博物館帰りに購入した本。
すっごい面白かったです。
作者の先生のお名前も素敵です。
扶生子さん。生を扶く。
もし孫が出来たら子供達に「こういう名前はどう?」と勧めたいです。
結核。
この病には様々なイメージが。
今、読んでいるゾラのルーゴン・マッカール・サーガの登場人物、宮崎駿大先生の「風立ちぬ」の主役の奥さん(でしたっけ。未見)、元ネタの堀辰雄の「風立ちぬ」の節子さん、「隣のトトロ」のさつきとメイのお母さんも東村山あたりの療養所にいるようなので、たぶん結核。
本書は、近代の結核に対するイメージの変遷、さらに患者さん自身がどのように生き抜いたかを教えてくれる素晴らしい内容。
良書は、テーマと直接関係ない情報を教えてくれたり、思いつきを引き出してくれますが、本書もそうです。
読書とネット検索の大きな違いの一つですよね。
冒頭の口絵部分から興味深い。
当時の結核予防のポスターがカラーで掲載されています。
ここだけで軽く30分は楽しめます。
実は現在でも結核患者さんは日本にいらっしゃる(年間1万2千人 p4)。
世界的には人口の1/3は結核菌に感染している(!p3)。
ただ、感染=発症ではないので「結核パンデミックだぁ!」にならない。
とはいえ、20世紀前半までの約80年間、結核は「感染するが治療法のない死病」だった(p5)。
今も「感染するが治療法がない」感染症で大変ですが。
第一章。
結核についてエライ人達がどう発言したか。
当初、環境の問題とされた(p19-25)。
今でいえば免疫機能を十分に働かせる、当時の言葉なら体力をつけることが感染症に対しては重要。
なので、結核予防・撲滅は「国民生活の向上に政府が尽力するしかない」(p21)、言い換えれば「明日のパンに差し支える」状態で「結核の予防撲滅を如何に叫んで見たところで効果の挙がらぬ」とされた(p21)。
経済(まさに経世済民、我々、下々の者が衣食住に不便しないこと)と感染症予防は「両立させられるか」でなくて、「両立させないといけない」ということですね。
時代は下り、戦争が近づくとどうなるか。
ナチス思想が微妙に関係したようですが(p39-40)、体質遺伝論に移行(p25-42)。
体質論。これ、国家が責任を取らずにすみます。
何しろ体質だから、究極の自己責任論(p64)。
以下は私の個人的意見(妄想ともいう)です。
この発想、国家も、早く業績をあげて出世したいと考えている研究者(そうでない研究者が大半ですからね!えーと、たぶん・・・・)にも何かと「便利」。
というのも体質論だと、個体側の変数は体質一つだけです。
なので、「なんとか体質」と結核の発症率の相関だけ調べれば、研究いっちょ上がりです。
北川先生の表現だと「『科学』を装った強者の物語」(p194)を押し通せます。
百歩譲って体質論を認めるとして、まず体質が生じる要因、さらに体質と環境との相互関係が発症にどう影響するか、最終的に発症過程を総合的に検討すべきですが、そうなると調べなくてはならない変数の数が膨大になる。
時間もかかるけど、お金がかかる。
お役人さんが大嫌いな研究予算が。
(なお本書は当時の学術誌からの引用がないようなので、正確な議論がどうだったか不明です。なので事実誤認があるかもしれません)
当時の帝大のお医者さんが書いている結核体質は、たとえば「顎が細くて長い、痩せている、胸幅が狭い」(p27、28、29、32)。
これって、やっぱり生育環境の影響も考えるべきだと思いますよね、普通。
で、体質論は恐ろしいことに、産児制限の提言(p34)にまで至る。
研究に、短期・効率・有用性なんぞを追求すると、こういうことが待っているのです(私の意見というより歴史的事実)。
第二章は文化的イメージ。
へーっと思ったのが、結核によって「文化的」な都市のイメージが汚濁に満ちたものになり、「文化的に遅れた」地方が「清潔」と、価値観が逆転した(p44-64)。
しかも地方に住む方々は「誠実で心意気をもつ」と、人格イメージまで変化した(p51)。
さらに理想の女性像まで変化。
柳腰でなで肩の女性から、がっちりとした西洋風の体格の女性が健康的で美人とされるようになる(p52-58)。
1920年代から30年代のようです。
ちなみに映画雑誌が1910年代半ばに創刊、1920年代から写真が雑誌に掲載され始めているようです。
映像(イメージ)史、結核、日本人の女性像の変化、この関係、面白くないですか?どなたか研究してください。
