先日、ゾラの「制作」を読み終わったのですが、ゾラらしいどんよりとした後味の名作でした。

 印象主義絵画がお好きな方は、特におすすめ。

 で、バルザックもゾラもディドロの絵画論に影響されて作品を書いたとのことだったので、ジャン・スタロバンスキーのディドロ論を買って読み始め、今、頭の中がごちゃごちゃです・・・・。

 

 

 で、頭をすっきりさせようと、合間に読んだのが本書。

 逆効果でした。

 かえって頭が忙しくなってしまった・・・・

 

 

 

 この短編集はちくま文庫オリジナルです。

 「ダロウェイ夫人」「幕間」は面白かったしhttps://ameblo.jp/lecture12/entry-12600940541.html、難解な印象はなかったのですが、この短編集は・・・。

 あまりにも詩的かつ凝縮された文章で、私には意味がよく分からなかった作品がいくつかありました。

 やっぱり、ヴァージニア・ウルフ、怖いです。

 

 17編の短編集で前半の8編くらいは確かに短編ですが、後半は私的には詩的エッセイのようにしか思えませんでした。

 私が気に入ったのは「ラピンとラピノヴァ」「堅固な対象」「池の魅力」「壁の染み」。

 

 一方で、ほぼ(完全に)詩といっていいので、原文でないとおそらく楽しめない(かもしれない)「青と緑」「月曜日あるいは火曜日」は、私的にはほとんど理解が追いつきませんでした。

 

  

 以下、ランダムに感想。

 

 

 「ラピンとラピノヴァ」。

 いわゆる<新婚時代>は、短いものです(既婚者は誰もが経験する・・・)。

 そして、婚家と夫、婚家とお嫁さんの関係が、女性に与える影響の大きさ(よく言われる、お姑さんとお嫁さんの関係ではありません)。

 あとこの作品、明確には書かれていませんが<子供を産むこと>が裏テーマかなと思います。

 何しろ多産な「うさぎ」がタイトルだし。

 ウルフの境遇を考えると、悲しい一作。

 

 

 「堅固な対象」。

 本作品は、「行動的生と思索的生の違い」を描いているとされているそうです(解説p215)。

 しかし、登場人物の一人、チャールズが行動的なさまの描写はありません。

 ジョンの綺麗なガラスや石の欠片を拾って夢中になる様は、むしろ<こども>特有の傾向ではないでしょうか。

 以前、書きましたがhttps://ameblo.jp/lecture12/entry-12582535727.html?frm=theme、私も昔、そうだったし、今、下の子供がその時期です。

 何かを拾っては、そこに物語や自分だけの固有の価値を見出す。

 <こども>に未成熟をみて、成熟との対比を描いていると考えてもいいかもしれませんが、私の妄想では、この短編、<私固有の世界>を失った者(おとな=ひっくり返すと<公共世界>に参入している者)と失っていない者(こども、で、たぶんウルフ自身)の対比ではないかと思います。

 読後、しばし遠い目をしてしまいました。

 

 

 興味深いのが「ダロウェイ夫人」の原型らしき短編、「ボンド通りのダロウェイ夫人」。

 花ではなく手袋を買いに行くところから途中まではほとんど同じ。

 内面描写と客観描写のまじりあった自由間接話法も健在。

 ただ短編なので、内面と客観の往復がちょっと中途半端かなと・・・・。

 一方、どことなくプルーストを思わせるところが(ある物をきっかけに、一気に過去の記憶が展開する)、彼を尊敬していたウルフらしくて興味深いです。

 とはいえ、プルースト。私は、あの本、第一編第一部しか読んだことないです。

 てか、全巻読めるのか、あれ。

 

 

 似たテイストが最後の「書かれなかった長編小説」。

 列車に乗った際、目の前にいた女性から、一気に物語世界を膨らませる作品。

 ウルフは「意識の流れ」の作家とされますが、<ウルフ自身の>意識の流れがそのまま作品になっていると思います。

 なので、エッセイのよう。

 同じように、たぶんウルフの意識の流れをそのままが描いた(であろう)「池の魅力」も、哲学的エッセイのような、凝った文章が詩のような、不思議な作品で魅力的です。

 

 

 いきなり「あなた」と呼びかけられ、読み手として物語に入り込んでいるような外部にいるような不可思議な体験が楽しめた「憑かれた家」。

 ウルフとしては、昔住んでいた家をノスタルジックに描いたそうで、「感傷的すぎる」と本人は思っていたらしいです(解説p217)。

 彼女の意図ではないかもしれないけど、なんとも言えない独特な読書体験、最高でした。

 

 

 定点カメラで通り過ぎていく人物たちの一瞬を描き、読み手の想像を膨らませる「キュー動物園」も面白かった。

 ただ同じ固定カメラなら、やはり「幕間」のように自由間接話法にしてほしかったかなあ・・・・。

 

 

 

 最後。

 これも意識の流れ系ですが、少し毛色が違う「壁の染み」。

 なにがすごいって、ただの壁の染みでここまで妄想・・・・もとい、思索するかと。

 その濃厚な描写は読んでいただくとして、興味深いのがウルフの男性観(らしきもの)が混じることです。

 

 まず「標準を決めている」のは「たぶん男性」で、「男性の視点、それが私たちの生活を統治している」(p164)と。

 そして専門家たち(「彼ら」と表記されるので男)が、世界の疑問を、調べ、論争し、発表し、証明する。

 ・・・でも、それは本当なのか?

 いや、「何も証明されていない」(p166)、目の前の壁の染みが一体なんなのかわからないように。

 

 語り手(たぶんウルフ)は「行動」は「思考を終結する」と考えており、「行動を旨とする男性たちに対する(略)侮り」を感じる。

 「彼らは考えることをしない」(p168)。

 

 一方、語り手(しつこいけど、たぶんウルフ)は「考えるのが好き」(p169-170)。

 しかし、この連想、意識は、夫の「新聞を買いに行く」という<行動>で、突如中断される。

 

 そして夫は壁の染みが何であるかを<空想する>でも<思考する>でもなく、あっさりと<見て>、これはXXだと言って、<出かける>。

 

 

 

 

 かの古代ギリシャ時代、<考えるのが好き>で、奥さん達に「いい加減、働け!」「この殻潰し!」と言われたりしていたのは男だったはずですが・・・・・

 いつから、果敢に行動し、素晴らしい結果を出し、栄光に満ちた名誉をゲットするのが<男の花道>になったのでしょうか。

 

 

 

 どうりで、ぼんやり考えているのが好きな私は、女性の皆様からは相手にしていただけなかったわけだ(あ、容貌的にも)・・・・

 

 拾ってくれた家内に感謝ですよ。

  

 

 

 

 

ヴァージニア・ウルフ「短編集」    西崎憲訳

580円+税

ちくま文庫

ISBN 4-480-03514-1