心配しない症 | 心と体の整え処 要(かなめ)

心と体の整え処 要(かなめ)

『仁癒整心体(じんゆせいしんたい)療法』と
『本来の自分と繋がる自分軸セッション』で
心と体の整えを仕事としています。

「心配」してると胃が下がる。

腸もみで最初にならう。

 

ちなみに私は、腸もみ習った初日から、胃の位置が正常だった。

 

「心配」しないたちなのか?と言えば、

閉所恐怖症で、パニック症候群だったわけで、

「心配」は普段から人よりおそらくしていたんではないか?

 

そして、心配の後すぐ恐怖が来るから、心配の時間より恐怖の時間の方が長い。

恐怖を感じるのが本当に嫌なので、心配が来たらすぐ対策。

対策は回避がほとんどだけど、精神を落ち着かせるグッズ(水とか?)を持つとか。

 

心配するだけだと、全く意味がないのを知っている。

だから、無駄な心配はしない。

心配より対策!!

 

 

そんなふうに、自分が「心配しない症」になったこと。

これに気が付いたのは、ここ数日のこと。

 

友達と旅行に行って、神社に行ったのだけど、

友達は向かっている車の中で、

「夜は足がつる」とか「石で足くじく」とか

次から次へとネガティブな想定を言い並べた。

 

本人は「最悪の想定をしておく」のが必要だという。

そうか??

そして実際、その友達は夜を待たずして、参道で足がつり、

石ではなく、小さな穴ぼこで足をくじいた。

 

 

想定の甲斐あった???

 

 

ここまで来ると、想定したというより、引き寄せたとしか思えない。

「そんなの起きないよ」と言っていた私には、起きない。w

 

というか、無駄な心配してないで対策したら良いのでは?

転びにくい身体づくりをしておくとか、

足つるなら、水分補給まめにするとか。

 

 

神社も奥社までそうとう距離がありそうだったから、

私は水だけ手に持って、お賽銭はポケットに入れ、超身軽で行ったけど、

友達はカバン下げて重そうなのに、水は持っていないという。

 

 

私だって、転んだかもしれんよ。

でも、事前に心配したって、結果は変わらない。

転んで、「ほうら想定通り」と思ったところで良いことないよね?

だったら、

「これは何の意味があるんだろう?」

って起こってから考えればいいんだよ。

 

ちなみに、事前に心配しない代わりに、

事前の確認作業は人よりちゃんとする方だと思うよ。

初めていく場所でも、迷わず歩けたりするのはそんなわけ。

 

「心配」って、人間に必要な機能だよね。

私だって、心配しないわけない。

でも、無駄な心配はしない。

四六時中心配してたら、ただの時間の無駄。

心配したなら、その分、ちゃんと対策をして、

対策をしたなら、安心すればいいじゃない!

 

そしたら、あとの時間は楽しいこと、たくさん考えられるよ!