時は流れて | レさんのブログ改めジャンク・エッセイ

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活字中毒の方、ヒマ潰してみませんか?

 本日、昼過ぎにお仕事が終わり帰宅。しばらくすると母上からの電話である。

 

 脱衣場に置く小型のヒーターが欲しいから適当にポチってくれろと言う。

 希望にそぐわぬモノであればまたややこしいことになるので、「品名を調べるか、写真をくれろ」と言うと、確かにそうだ

、とそこは引き下がった。もう今まで同じような事象が何度もあったので、こちらも慎重である。

 

 ところが。

 

 しばらくするとまた着信。今度も今一つ不明瞭な事を言う。先年に鬼籍に入った親父どのの同僚がうんたらかんたらと、これかた今一つ要領を得ない内容である。

 その電話もなんとか、いなしたが、まぁ一応は気になって、本日のランニングコースは実家往復にしよう、と思い立った次第。

 

 実家までは片道5キロ弱である。ちょっと前ならいざ知らず、今の僕なら通常営業の距離である。

 12月の夕刻の風を受けて僕は勇躍柱出した。

 

 ひとしきり走って実家に近づいた時、幼少のみぎりよりお世話になっているご近所の方々と会った。

 「ご無沙汰しております母がお世話になっております」など一昔前の僕であれば絶対言わないであろう言葉を交わしたあと、「娘が帰ってきとるとよ」と言う。娘とは僕の同級生で、まぁ幼なじみである。是非、会いたいと言うと、程なく同級生が出てきた。ちなみに会うのは20年ぶりくらいである。

 

 程なく玄関からくだんの幼なじみが出てきた。このご時世、マスクをしていたが(途中で取ってくれた)そこにいたのは紛れもなく、あの同級生だった。

 

 向こうは一見してピンと来なかったようだが、しばらくすると「あーーーーーーー!!」と予想以上のリアクションが帰ってきたのである。(ちなみに女性である)その後は思い出話が止まらず、しばらく談笑してしまった。

 

 相変わらずの幼なじみであった。

 

 小学校高学年からクソヲタだった僕とは違い、彼女はバリバリのスポーツ少女でバレー部。

 その当時はあまり接点がなかったものの、同年代というのはここまでも盛り上がるのか、と自分でも感心した次第である。

 彼女も結婚して、しっかりと母親であり、その違和感に戸惑いはあるものの、それは向こうも同じだったであろうと思う。

 最後は、連絡先を交換して「いずれご近所の同級生で会おう」と別れた。

 

 冷たくなった暮れ時の風の中で、甘やかな時間がゆっくりと元に戻ってゆく。

 

 宵闇の中で、暖かな家々の明かりを横目に見つつ、時は残酷で、でもまれに優しかったりもするのだなぁ、と思った。