ご自分と両想いで幸せな皆様へ

 

こんにちは、タコのマリネです。

このブログをご覧の皆様にブッ刺さるであろう映画をご紹介します。

 

「コット、はじまりの夏」

原題:The Quiet Girl(寡黙な少女)

 

 

予告トレーラーだけでもう泣きそうになりません???タコのマリネも予告トレーラーを見てうるうるして、映画鑑賞後に改めてトレーラーを見て「うあああぁぁぁぁッ!!!!」と泣きました。だって、あのシーン・・・うぉぉぉん。。

 

過去にオススメした「ぼくたちの哲学教室」はイギリス領有の北アイルランドが舞台でしたが、今回は80年代のアイルランド共和国の田舎が舞台です。

 

上映情報

まだ上映時期が不明なところもありますが、ミニシアター系の映画にしては、上映してくれる劇場が多い方だと思うので、みなさまぜひ!一緒に泣こう!!うちの地元でやってないという人は東京においで!!!

 

 

 

 

あらすじ

ストーリーとしては、9歳の少女コットが夏休みの間、子供のいない親戚夫婦に預けられ、夏の終わりに別れを惜しみながら生家に戻るという、ただそれだけの映画ではあります。
 

1981年、アイルランドの田舎町。
大家族の中でひとり静かに暮らす9歳の少女コットは、赤ちゃんが生まれるまでの夏休みを遠い親戚夫婦のキンセラ家のもとで過ごすことに。

寡黙なコットを優しく迎え入れるアイリンに髪を梳かしてもらったり、口下手で不器用ながら妻・アイリンを気遣うショーンと子牛の世話を手伝ったり、2人の温かな愛情をたっぷりと受け、一つひとつの生活を丁寧に過ごしていくうち、はじめは戸惑っていたコットの心境にも変化が訪れる。

緑豊かな農場での暮らしに、今まで経験したことのなかった生きる喜びに包まれ、自分の居場所を見出すコット。いつしか本当の家族のようにかけがえのない時間を3人で重ねていく―。

 

公式HPより転載)

 

「大家族の中でひとり静かに暮らす」ってなんだよ、と一瞬思いません?大家族ってにぎやかじゃん!ものすっっごい矛盾。

それも、見て頂ければわかります。

 

おそらくタコのマリネのブログの読者さんの中には、主人公コットの気持ちが痛いほどわかってしまう、、という方もいらっしゃると思います。。。次項を読んでくれ。

 

もう少し詳しく(ネタバレ注意)

コットの家庭環境はなかなか過酷です。父親はギャンブル依存症でロクに働かない。家族に対して高圧的に振舞い、今で言う「モラハラ気質」ですが、素行が悪く、周囲ともうまく関係を築けないようです。
しかも無計画にポンポン子供をつくり、食費・養育費がかさんで生活は困窮気味。家の外観もボロボロです。(田舎のヤンキーとか、モラハラ気質の男って子供多いよね・・・)

愛情面でも経済面でも、全く頼りにならない父親です。

 

そんな父親に対してコットの姉たちも不満を抱き、陰で父親の悪口を言いますが、まだ若い彼女たちが高圧的な父親に真っ向から反抗できるわけはなく、父親のいる前では従順にしています。

母親は年少の弟たちの世話でいっぱいいっぱいで、コットに関心がありません。ただ、頻繁におねしょをしてしまうコットに対して呆れている様子。「ネグレクト」と言っても差し支えない状態です。

さらに、姉たちはコットを「根暗で何考えてるかわからない、どんくさくい子」といった認識で、邪険に扱います。文字もきちんと読めないため学業不振。学校に友達がいないようで、いつも一人で過ごしており、浮いてしまっています。

 

家庭にも学校にも居場所がなく、表情も感情も乏しいコット。そんなコットが夏休みの間だけ、子供のいない親戚夫婦に預けられます。

 

父親の態度などを見て、初日でコットが健全に養育されていないことをこの親戚夫婦は察しますが、妻アイリンはなるべく触れず、コットの身の回りの世話をしたり、コットの意見を尊重したりと、コットに対して愛情をもって丁寧に親切に接します。

夫のショーンは、コットを気にかけつつも、どう接してよいかわからず戸惑っているようでしたが、ぎこちないながらも愛情を示し、少しずつコットと信頼関係を築いていきます。


2人きりで、海辺の夜で大切な話をしたこともありました。

 

近所の噂好きの人に翻弄されたこともあるけれど、のどかでさわやかな自然と夫婦の愛情に包まれ、穏やかな夏の日々を送るコット。おねしょもなくなり、笑顔も増えていきますが、夏の終わりはすぐにやってきます。コットは、生家に帰らなくてはなりません...。

 

映画のラストシーン(もろネタバレ)

親戚夫婦と一緒に生家に戻ったコット。家族との久しぶりの再会なのにコットは顔をこわばらせます。親戚夫婦は、コットの家族の様子を目の当たりにして思うところがあったようで、終始引きつった表情です。

居心地の悪さを感じたのか親戚夫婦は早めに帰宅するといい、コットと彼女の母親が見送る中、車で出発します。

 

しばらくコットは遠く小さくなっていく車を見つめていましたが、やがて車にむかって駆け出します。

 

 

夫ショーンは、自分たちを追いかけてきたコットに気付き、彼女をしっかり抱きしめます。

妻アイリンはコットと別れるのが寂しいのか、コットがあの家で今後どんな扱いを受けるのか想像してつらいのか、あるいはその両方か、車の中で号泣しています。

 

力強く自分を抱きとめてくれるショーンの背後から、顔をしかめた父親がこちらへ近づいてくることにコットは気付きますが、コットは目を閉じます。

 

小学校に上がったのにおねしょ?

