時間があって再読した「シェリ」。
以前読んだのは、大学生時代。
年齢はシェリに近いものの、ぜんぜんピンとこなかった。
今回、読むと主人公の高級娼婦レアは49歳。
今ならレアが私と近い年齢。
舞台は1910年代なので、当時としては、”結構なお年”だっただろう。
美魔女にして高級娼婦、しかし、石油事業なども手掛けてしっかりと貯蓄もあり、老後に備えているレアがかこっている恋人がシェリ。
ストーリーは、美魔女さんがかっこっていた年下のツバメが、若いそれなりの身分の女性と正式に結婚することになる。
そのため、紆余曲折の末、美魔女さんは彼と別れるという話。
筋はシンプル。
しかし、小説は筋より描写。
シェリ。
驚くほど外面的なことしか描かれない。
コレットは、「シェリには性格というものがない」とまでレアに言わせている(p67)。
ただ、同世代の女性の嬌声を相手にしない(p23)ギリシャ神話のナルシスのような様子や、「ファタル」(p118)などの記述から、何を考えているのか、どのような気持ちなのかを読むのが難しい、移り気さを持っているらしいことは分かる。
たとえばp133-150の新妻エトメとのやり取り。
痴話喧嘩が長々と続き、絶妙なタイミングで彼は若い妻に奥の手を使う。
「それは君を愛しているからさ」。
そのあとのシェリの態度。
エトメの見えないところで薄笑いをしながらふざけている。
レア。
彼女の人柄が分かるのが、「理由はわからない」が「黒人や中国人と寝たい」とさらっと言うシーン(p59)。
おそらく「駆け引きとしての恋愛」に生きることに飽きてしまった女性。
あるいは今まで「本当に誰かを愛したことがない」女性かもしれない。
印象的なのが、レアが自分だけなく女性全般の老化を気にしていて、時には憎悪に近い感情をもっていることを、コレットが執拗に描いていること(p97-99)。
特に首の記述が多い。
確かに首から老化がわかるというのは、何かで読んだか見た気がする(家内の録画した「あさイチ」かもしれない)。
たとえば「張りを失った首」(p189、225)「二重顎と衰えた首」(p254)、「首飾り」のような皺。
ほかにも「赤く染めている髪の根元が白髪」(p199)。もっとも容赦がないのはラスト近くの「鏡に老女がいる」(p278)。
本書執筆時のコレットは47歳。
このリアルな「他者の視線にさらされた身体」https://ameblo.jp/lecture12/entry-12496700530.html、https://ameblo.jp/lecture12/entry-12528972116.html?frm=theme、https://ameblo.jp/lecture12/entry-12502563350.html?frm=themeの描写は、彼女の当時の想いだったのかもしれない。
さて、レアはシェリに対して「敬語を使わなくていい名付け親」のように振舞うと述べたり(p45)、シェリを「私の坊や、悪い子」と呼んだり(p239)、あるいは「もし可能だったなら自分で生んだ坊やのようであってほしい」(p252)と望むなど、彼との関係を母子関係のようだと思い込もうとしている節がある。
事実、シェリにとってレアは明らかに母親の位置にあるが、レアにとっては、それはごまかしであることが徐々に明かされる。
前半では、シェリより精神的に上位に立とうとしてレアが失敗する瞬間や(p54)、シェリの「心を勝ち取りたい欲求に打ち勝」つことを喜ぶシーンや、「シェリは高級娼婦のように謎めいている」ことに困惑する(p71)瞬間があることが、さらっと描かれる。
中盤になると、「最後の恋だったのか」(p195)と内言したり、「自分のために美しくなりたい」(p196)と気持ちのリセットで美容に関心を向けようと努めたり、あるいは「また始めるのだ」(p207)と自分に言い聞かせるように生活をとり戻そうとする箇所など、描写が淡々としているだけに、努力してシェリのことを忘れようとしている様が余計に際立つ。
終盤、結婚したシェリがレアのもとに戻ってきた時、ついにレアはシェリに対して「(今までの)行きずりの人と違う」「あなたこそ私の愛する人、愛そのもの」(p257)と自覚する。
そして、シェリとのやりとりで「下手なお芝居みたい」(p261)な振る舞いをしてしまい、エトメへの嫉妬から彼女のことを激しくこき下ろすようになり(p263-266)、もはやレアは男女の手練手管はお手の物の高級娼婦ではなくなっている。
またエトメに対しても、小娘と見下していたはずなのに、一人の女性として同等の位置に自ら移動してしまう。
奥さんを罵倒されたシェリの反応。
「ほかの女と同じになるのか」(p266)。
つまり「僕のやることを<すべて>受け入れ、許す。そういう立場から、あなたは降りるのか」と。
ここでレアは動揺してしまう(p276)。
レアがシェリにとって特別な存在なのは、「ほかの女のようではない」=自分のすべてを受け入れ、保護し、支えてくれる女性だからなのだろう。
繰り返しになるが、これは、シェリにとってレアが母親の位置にいることを意味している。
レアは仕事柄、相手の欲望を読み取り、それに従って演じることが得意だっただろう。
だから、レアはシェリの望むような女性としてふるまっていた。
この物語で起きる顛末に、レアのどのような要素が関係しているか。
それは彼女がシェリに対して述べたことと全く同じことが彼女にもいえるからではないか。
シェリには「性格がない」。
そしてレアもおそらく同じ。
彼女は自分が「本当はどうしたいか」がわからない。
だから「黒人や中国人・・・」などと、理由もわからずに口にしてしまう。
シェリの望む女としてテクニカルに振舞っていたのが、いつの間にか心の底からシェリのことを愛するようになっており、しかもそのことに自覚がなかった。
嫉妬に狂い、本当の自身の欲望が姿を現しても、「これは私の望みだ」と受け入れきれない。
だからシェリに「ほかの女と同じになるのか」と言われた時、レアの自意識ではシェリを手練手管で弄んでいたはずが、いつの間にか彼女の方がシェリに揺さぶられていたこと、自分がそのような<普通の女>になっていたことに愕然としたのではないか。
同時に彼女は、シェリが持っているずるさに薄っすらと気づき始める。
「(略)賞賛の裏にある男のずるさをなんとなく感じて(略)」(p267)。
自身の欲望にようやく気付いたレアは、ある選択をする。
それまでは、誰が決定したのか曖昧なシェリの結婚を受け入れ、シェリと別れているような、しかし精神的にはつながっている、どっちつかずの状態を享受していた。
しかし、最後にレアは、大きな悲しみを受け入れつつ、どっちつかずで曖昧な状況にけりをつけることを、自らの意志で決定する。
否定し憎んでいた老いを自覚しつつ。
とても感動的。
ほかにも、たった一文だが、母娘の複雑な関係性がさらっと指摘されていたり(p32)、実は「もっとも手ごわい」のは、やがては主婦としてシェリをコントロールするであろう頭のいい女であるエトナである(p212)など、女性ならではの記述があって、本当に面白かった。
この作品、私のようなお子様な人間が若い時分に読んでもぴんとこなかったのは当然と思った。
大きな出来事がなく、あらすじはたった2行で書けてしまう。
しかし、穏やかに変化していく心理をあからさまに書かず、細やかに描写するのが素晴らしい。
50になって、私もそういうことがようやくわかるようになったのかと、なんとも悲しい・・・・
コレット「シェリ」 河野万里子訳
820円+税 316ページ
光文社古典新訳文庫
ISBN 978-4-334-75401-3
Colette, S-G: Cheri 1920