話を戻して、当時、結核予防運動が国家をあげて行われ、人込みを避ける、マスク着用、手洗い・うがい励行と、もはや耳にタコができるほど聞かされていることが奨励された(p59)。
同時に恐ろしいことが。
地域間競争です。
自分達の住む地域に病を浸透させまいとする動きが出てきた。
結核との関連は明記されませんが、同じ時期にハンセン氏病に対して「無癩県運動」が起きた。
そしてこれが、在宅療養中のハンセン氏患者さんを全員、療養所に入れる「絶対隔離」につながったのだそうです(p61)。
どこそこの地域から来ないでくれって、聞いたことがあるような。
感染症に対してゼロという言葉を安易に使う政治家さんがいたような。
感染症の歴史、立法・行政の方々にしっかりと調べてほしいです。
第三章は文学との関係。
私的に「そうだ!そうだ!」と思ったのが横光利一評。
堀辰雄の甘ーい恋愛ものと違う冷徹さ(p69-73)。
本書では「花園の思想」がとりあげられていますが、横光の奥さんシリーズはあと二作あり、いずれも同じテイスト。
慟哭が潜む即物性は、一層、切ないです。
第四章は子規の療養について。
子規は己の生活を「あきらめる以上の事をやって居るのである」と「病床六尺」に書いていた(p96)。
この意味は「「『もうすぐ死ぬ』(略)という非日常を、『今日は水曜日』(略)と日常に置き換え」「全力で日常をつくる」ことなのではと北川先生は指摘なさっています(p99)。
子規の名言も。
「悟りという事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違いで(略)如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」(p101)
本章で思わぬ拾い物。
子規登場まで俳句は、古典表現を踏まえそれらをリヴァイスすること、たとえば目の前の山の共通性を描く方法が主流だった。
しかし、子規の提唱した写生は、目の前の山を徹底的に観察し、その個別性を重視する方法だった。
さらに突き放した態度にはユーモアが漂っていた(p102-111)。
写実と似ている自然主義文学との違いは何か。
漱石がエッセイに書いているそうです。
「小供(ママ)の泣く度に親が泣くのは気違いである。親と小供は立場が違う。(略 しかし、同じ立場になるのが)普通の小説家(=自然主義文学者)である(略 一方、)写生文家は泣かずして他の泣くを叙するものである」(p113)
「傍から見て気の毒の念に堪えぬ裏に微笑を包む同情である」(p115)
分かりやすいです。漱石。
さすがです。漱石。
要は適切な距離、そしてユーモア、それも共苦を含んだものですね。
第五章は民間療法の氾濫について。
おそらくメディアの発達と併行しているでしょう。
第六章、療養といえばサナトリウムですが、そんなところで療養できたのは一部の金持ちだけで、実際には自宅で小屋を作って家族から離れて住んでいた(ええ!!p136-145 たとえば下の写真をどうぞ)。
本書p137から引用(完全に掘っ立て小屋)
本章でも拾い物。
当時、「エリートになりそこなった人々を癒したのが修養主義だった」(p146)。
そのような風潮で推奨されたかのが、結核療養を修行ととらえ「日記など、自分に関する何らかの記録」をし(p147)、とにかく書く(p148-149)。
その背景の思想は「(人と)比べたり考え」ずに「勤勉」であろうとすること(p150)。
これ、森田療法と似ているような。
ほぼ同時期に結核で似たような療養法が流通していた。
他の疾患ではどうなのでしょう。
これは面白い!ちょっと調べます。
最終章。
本書の肝中の肝なので、詳しくはお読みくださいまし。
これまでの結核療養に関する研究で触れられることのなかった(p187)、結核患者さんのための雑誌「療養生活」の投稿欄の分析。
嘆きだけではなく、疑似恋愛など、結構なんでもあり。
紹介されている投稿を読んでいると、偏見で身を潜めて生活しなくてはならなかった患者さんたちの逞しさが感じられます。
そしてこれは正岡子規の目指していた生き方と同じではないかというのが北川先生の御指摘です(p186)。
なるほど!
私の言葉でまとめると<居場所がある>こと、<笑う>こと(p15、173-182)。
これ、立派な「当事者研究」ですね。
流行り病の中、どうやって自分のメンタルヘルスを維持するか。
50年以上前に、私たちのご先祖様がヒントを与えてくれています。
北川扶生子「結核がつくる物語 感染と読者の近代」
2500円+税
岩波書店
ISBN 978-4-00-061448-1