DaiGo氏の発言が問題に成った時、私も「自分がその立場に成る可能性を考えていないバカ」だと思いました。
生活保護を受けている人の中にも、元々は優秀だったり、勤勉だったりした人が居て、病気などで保護を受けざるを得ない状況に成った人も居ると思います。
DaiGo氏はルックスも良くスマートで話題も豊富。YouTubeのチャンネルも人気です。
しかし、そんな彼も、事故に遭ったりして、体や脳に障害が残る可能性は0では有りません。
しかし、この考え方も、偏見は有るわけです。この記事で思い知りました。
「こう成ったら生活保護を受ける可能性が有る」と思うことで、結局どこかで保護を受ける条件に、線引きをしてしまっているわけです。
この記事が示しているのは、「どんな状況に有っても困窮する者を救うべきだ」という考え方です。
その通りだと思います。
私も過去、就職氷河期に、生活に困窮した時期が有りました。
五体満足で健康でしたが、手当たり次第、週に5社も面接を受けていると、生活費を稼ぐ暇すら有りませんでした。
当時は親や恋人から補助を受けて生活していましたが、彼女らに負担をかけずに保護を受ければ良かったと、今になって思います。
積極的理由付けをすれば良いのか
結局、なぜこのような記事を起こして、「無条件に、困窮する全ての人に生活保護をすべき」ということをわざわざ伝えなければならないのか?
保護を受けていない人たちは皆、競争にさらされて、そのほとんどが苦しい生活を送っています。
やはり多くの人が、「生活保護を受ける人はズルい」と感じているからだと思います。
では、もっと積極的な理由付けをして、保護の平等化を進められないかと考えました。
過去のブログで、障害をお持ちの方々が傷つけられた事件を受けて、なぜ彼らを保護する必要が有るかを説きました。
その理由は「人類の多様化」です。
例えば、洞窟の中に、何万年も前の壁画が見つかりますが、それらは水源などを示す地図になっており、それらを書いたのは、特殊能力を持つ、自閉症の人たちだとする論文が出ています。
一見すると、何の役にも立たなそうな障がい者に、人類は過去助けられて、生き延びてきたということの証です。
どんな能力が人類を救うかは、分からないのです。
だから人類は多くの同胞を助け、いかに普通じゃない人でも、生きる道を作ってきた、これが積極的な保護の解釈です。
DaiGo氏は、所詮ものを知らない子供だと思います。ネコね。俺も好きだけどね。・・・
犯罪者も保護すべきなのか
過去、「ヒトラーが生きていたら人権は認められるか」というブログにて、他人の人権を侵害する者=犯罪者は、人権が制限されると書きました。
犯罪者の中には、小児性愛者など、一部遺伝などの先天的理由で犯罪を犯す者も居ます。
そういった人たちも保護しなければならないのか?
その問いには、先の記事も、私が提唱した積極的理由も、答えられてはいません。
そのような理由も有って、「全ての困窮者の保護」は、なかなか受け入れられないのだと思います。
そして、それ以前の、根本的問題が存在します。
保護対象者が過半数を超えた時
過去のブログでも書いてきましたが、今後、AIやロボットの導入が進み、多くの人が仕事を失うという予想がされています。
その予想では、仕事を失う人は、全人類の過半数を、近々超えるとされています。
仕事が無ければ当然、生活は成り立たず、生活保護を受ける必要が有ります。
しかし、これほど多数の人間が生活保護を必要とした場合、当然、財源が確保出来なくなります。
すでにここ日本でも、自治体の予算が底をつき、生活保護を出しづらい状況に陥っています。
様々な考え方を見てきましたが、保護は人道的に見て、全ての人に必要なものだと思います。
しかし、その財源の問題は、これから解決していかなければなりません。
ベーシックインカムの議論を進める必要が有ります。