とうとう読み始めたルーゴン・マッカール叢書。
でも全部読むつもりはないです。めぼしいものだけ。
エピソード1から。
すごく映像的な小説でした。
第1章、16歳のシルヴェールくんと年下のミエットちゃんが、1851年12月の早朝、寄り添いながら蜂起した人々を待つところから始まる。
この章では、二人の背景、まったく説明なし。
ただゾラらしく、体格、顔貌の描写がやけに細かい(p12-13,18)。
で、時間が飛ぶ。
解説によればプロヴァンス地方をモデルにした、人口が1万程度という設定の架空のプラッソン市が舞台。
その城壁の外側にある墓地が移動し、空き地になったところに勝手に住み着いたアデライード。
ルーゴンという愚鈍な男と結婚して子をなす。
夫が死んで、今度は飲んだくれのマッカールと子をなす(もちろん、これら3人の体格、顔貌、性質も細かく描写p49-53)。
このカップルの子供たちから(同上p56-58)、冷酷なルーゴン家と酒飲みのマッカール家の壮大なサーガが始まる。
第2章は、それぞれの家系の子供達(アデライードの孫たち:三代目まで)についての断片的な逸話が続きます。
長男のピエール・ルーゴンが違法すれすれ、しかし合法的に財産を独り占めしたこと以外(p65)、ほぼ物語らしい展開はない。
外連味ある描写で読ませるけれど、なんだか粗筋の紹介で小説らしくないなあという印象。
しかし、第3章から面白くなります。
「野獣のようにがつがつしているこれらのずんぐりとして貪欲な田舎者集団」(p75)「下司集団ルーゴン一家」(!p119)のピエールが成り上がり、プラッソンで「田舎者」なりにサロンを作り上げていく過程が描かれる。
第二共和政だった当時、不満を抱き、不遇をかこつ上流階級の保守反動派を集めていた。
一方、ナポレオン戦争の元兵士だった弟のアントワーヌ・マッカール。
子供を搾取するようなろくでなしですが、彼の気質は共和制にフィットした(p156)。
身分に捉われずに金儲けできる。
気に入らない連中は金をとって殺せばいい(共和制というより革命後の混乱のことでしょうけど、アントワーヌにはそういうことはどうでもいい)。
共和制を気に入る人物がろくでもないという皮肉、ゾラの真骨頂。
しかも、マッカール、新聞で読んだ理解してない知識を使って、政治について「精力的」で「饒舌」に「御託を並べ」ることができた(p156-157)、つまり演説がうまかった。
‥‥ゾラ、貧乏画家だった男が、同じような手法で約60年後のオーストリアで政治家として頭角を表すことを、まるで予言しているみたい。
彼も第一次世界大戦で従軍しており、貴族の多かった国防軍に「われらが伍長」と揶揄されていた。
話を戻して、アントワーヌは兄に金をとられた恨みを原動力にして反ルーゴン、つまり反保守=共和派として動き始める。
で、アントワーヌは役に立たない自分の子供たち(やはり彼らの体格や性質の描写が細かい p150-151)は放っておいて、幸薄いながら努力家(でも、表現が意地が悪い。勉強して社会への怒りを持っているけど、本質的に頭が「弱い」・・・って私でなくゾラがそう書いてるんです p167-169)のシルヴェールを巻き込んでいく(p161,171,178-180)。
そして蜂起軍が編成される(第4章)。
フランスの片田舎の兄弟間の金にまつわる醜い争いが(出世したい兄=王党派、金が欲しい弟=共和派)、そのままフランスの歴史に投影される。
しかし、実際は規模が小さいケチな話なだけに、滑稽なまでに大仰な発言や行動をする登場人物たちの俗物ぶり、そして意地汚さが、露骨に浮き上がるという、まさにこれぞゾラ!
