小中高で討論型授業!?―ふつうにやってるし。 | 作文・読解力など国語力向上 学習塾ラーニング・ラボ横浜天王町教室のスタッフブログ!

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昨日、8月2日の読売新聞朝刊1面を、
こんな見出しが飾りました。


小中高で討論型授業


これは、文科省の諮問機関である
中央教育審議会、略して中教審がまとめた、
中間報告を報じたものです。


次の学習指導容量の改訂内容で、
キーワードになるのがアクティブ・ラーニング

英語やプログラミングといった、
まさに「今」「これから」必要な能力にも
注目されているようです。



アクティブ・ラーニング
って聞きなれない人もいるかもしれません。

読んで字のごとく、
「アクティブ」な「ラーニング」
つまり、主体的な学びとでも訳せば良いのでしょうか。


日本の教育はこれまで、
いわゆる「つめこみ」と「ゆとり」を
行ったり来たりしてきました。

現行の学習指導要領は「脱ゆとり」路線で、
次期指導要領もその路線は踏襲される模様です。


これからの時代に適応するには、
従来のように、単に知識(情報)の量だけでは不十分、
という見解から、すでに現行指導要領の改訂の際にも、
「主体的」な「学び」というのは強調されてきました。

いわゆる「思考力・判断力・表現力」の重視です。


次期指導要領では、その点を「アクティブ・ラーニング」として、
さらに強調していこうとしているのでしょう。



「アクティブ・ラーニング」
「主体的な学び」

従来のようないわゆる一斉形式・講義形式の授業ではなく、
児童生徒が自ら課題を発見したり、その解決を図ったりする学習。

教師が一方的に情報を伝達するような形ではなく、
自分たちで調べたり、議論したりして、
知識習得、課題解決や技術向上を図る・・・。


素晴らしいじゃないですか!


「授業」とか「勉強」というより、
「学習」とか「学び」って感じ。

本来、勉強ってそうあるべきですよねー
って感じのものです。





ですが、まぁこういう主旨の授業、
もうやってますけどね。

ラーニング・ラボでは「基礎講座」と銘打って、
文章の読み書きをはじめ、
「話す」「聞く」に関連させて、

「ディスカッション」
「ディベート」
「グループワーク」

などなど、これらを中心とした授業を設定しています。


だから、公教育もやっと来たか、という感じではあります。


もちろん、塾でやるとなると、
時間が限られたり、
時期によっては、やっぱりテスト対策が優先されたり、
十分に本来の趣旨に合致した状態でできないこともあります。

さらには、ある程度の基礎知識の暗記がなければ、
そもそも議論や討論なんてできないってこともある。

アクティブ・ラーニングなどの話題になると、
安直に、基礎的な知識の「つめこみ」を軽視する動きをする人もいます。

かつての「ゆとり」や「総合学習」などの失敗例は、
その典型でしょう。


戦後の「経験主義」の教育も、

「はいまわる経験主義」

「活動あって学びなし」

などと言われてきました。


それでは意味がない。

主体的な経験・体験は活きた力になるために大切だけど、
それとともに、地道な知識の暗記だって大事なんです。

生れながらに知識がある人なんていない。

または、
生まれた年が同じだからって、
同じだけの知識量があるわけでもない。

もちろん、同じ知識が必要だってわけではない。

でも、ある程度共通の部分もないと、
あるいは、共通のルールでないと、
正常にコミュニケーションが図れない。

だから、僕はこれまでずっと、
「ゆとり」の理念は良いものだけど、
同時に「つめこみ」も必要だと言い続けてきたのです。



ただ、本来「学ぶ」という行為って、
たとえそれがテストに出される決まりきったものでも、
単に知識を記憶していかなかればいけないものでも、
「自分がやる」「自分でやる」ってことには変わりないのです。

その視点を置き去りにしたまま、
とりあえず「テストがあるから」「入試があるから」
って強引に進める勉強ばかりだったから、
多くの人が

「それなりに能力はあるけどやる気がない」

というさみしい状態になってしまったのでしょう。


ここが大きな起点になればいいですね。




新聞記事にもありましたが、
現場の先生の負担とか、
先生による授業の質の差とか、
もちろん課題はたくさんあります。

ですが、

これまでのように「テストのための学習」で終始する勉強は、
早いところ脱していかないといけないと思っている僕には、
こうした議論は大歓迎ですね。


みなさんはどう思われますか?



時代がこれほどまで劇的に変化しているのに、
学校の勉強というと、
あいも変わらず「テスト」「内申」「入試」。

こんなんで、本当に「ツカエル人間」が育つのか。


やっと日本の教育界も重い重い腰を本気で上げ始めたということなのでしょうか。


とはいえ、単に学校の中の、授業の面が変わっても、
入試が旧来のままであれば、
アクティブ・ラーニングだって形骸化して終わり。


かつて「ゆとり」の時に「総合学習」が十分に機能しなかったように。


「だって、入試は・・・」
「テストで出ないからこれ勉強しなくていいや・・・」
「入試ではこういうの出ないし・・・」


なんて発言が1人、2人ではなく、
多くの児童生徒から聞こえてくるのは、
ある点から見れば異常事態でしょう。


いやいや、これからの教育界、
楽しくなっていくんじゃないでしょうか!?


いや、そうしていかなければいけません。



今回は、その入試についても、
大学入試(センター試験)改革と連動しているから、
これまでよりは良い体制つくりができるのでしょうか!?


「これからの時代、こういうのが大事だよ」
「え~、でも、それ入試で出ないんでしょ!?」

って、おきまりのパターンがなくなるわけですから。


「これからの時代、こういうのが大事だよ」
「入試でもそういうの聞かれるしね」

って。


ただし、これまでテストや入試に関心を持ってきた僕としては、もう一歩先も考えるべきだと思うのです。


テストや入試が連動して変わっていくと、
杓子定規、生真面目な日本人は、
そのテストや入試の傾向と対策をバッチリにして、
けっきょく「テストのための学習」という呪縛からは
逃れられないってことにもなってしまいます。


それこそが乗り越えないといけない壁なのに…。


でも、まぁかつての受験競争のような状態の勉強よりも
かなりマシになるだろうとは思いますが。