思い出のプロ野球選手、今回は谷木 恭平選手です。 

 

1970年代に中日で準レギュラーから控えの域で活躍した外野手で、1974(昭和49)年のリーグ優勝では2番打者として貢献した選手です。

本ブログ記事で通算100打点未満の選手を取り上げるのは初となります。

 

【谷木 恭平(たにき・きょうへい)】

生年月日:1945(昭和20)年11月12日

入団:中日('72・ドラフト3位)
経歴:北海高-立大-新日鉄室蘭-中日('73~'80)

通算成績:737試合 打率.258 355安打 21本塁打 93打点 48盗塁

 

●個人的印象

中日の外野手、です。中日にしか在籍していなかったのでこれがすべてですが、当時思っていたよりも実際はかなりベテラン選手だったんだな(もっと若く見えた)という印象でした。当時でいうと谷沢健一選手や星野仙一投手よりも年上、というのがあまりに意外でした。

また谷本ではなく、谷木というのが個人的に不自然な印象でした。というのも親戚に谷本姓の方がいて、なんか棒が一本足りないみたいな?感がありました。

 

●プロ入りまで

高校は北海道の古豪・北海高校で、若松勉選手の2学年先輩にあたり、若松選手と高校で被っている訳です。

高校時代は2年次に春・夏と連続で甲子園に出場し、3年春も出場しました。夏は地方大会の決勝で敗退し、あと一歩で2年連続の春夏連続出場はなりませんでしたが、甲子園に3度出場と輝かしい実績を得ました。

 

高校でこれだけの実績を残しながら立教大学へ進学し、1年春季から活躍、2年次には首位打者を獲得し、4年時には全日本に選抜されるなど活躍を続け、大学卒業後に一度ドラフト(大洋10位)指名されますが入団拒否し、更に社会人野球へと進みます。

 

社会人は富士鉄室蘭で後に新日鉄室蘭となりますが、ここで約5年もキャリアを重ねる事となります。大卒時に社会人野球入りが内定していた状態でドラフト指名されたため、プロと社会人チームの関係性が悪化したといわれ、その為なかなか指名されなかったといわれています。

 

そんなこんなで二度目のドラフト指名をされたのが1972(昭和47)年、新日鉄は退社していて当時フリーの状態だったといいますが、だから指名されたのかもという感じがします。
既に27歳になっていましたが、中日から3位指名を受けて入団しました。

 

●高齢入団

という訳で、ルーキーイヤーは1973(昭和48)年、28歳になる年という高齢入団となりました。3年目には30歳になる訳ですね。

なので即戦力として期待されましたが、1年目はそれほどの出番は得られませんでした。

44試合出場で69打数9安打で打率がわずか.130に終わり、ホームランはプロ入り初の1本止まり。ただ、こんな中で盗塁5を決めており、足が武器というのは高校時代に1試合5盗塁したりなど定評ありのようでしたが、初年度はこんな感じでした。

 

●2番谷木が送りバント

1974(昭和49)年に発売されたドラゴンズの応援歌「燃えよドラゴンズ!」(歌:板東英二)には、この🎵二~番谷木は送りバント」というフレーズがあります。

この楽曲は、後に何度もその時々の選手を紹介する歌詞に変わりつつ発売されていきますが、その最初がこの1974年版であり、この年は中日が巨人のV10を阻止してリーグ優勝に輝いた年でもありました。そこにしっかりと歌われている程度には活躍した選手といえます。

ちなみに「送りバント」と歌われている割にはそれほどやっておらず、この年の犠打数は「6」でした。

2年目のこの年から一定の出番を得て、最後まで一度も規定打席に到達する事はありませんでしたが、控えや準レギュラー的に活躍を続けていく事となります。この年は190打数52安打の.274で14打点をマークしています。

そしてこの年が現役時代唯一の優勝経験でもありました。

 

●昭和50年代

3年目の1975(昭和50)年にはもう30歳になる年で、11月生まれにつきシーズン中に誕生日が来ない状態でしたが、この年は少し数字を落としてしまいました。

出番的なピークは4年目1976(昭和51)年で、この年は初めて100試合以上出場(116試合)し、唯一打席が300を越えて341を記録、316打数90安打とほぼレギュラーで規定打席へあと一歩というところまできていました。

以後準レギュラー的に活躍を続け、1979(昭和54)年まで毎年100試合以上出場を続け、1978(昭和53)年は唯一の2ケタ10盗塁をマークしました。この年は2番目に出番の多い年でしたが、5本塁打21打点とそれぞれキャリアハイの成績を残しています。

 

1980(昭和55)年は100試合を割り込み、61試合出場に終わり、打席も107に減り、96打数25安打の打率.260で1本塁打8打点と、まだできそうな成績ではありましたが、この年35歳になる年で引退しました。

 

 

現役生活は僅か8年で終わりましたが、28歳のシーズンデビューだった事を考えると十分に現役生活を送れたのではないのかと思います。

 

 

 

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