「人権」とは何なのかを考えてみたいと思います。
もし、ヒトラーが生き残っていたら、その人権を尊重されて、普通に生きられたと思いますか?
答えはもちろん「NO」だと思います。
戦後、戦勝国である連合国によって、一方的に敗戦国である枢軸国の軍人や政治家を裁く裁判が開かれました。
東京裁判やニュルンベルク裁判を見ると、もしヒトラーが自決せずに生き残っても、死刑に成ったに違いありません。
一方的な市民の虐殺を行った彼の人権は、完全に否定されたと思います。
現代の刑罰を見ても、犯罪者は人権の制限を受けます。
つまり、他人の人権を侵害する者には、人権が制約されるということです。
「テクハラ」とは何か
少し前に話題に成っていたハラスメントの一つに、「テクハラ」が有りました。
「テクハラ」は「テクニカル・ハラスメント」の略で、PCなどが苦手な年配の社員に対し、無理やりPCなどを使用しての業務を強いることです。
さて、すでにこの時点で「?」な方も多いと思います。
私も初めて聞いた時「何のこっちゃ」と思いました。
「それってハラスメントなの?」と。
「いくら頑張っても出来ないものをやれと言うのはハラスメント」なのだそうですが、そういう人は普通、クビなのでは無いでしょうか?
もちろん、労働法により、簡単にはクビに出来ないようには成っていますが、だからと言って、こんな主張がまかり通るものなのでしょうか?
日本の労働法の場合、それがまかり通ります。
日本の場合、「被雇用者が業務に向かない場合、配置転換して雇用を維持しなければならない」とされているからです。
しかし、今時PCを使用しない部署など、ほぼ有りませんよね。
要するにPCの使用は、必須の時代的転換です。配置転換の適用は難しいのです。
そして言えるのは、こうした主張をする人は間違い無く、頑張って時代的転換を受け入れ、勉強し、使いこなせるように成った多くの人の足を引っ張っています。
だから違和感を持たれて無視されて、今では「テクハラ」はほぼ死語です。
「ワクハラ」とは何か
最近良く耳にするのが「ワクハラ」です。
「ワクチンを(様々な理由から)打ちたくないのに、打てと職場などから強要される」ハラスメントのことだそうです。
以前のブログでも書きましたが、私見としては「ワクハラ」は認められないと思います。
理由は単純で、ワクチンを打たない動機が全て非科学的であること、医療従事者に過大な負担をかけつつ病床を埋めて、他の患者の迷惑になること。
そして、経済活動の再開の妨げに成ることです。
しかし、ワクチン接種の強要は、私権制限になるために、世界的にも慎重に成っています。
その影響で「ワクハラ」を権利として認める向きが有るのも事実です。
他者の権利を侵害する権利は認められない
「テクハラ」も「ワクハラ」も共通するのは、他者に迷惑をかけるということです。
ヒトラーという極端な例を出しましたが、他者の人権、権利を侵害するものは、その権利を認められないということです。
この大前提を、今一度、議論する必要が有ると思います。