このあたりのフランスの歴史に不案内な私用に。
栞の年表では;
1789年 フランス革命(共和制)
1799年 ブリュメール18日のクーデター → 1804年 ナポレオンによる第一帝政
1814年 ブルボン王朝の復古王政
1830年 七月革命 オルレアン朝の七月王政
1848年 二月革命 第二共和制
1852年 ナポレオン三世による第二帝政
で、ナポレオン三世の第二帝政成立のごたごたを本作は描いているんですね。
しかし、ほぼ10年おきにクーデターって、安定しろよフランスという感じもします。
一気に物事をひっくり返すことがいかにリスクかわかります。
ほぼ100年間、安定していないのだから。
話を戻して、第5章。
ここから急に面白くなる(それまでも十分に読ませるけど)。
時間軸が冒頭にいったん戻り、さらに遡ってティーンエイジャーの二人の出会いと幼い恋が描かれます。
ここが切ない。
性の領域に(知識がなくて)踏み込めずに戸惑う二人の描写がいい。
しかし、ゾラらしく、たまに身も蓋もない。
「一種の性的興奮にあふれた」(p228)「異様なまでに心をかきみだす官能なしびれ」(p249)
実際の行動は自然の中を歩き回ったり、泳いでいるだけなのだけど。
聖母昇天の日(p230)にあることが起きる。
壁越しで出会っていた二人が、かつてマッカールとアデライードが密会で使った壁に作った扉を「通り抜ける」ようになる。
二人の間に<壁>がなくなり、愛欲を満たすために作られた扉で自由に出入りができるようになる。
この日はフランス大使館のHPによるとフランスでは大変ににぎわう、大事な祝日のようです。
聖母被昇天祭 - La France au Japon (ambafrance.org)
「フランダースの犬」で最後にネロが見る絵の題材ですね。ああ、泣いてしまう・・・・
ルーベンスの「聖母被昇天」 wikiから転載
無原罪のマリアが天国に召された日に、二人の関係が引き返せないものになる。
おそらくこれと関係するのがp244-245のシーン。
ミエットがそこらにある「一房のぶどう」「アーモンド」などを「平然と摘んだ」。
シルヴェールは「悪い子だ。僕を泥棒にするつもりなんだ」と思う。
これ、よく考えるとおかしい。
ミエットは自然の果実を摘んでいるだけです。
その後、二人は(おそらく性的感情で)<なぜか>「息苦しくなる」。
そう、失楽園です。
二人は無原罪ではなくなり、追放されたわけです。
ちなみにキリスト教圏ではぶどうはもちろんキリスト自身、アーモンドは神からの恩寵を意味するとのこと(光背はアーモンドを擬しているそうです)。
で、再度、冒頭に戻る(p256)。
蜂起軍はどうなる!
二人の運命は!
第6章以後。
とうとうルーゴン家はプラッソン市を完全に掌握する。
ここからは心理小説+政治小説割る2で、無茶苦茶面白い。
一気に読み終わりました。
本作の面白さは政治闘争で何が重要かを、娯楽小説の中で描いている。
重要なのは、大義、高い見識、崇高な理想、勇気などでは全くない。
真意は関係ない時機にかなった形式としての発言(p282、343)。
同じく振る舞い(やはり真意はどうでもいい、ただの形式)(p303、332)。
情報のいち早い掌握(p289、296、321-323、344)。
「敵」を作ること、そして「戦闘」(「敵」は実は雇われでもいい)(p338-356)。
最後に再び映画的な描写が。
蜂起軍と正規軍の血みどろの遺体が転がっている戦場で、シルヴェールにある運命的出来事が起きる。
そこから改行だけして、勝利に酔うルーゴン家の不道徳極まりないサロンに一気に場面転換する(p391)。
行をあけるとか、印をつけるとかでない。
ただ改行するだけ。
本当に面白かったです。
「居酒屋」「ナナ」のイメージしかない方、必読。
ちなみに最終巻を先に読んでいたので、パスカルが本作ですでに登場しているのですが(p79-80)、やはりなんだか変人扱い。
まともな人がひどい目にあうという、生真面目な思春期の皆さんには禁書にしたい名作です(←あ、もちろん冗談ですからね)。
「ルーゴン家の誕生」 伊藤桂子訳
3800円+税(古書)
論創社
ISBN 4-8460-0403-1
Zola E: La fortune des Rougon. 1871