「コットはどうなっちゃうの!?」と、見る人の心をかき乱すあのラスト、うまいですわ...。このラストシーン一番泣きましたよ~。アイルランドの美しい風景とあいまって神がかっていた。隣のカップルのお姉さんも泣いてたよ~。

 

そして、この映画を見て思い出したんですが、恥ずかしながら、タコのマリネも小学2年生まで時々おねしょしてました...。マジで今の今まで忘れてた。

「おねしょとストレスや心理的状況って関連性あるってこと?」と思って調べたら

 

小学生のおねしょは、精神的なストレスを強く受けたり、疲れた日の夜などに起こりやすいと言われています。小学校という新しい環境に慣れていない、生活のリズムが変わった、また親や先生からひどく叱られたなどが原因でおねしょをする事が多いようです。

 

(引用元:All About )

 

あったんかーーーい!!!!


大人になって初めて知ったタコのマリネであった。

幼少タコのマリネも精神的ストレス抱えてたのかな・・そんなひどい環境だったんか・・・。

うわ~、なんか改めて自分の幼少期の育成環境にショック受けてるんですけど・・・皆さんはどうでした?

 

自分を「一人の人間」として認識された経験

ま、タコのマリネのことは置いておいて、その後コットがどうなったのか、映画内では描かれていません。監督のインタビュー記事を拝見したところ、こんな文章がありました。

 

キーガン(※原作者)はまた、自分の作品は完成しても未完成のままであり、作品を完成させるのは読者であるという考えを大切にしています

(引用元:Dice+

 

ということは、その後のコットがどうなったのか、見る人(読者)の解釈に委ねられるわけですね。

 

タコのマリネとしては、コットが親戚夫婦に引き取られ、温かい愛情の中で成長してほしいですが、コットが生家に戻ったとしても、親戚夫婦の元で安心してのびのび過ごし、愛情を注いでもらえたという経験は、その後のコットの人生を明るい方へ変えていったと思います。あの夏の前よりも、彼女は学校に馴染めるようになったかもしれないし、姉たちとの関係も少し良くなったかもしれない。少なくとも足が速いから体育の授業では大活躍だよね!

短い夏でも「大切にされた経験・実感」が精神的支柱となり、「私は大切にされていい存在なんだ」と自分に対する認識を変えることができたコットは、今までとは少し違う女の子、いえ少し違う「人間」になったと思います。

 

さきほどの監督インタンビューから、もう一か所転載します。

 

私が思うに、これは希望の物語です。非常に悲しみを伴う物語でもありますが、この2つは共存しうるものです。この作品は記憶や回想の領域に属するものであり、成長したコット、つまりあの夏の出来事の意味を理解し、キンセラ家と一緒に過ごした時間と沈黙の価値を認識している彼女によって回想されているのだと、思いたい気持ちもあります。自分を「一人の人間」として認められたのはそれが初めてであり、その実感によって彼女は自分自身を大切にし、新しい生き方を信じることができたのです。

 

家族から「一人の人間」として扱われなかったとしても、学校でみんなとうまく馴染めなくても、友達がいなくても、彼氏ができなくても、結婚できなくても、離婚しても、病気になっても、コットもあなたも一人の人間として、愛情と信頼をベースに大切にされ、尊重されうるべき存在だと思います。

というか、あなたが周囲からぞんざいに扱われたり、粗末な扱いを受ける方がおかしいんだよな。ちゃんとした人格のある「人間」なのに。「一人の人間」として存在を認められ、尊重され、敬愛されるのは当たり前のはずなんだ。

 

そうは言っても、コットのように明確に「大切にされた経験・実感」がないという人は、今の時点では生きていくのがしんどいかもしれない。

正直、タコのマリネも「子供のうちに、たった一度でも『信頼する人に、愛情をたっぷり注がれて、愛されて、大切にされた!』と実感できる経験を得たコットがうらやましい」とも思いました。.....なんだか闇が深いわね。

 

 

それでも、まずは、あなた自身を信頼し、尊重し、大切にしていきましょう!!

 

この映画でコットを慈しむアイリンやショーンのように、あなた自身を愛してあげよう!!

 

 

 

 

というわけで、ボディケアだ!!!!

(いつもの結末)

 

 

ちなみに原題の「寡黙な少女/無口な女の子」ですが、単純に主人公コットがおとなしいというだけでなく、映画内でショーンから「沈黙」することの大切さについて語られるシーンがあります。コットが無口で言葉数が少ないのは家庭環境や良好な人間関係を築けなかったことに由来していますが、それが必ずしも悪いわけではない、沈黙できることは賢いことだと伝えます。遠回しではありますが、無口でおとなしく、それゆえに周囲から煙たがられたコットのことを肯定しているともとれますね。

 

ただ、日本語のタイトルだと、監督の言う「沈黙の重要性」が全然際立ってないという・・・。でも邦題を「寡黙な少女」「沈黙の少女」にするとなんかパッとしないから「コット、はじまりの夏」でよかったのかもしれない。

 

今日もお読みくださりありがとうございます。

あなたに良いことがたくさん起きますように!

 

 

タコのマリネ

 

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