やっと読み終わりました。

 

 

 本作の主人公。 

 エピソード1で、兄ピエールからひどい目にあわされたアントワーヌの娘、ジェルヴェーズです。

 

右端のメモは無視を。今となっては書いた私も判読できません。

ジェルヴェーズ、アントワーヌ・マッカールの次女です。

 

 

 冒頭からジェルヴェーズとランチエのDV混じりの夫婦喧嘩。

 数ページでランチエは罵詈雑言を吐きながら娼婦と出奔。

 そこに言い寄ってきた、気のいい板金工のクーポー(p59)。

 隣近所に嫌味を言われながら、二人は結婚。

 しかし、結婚式は土砂降りの雨の中で行われ、食事会も暗い雰囲気(p93-137)。

 暗雲垂れこめたこういう感じが、いかにもゾラ。

 

 しかし、その後の数年は二人は「仲の良い夫婦」で(p137ー)、貧しいながらも一生懸命に働きます。

 とはいえ、仕事から抜けられないジェルヴェーズがナナを自宅で出産してしまう(p142-143)といういやーな逸話が、ゾラらしく途中で挟まります。

 クーポーが素朴に大喜びするので、雰囲気的に相殺されますが。

 

 そこにグージェという、貧しいながらもきちんと育てられた若者も絡んでくる(p153)。

 グージェはジェルヴェーズのことを愛していて、ジェルヴェーズもそのことを分かっているけれど、お互いにプラトニックで控えめな(意気地がないともいえる)愛情の交歓が描かれる。

 エゴと欲望ばかりのこの小説で、なんともほっとするのですが、この関係、最後の最後で読み手をどん底に陥れることに(p175-176、232-236、258-260、343-347、382-383、571-575)。

 

 

 さて一生懸命に働いた二人。

 お金がそこそこ貯まって、ジェルヴェーズは数人の女性を雇って洗濯屋を開くことになる(p183)。 

 一層、仕事に精を出すジェルヴェーズ。

 ジェルヴェーズは自分の誕生日の食事会を思い切って豪華なものにし、ささやかな幸福の時間を過ごします(p275-316)。

 ただ、具体的描写はゾラらしく意地が悪いのですが。
 

 そして、この時が幸福の絶頂。

 微妙な陰りが・・・

 姿を消していたはずのランチエが現れる(p251ー)。

 

 

 

 ・・・と、ここまで読むのに2か月かかりました。

 というのも、私には少し冗長に感じておりました。

 しかし、ここから急に面白くなります。

 私は後半を一気に1週間程度で読了しました(週末か夜中しか読めないので実質数日)。

 

 

 

 ランチエを避けていたジェルヴェ―ズですが、クーポーがランチエを引っ張り込んで同居することに(! p327)。

 

 クーポーがなぜこんなことをしたか、ゾラは詳しく書いていません。

 おそらく酒浸りで性的にダメになって、倒錯的感情での行為というのが私の下衆な勘ぐりです。

 

 1年もたつと、当然、ご近所さんはランチエとジェルヴェーズの関係を怪しむようになる(p338)。

 ジェルヴェーズは絶対に指一本触れさせない覚悟でいるのだけど、どこか自信がない(p347)。

 そして、あまりにもなクーポーの醜態(吐瀉物だらけで寝てる)を見た夜、とうとう・・・・(p367-368)

 その時、ナナは「性的な好奇心でぎらぎら輝」く目でじっと眺めている(!)。

 

 以後、ジェルヴェースは徐々に気力を失っていく(p383)。

 清潔だった家は汚れ、仕事も雑になって注文は減り、借金があっという間にかさんでいく。

 自分への失望、怒り、罪悪感、そして羞恥心で動けなくなったのでしょう。

 

 一方のランチエは、ぬけぬけと家に入り込み、とうとうジェルヴェーズに店を手放させる(p395)。

 その店はジェルヴェーズと因縁浅からぬ女性(ランチエの愛人になっている)が買い取り、チョコレート屋に(p427)。

 

 とんでもない勢いで零落していくジェルヴェーズ。

 

 

