GWは子供たちと出かけて体中が痛いです。
エライ方から「どこにも行くな」とのお達しだったので、近所でサイクリングしたら老体には意外にきつかった・・・・
さて、サーガ大団円の第20巻(先にこれを読んでしまっていたのですけど)。
フィナーレにふさわく、全世代が勢ぞろいのシーンがあったり(p75)、サーガの全物語の簡潔なおさらいがあったり(p118-125)します。
特に後者。学生さんならレポート作成に「使え」ます。
でも、ずるせずにしっかり読みましょうね。
主な登場人物は3人。
ピエールの次男、パスカル。
賢く美しい姪のクロチルド(ポリーヌやナナと同世代で、遠い従妹)。
それと気持ち良いくらいに主人思いの女中のマルチーヌ。
さらに重要人物として、第1巻では「プラッソンのマクベス夫人」だったあのピエールの妻、フェリシテが再登場して活躍(?)します。
さてパスカル博士、自分の一族を範例として遺伝研究をしている(p36、56、126 第1巻からしていました)。
パスカル博士はゾラ自身ともいえる。
遺伝と環境の関係を考えるのが彼の文学的実験でしたから。
なので、第1巻から登場人物たちの遺伝形質、つまり容貌や性質が一々細かく描かれていましたが、本作も同様。
冒頭からクロチルドの容貌、熱中して空想に浸りやすい性質が描かれる(p2、4-5、46、88-89)。
ただしクロチルドは、パスカルの教育によって科学的精神が育まれて性質に調和がある点(p87)で、これまでの登場人物と違う。
ところで、パスカルの理論、ちょっと面白いです。
たとえば肺結核は感染症なので遺伝しない(当時の帝大のエライ先生よりも真っ当!)。
しかし、組織に退化した部位があり、そこが感染しやすくなり発症するのだと彼は考えている。
だから、該当組織の遺伝を変化させ、強くすればいいという理論(p39)。
この発想、「退化」という文言さえ取り除けば、今、話題の何か(DNA→mRNA→たんぱく誘導という遺伝も絡む機序に介入して、免疫系を補強する)に似ていなくもないです。
と考えると、ゾラがすごいのか、今話題の何かが19世紀っぽい(←言い過ぎ。不謹慎ですいません)のか。
さて、クロチルドとパスカル。
紆余曲折あってからの生活は、極貧の中でも互いの信頼と愛情さえあれば生きていけるという、まったくゾラらしからぬ甘くも微笑ましい、そして切ない展開となります(p254ー)
ゾラだから、どこかでえげつない展開になるかと思えば、そうならない(!!)。
そしてパスカルはクロチルドを愛することで、あることに気付く。
自分が何よりも望んでいたことは「自分を継承する子供」だった(p108、117、273)。
そして、退化ばかりに関心を向けていたパスカル(たぶんゾラ自身でもある)は愛を知ることで「希望がある」と考えるようになる。
以下引用。
外からやってくる新たな血によって家系が(略)回復される(。略)結婚は毎回別の要素をもたらし(略)退化を阻害する効果がある。裂け目は埋められ、欠陥は消え、運命的な平衡が数世代の後に復活する。だからかならず最終的に出現してくるのは普通の人間だ。(略)知られざる仕事に粘り強く取り組み、未知の目的に向かって突き進む人間だ(p129)
以上引用終わり。
さらに、環境によって人間の性質は変わりえると考える(p305,312-313)。
そしてパスカルは遺伝により悪の形質が発生するとしても、生命そのもの、その流れを大いなる共感とともに受け入れる(p130-132、215、319、324)。
また、「絶対的な悪は存在しない」(p136)、「自然の誤りを正し、手を加え、修正し、自然の目的を妨げる」つまり「健康で、よりたくましい人類」を夢想すること、そのような「権利が私たちにあるだろうか」と自問し始める(p214)。
パスカルは(ゾラは)、ついに遺伝を「修正」するという発想を捨て去る。
パスカル、というかゾラの結論。
遺伝、環境、性質、それぞれの「調和」「均衡」が重要である(p333,336-337)。
私たちにとって価値があるのは、「生命が課す仕事」を果たし、「健気な諦念」で「健気に生きる」「あるがままに生きる」こと(p38、378-379、382、390)。
そして生の流れを途絶えさせないこと、既存の恋愛小説に描かれず、性愛関係で無視されてきた<子をなすこと>が重要なのだ(p217、291、390)。
(注:19世紀の小説とはいえ、お子さんに恵まれなかった方に対して、この発想はどうなのかというご意見もあるでしょう。私的にはゾラの結論の射程は、現実に子を作るか否かに限定されず<生の流れを人工的に制御しない>と言い換られる奥行きを持っていると愚考いたしますがいかがでしょう。私的には、若さに価値を置く考え方のほうが気持ち悪かったです p169-170、172、272、294、300)
なんというか、感動的です。
関連して、ゾラの世界観と思しき対話のいくつか。
科学と伝統、啓示(宗教)との相克(p92-99)。
パスカルのセリフ:
「科学は幸福を約束しない」(p93)
とはいえ「前進する歩みは(略)続いていく」(p95)
宗教は「後ろへの回帰」(p96)
そして、残念ながら「平等は存在しない」(p97)
クロチルドのセリフ:
「生命はおぞましい」 (p97)
「勝利した種を太らす(ママ)ために弱き種を滅ぼすのが正義なのか」(p98)
さらに彼女はパスカルに訴える。
理性、科学でも、彼岸、宗教でも埋まらない、欠けている何かがある(p186-187)。
それは「愛と生命の活動」「神性」「全的所有」(p188)。
フェリシテのセリフ:
「フランスは強い生命を持っている(略)私は生命を信じている」(p105)
あの野心で陰謀をめぐらすフェリシテがこんなことを言う!
メンタルヘルス的に面白かったこと
「憂鬱」を抱えるパスカルの性質が過剰な自己観察と不確実感(p149-150)。
「崇高な理念」「熱狂的な確信」が「誇大妄想」の始まり(p148)
パスカルのセリフ
「治療というのはそれに携わる人次第なんだ」(p158)
単純だが重要な処方は「元気づける環境」(p216、378)
落ち葉拾い。
ある一人以外、ルーゴン・マッカールの血筋は絶えるのですが、その死に方。
マッカール家は火にまつわる(詳しくはお読みください。奇怪です p225-227)。
ルーゴン家は血にまつわる(これも不気味 p238-240)。
たぶん、四体液説と関係。
火は胆汁質と関係。
胆汁質は行動的だけど衝動的。まさにマッカール家の性格。
血は多血質のようだけど多血質は風と関係するので、流れる血を水とすれば粘液質と関係しているかも。
粘液質は空想的で感情の起伏がみえにくい。まさにルーゴン家の性格。
あと登場人物たちの名前が象徴的。
パスカルPascalは過越の祭と関係しているそうです。
つまり災厄を無事にやり過ごすことができた者。
クロチルドClotildeは、運命の女神の一人、Clothoが語源。
糸をつむぐ、運命/生/出産の女神。まさに子をなす者。
左端がクロート
マルチーヌMartineは、St.Martinが語源で、物乞い達に外套を与えた聖人。
思慮と配慮に満ちた彼女らしい名前です。
同じことを書くけど、ゾラといえば「居酒屋」「ナナ」という方、必読です(←しつこい)。
こういうゾラもいるんだということで。
「パスカル博士」 小田光雄訳
3800円+税
論創社
ISBN 4-8460-0453-8
Zola E: Le Docteur Pascal. 1893