これは災害ではなく、むしろ戦争に近いので、ウイルスごときに負けを宣言してしまうことは、人類の敗北であり、今後の人類はこれを取り返すことは難しくなるのではないか。

例えば赤穂浪士は討ち入りをして、腹を切ることになるが、討ち入りでの死者は出さなかった。もし何もしなかったとしたら、寿命がくるまでその後の余生を過ごすのかもしれないが、討ち入りをした赤穂浪士に共感をするのが日本人ではないのだろうか。

 

それでも多数決をとると、反対意見が多くなる可能性もあるが、おそらく、そろそろ民主主義というものは終わると考えられる。民主主義となる前は、職業は世襲だった。世襲は世襲でうまく行っていたが、これを廃止して、全ての人に学問をさせると、一時的には、有能な人間が出てくる。しかし、子孫に継承されないので、やがては衆愚政治におちいる。そうすると結局、有能な人間がコントロールして行くしかない。もう制度的には、民主主義というのは限界なので、有能な人間が全てを決めることになる。世界全体が今後そのように進んでいくので、日本の世論というものは考慮する必要がない。ただ、世界全体のイベントとなると、これに参加することになる国の意向を考慮して決定しなければならないとは思う。

 

今は東京オリンピックというと、2020を指している。もしなくなってしまったら、以前の東京オリンピックが東京オリンピックとなる。自分は生まれる前だが、戦後の、日本人が誇りをなくしていたひどい時代ではないか。せっかくやり直せる機会が与えられたのだと思いたい。

 

そのような矢先に、日本は2032年に延期を決めたなどという報道が英国でされた。これをどのように評価するかというと、2024年のパリや2028年の前に割り込もうという考えを、明確に拒否された。延期をするならさらに先ということで、今回は中止して、再度予算を積み直しになる。

なので、中止も延期もないと思われる。