 ほかにも貧しい人々の描写があるのですが、とりわけp448-455、544-550の、父親にひどい虐待を受けながら、3歳と5歳の弟と妹を一生懸命に世話をし、父に殴り殺された(!)母の代わりに家を維持して、可憐に生きるラリーちゃんの話は涙なしには読めません。

 まったく救いがない。

 

 

 自棄的になるジェルヴェ―ズ、ついに酒に手を出す(p455)。

 

 クーポーは精神病院(サン・タンヌ病院!)の入退院を繰り返す(p458-459、460、528-529、594-601)。

 そして、とうとうジェルヴェ―ズも・・・・(p562-579)。

 

 最後のグージェとのシーン。

 読み手としては、かなり、精神的に厳しかったです。

 でも、面白かった・・・・(私はサディストか?)。

 

 

 後半からの徹底的な転落ぶりが本書の読みどころで、それを効果的にするために、慎ましくも幸福な前半があるのかもしれません。

 それにしても前半が長すぎた。

 とはいえ、やはり名作です。

 

 

 

 

 本書で意外だったのが、登場人物の性格を、ゾラは気質で決定されるとは考えていないことです。

 というのも、ジェルヴェ―ズは怠惰どころか、むしろ働きものとして描かれている。

 しかし、彼女がちょっとした過ちから意欲を失うと、経済的ゆとりがないために瞬く間に困窮する。

 困窮は人を加速度的に萎縮させて自尊心を奪い、希望を失わせる。

 そして希望も自尊心もないことが続くと、やがて人は自棄的になる。

 そこに貧困故の寒さや飢えが重なると、だるさと苛立ちだけしか感じず、人間らしい向上心や克己心などが一切消え失せた、生きているだけの何かになり果て、もはや生活の立て直しなど期待できない状態になる(p440から460あたり)。

 

 問題は気質だけではない。

 環境、特に経済的な環境や、失敗に対して社会がセイフティー・ネットを準備しているかが関係している。

 

 面白いなあ、ゾラ。 

 (当時の)精神科医よりすごいなあ、ゾラ。

 

 

 

 

 

 落ち葉拾い。

 

 クーポーの姉でルラ夫人(p65、105、115、277、310-311、401-402、437)、「ナナ」で彼女の後見人になります。

 「ナナ」では娼館の女将みたいに描かれていますが、本作では素行のいい人。

 とはいえ、ナナのことを「今にたいした女になる」と意味ありげなことを言ったりしています(p145-146)。

 

 

 本書でナナは、6歳にしてお医者さんごっこなんかしてたりする、アレな女の子として登場(p211-215)。

 第11章は15歳になったナナのご活躍が描かれ、全く読むつもりがなかった「ナナ」を読み始めています。

 

 

 あとポリーヌという子がナナと”悪いこと”をするのですが、あのポリーヌ(「生きる歓び」)とは別人のようです(たぶん)。 

 

 

 それからまだ幼いクロード(「制作」)とエチエンヌ(「ジェルミナール」)が出てくるけど、ジャック(「獣人」)は出てきません(たぶん。家系図参照)。

 後から付け加えられたのでしょうか?

 

 

 なぜかジェルヴェースの誕生日が明記されていて6月19日という設定(p264)。

 どうしてこの日付なのか色々調べましたが不明です・・・。

 あとルーゴン家側の三代目がウージェーヌで、ジェルヴェーズはマッカール家側の三代目ですが、本作は「ウージェーヌ・ルーゴン閣下」の次作だったんですね。

 暗躍する政治家の活躍を描いた次回作が、貧困の中で生きる人々を描くって、すごい振れ幅です。

 

 

 最後。

 本作では第二帝政に対する怒りがちょこちょこ描かれます。

 「第二帝政がフランスを淫売屋にした」(p514)という台詞や、工事で人工的に美しくなっていくパリへの違和感(p516-517、556)など。

 ゾラは第二帝政に否定的だったんでしょうか。

 

 

 ちょっと調べてみます。

 

  

 

 

 

 

ゾラ「居酒屋」  古賀照一訳

560円(?古書)

新潮文庫

ISBN 4-10-211603-6

 

Zola E: L'Assommoir.  1877