デッド・ヒート

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  本日の暮れ方のこと。僕はまたぞろ走りに出かけたのである。

 

 先から駆ける距離を9キロに伸ばしておる。まぁ、ハードコアなランナーなら何とは無い距離であろうが、僕にとっては未体験ゾーン(©️山嵐)なワケだ。3キロから始めて二年近くかけてここまで来た。今年五十路を迎えるオッサンにしては、頑張った方である。

 

 心臓破りの坂を早足で登ってアップがわりにして、高低差のある住宅街を抜け長い直線道路に出る。僕のBOSEも調子を合わせてアンジュルム とスマイレージのオリジナルミックスを鳴らしてくれている。「あーショートカットってやっぱり良曲。つんく♂良い仕事するわー」とか何とか妄想に浸りつつの油山観光道路。おっと、信号が赤だ。

 

 僕はランニング中は特に信号厳守である。何なら、こうしてイヤホンもしておるし「まぁ、トーシロランナーって自分の事しか考えて無いのね。ホンっと迷惑ぅ」とか言われたかぁ無いからである。あ、信号が変わった!行きましょっかね…

 

 それは一陣の風、鎌鼬の様であった。

 

 顔の判別すらできなかったが女性。其奴が凄まじい勢いで僕を抜いていったのである。僕の肩にかすかに触れた化学繊維がシュッっと鳴った。断ち切られたかと思ったぜ。って大袈裟な。しかし、本当にそれぐらいの勢いがあったの。

 あの加速、信号手前から速度調整をして青に変わるのを待ちながら走り、横断歩道にかかった瞬間に合わせて加速しやがったのだ。チッ…俗物が…!(©︎ハマーン・カーン)とは流石に聞こえなかったが、それぐらいの威圧感はあった。

 

 まぁ、ぐちゃらぐちゃら書いておるが、要するに抜かれて頭にきたワケよ。しかも肩に当たらんばかりの勢いで抜かれて。

 

 僕は奴を追った。ペースはかなり速い。奴はイヤホンを装着しておらぬ。ということは、僕の足音が聞こえているハズだ。しかし、それなのに。躊躇するそぶりさえ見せぬ。時折腕の時計でタイムを確認しておる様だがそれだけ。僕など歯牙にもかけておらぬ。

 

 それに比べ僕はかなり苦しかった。追い抜けないことは無いが、ここで追い抜いてしまうとこの先のスタミナが持たないであろうことは容易に察せられた。「どうする?ブチ抜いて終わらすか?」と自問しておるうちに奴はまたペースをあげた。無念…ここまで…か…と僕は…そのまま走ったけどね。

 

 しかし、怪我の功名というか何というか、奴がペースメーカー様の働きをしてくれて僕のキロ当たりの所要タイムが5分台になっておった。これはこれで嬉しい。悔しいがあやつに感謝してやる。ことにする。しかし…

 

 好事魔多し。現在、腿の筋肉が悲鳴を上げておる。やれん。これでは自滅ではないか。やはり、まだまだである。無謀な闘いであった。

 

 

 

 

天部及び明王推し

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 先の連休の事である。折からのしのつく雨をついて、九州国立博物館に行ってきた。

 

 何故故に?『京都 醍醐寺 真言密教の宇宙』を観に行ったのである。

 

 僕の仏ゾーン好き、いや仏像好きは(『仏ゾーン』は武井浩之氏作のマンガ。仏像好きなら読んで損無し)この密教から始まったと言っても過言ではないからなの。

 

 

・仏ゾーンのセンジュくん

 

 では、そもそも『密教』とは何なのか。これがなかなか奥が深くヒトスジナワではゆかないので、簡単に説明すると「修行を通して生きながらにして仏に解脱する仏教」である。多分…

 

 この密教、大日如来を中心とした曼荼羅や帰依する者を守る五大明王、独鈷杵などの密教宝具など厨二心をくすぐるアイテムが満載なの。

 例えば曼荼羅。『聖闘士星矢』黄金聖闘士・乙女座(ヴァルゴ)のシャカが技を放つ時、バックにドーンと描かれておるね。

 

・シャカvs一輝

 

 そして、五大明王。よく極○の方々の背中にいたりする、問答無用にカッコ良い方がた。右下から時計回りに降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉の各明王と中央が不動明王。

 

 

 密教宝具。『孔雀王』を覚えておられるだろうか?そうそう孔雀明王も密教の仏様だ。それに『うしおととら』の蒼月潮が父にして光派明宗の退魔僧・蒼月時雨。彼らが退魔に使用していたのが独鈷杵や三鈷杵、五鈷杵(両側の刃が増える)や、宝輪である。

 

・各杵

・宝輪

 

 そう、僕はもともとマンガから興味をそそられてこの世界に足を踏み込んだのであるが、いやはや面白い。その中でも醍醐寺は密教の原点とも言えるお寺であり、これは見逃せねと馳せ参じた次第。

 

 展示室内は、もう密教の小宇宙(あえてコスモと読んで)。様々な仏像、経典、曼荼羅、宝具がところ狭しと展示されており、門外漢だった妻君も虜にしてしまった。「そうだろ。すごおいだろ密教は。仏像は?ああん?」と、何故か鼻が高い僕である。別に僕が徳を積んだワケでも無いのにね。呆れたナマグサ野郎である。

 

 惜しむらくは美術館という性格上。全てが美術品に見えてしまうという点。その点では秋に訪れた京都の三十三間堂の感動には及ばなかったが、それでも素晴らしかった。ダメ押しに有料でレンタルできる音声端末で解説を担当してるのは、みうらじゅん氏といとうせいこう氏の見仏記コンビである。聴きたい、と言ったら、妻君が明王の表情になったのでやめた。

 

 展示されている収蔵品もかなりの数であり、福岡近辺にお住みの仏マニアなら行って損は無い、と断言する。密教バンザイ。

 

 最後におねだりしたら、妻君がこれを買ってくれた。有難や有難や。