さて、日付はもう変わってしまいましたが、11日は成人の日。
新成人のみなさん、おめでとうございます。
平成生まれが成人を迎えたときにはけっこうなショックを受けましたが、今年は何年生まれが成人になったのでしょうか。
もう数えるのも嫌なほど、自分が成人式に参加した日のことは遠い過去の記憶となっています。
現在、学生の方は成人になったからといって大きく生活が変わるわけではないでしょうから、たいして実感はないかもしれませんね。
僕がそうでした。
大学生の時に成人を迎えましたから、特に新しい生活がはじまるわけでもなく、何か新しいことをはじめたわけでもなく…。
とはいえ、僕は早く「オトナ」になりたかったので、「やっとか」という思いではありました。
親の干渉というか、意見というか、何かをするときに、自分の意志だけではどうすることもできないことがあると、その度にとても歯がゆい思いをしていたんですね。
学生という身分は変わらないし、親元から大学に通っていたし、何かあれば親に頼りまくっていたから、何を生意気な、と今なら思えますが。
あれから10数年。
多くの大人が言うことかもしれませんが、
「あの頃と内面はたいして変わっていない」
決して成長していないわけでもない。
むしろ表面的なスキルやテクニックのようなものはたくさん身に付けて来たのでしょう。
でも、あの頃思い描いていた大人にはなれていないような気もします。
もっともっと「カッコいい」人になりたいって、きっとそう思っていたはずです。
だって、今も同じような思いを持っているから。
新成人のみなさんは、これからの10年をどう描いているのでしょうか。
ほんと月並みですが、気づいたら10年なんてあっという間に経ちます。
これまでの10年ももちろん中身の濃い年月だったと思いますが、これからの10年は今後の人生を大きく意味づける10年になると思います。
多くの人が仕事をすることになるでしょう。
結婚をして新しい家族を持つ人もいることでしょう。
大切な誰かとの別れを経験する人もいるかもしれません。
中でも「仕事」は大きな出来事だと思います。
大学生、専門学生など、学生の方であればもう間もなく?いま現在?就職活動なんかが一大イベントとして控えているのでしょか。
もちろん現在は就職したらそれで人生「上がり」という時代ではない。
望もうが望むまいが、これまで以上に自分で考え、自分で答えを出していかなければならないことがもの凄く増える。
それは会社などの大きな組織に属したとしても同じ。
大きな会社であれば、逆に一個人の意見でどうにもならないことも多いと思いますが、しかし、自分の人生の一部としての仕事と考えたとき、その価値づけはやはり自分で行わなければならない。
最近の人はどうかわかりませんが、従来日本人の若者は、就職した際に、職場で仕事を「与えてもらう」傾向が強いと言われています。
「何をすれば良いですか?」
これが欧米だと、「自分はこれが出来る」「こういう点で貢献できる」という意識が強いようです。
もちろん会社はチームプレーが多い。
組織の歯車として機能するのは必要なこと。
みんながみんな自分勝手に動いて足並みがそろわなければ、得られる成果が半減するなど容易に想像できることだ。
でも、与えられた状況、条件のなかであったとしても、自分の頭では何も考えようとせず、指示を待つだけの人間ってどうですか?
自分がリーダーとか上司とかだったらどうですか?
毎日毎日、毎回毎回、「これはこうね」「次はこれをこうやろうね」ってずっと誰かに面倒を見てもらわなければ何もできないって何か情けなくないですか?
あるいは、組織が大きければ大きいほど、個々人の動きが必ずしも大勢に影響がなかったりして、そうであれば、個々人が高いモチベーションで仕事に向かえないということもある。
それは確かにそうだ。
自分が身を粉にして働いている脇で、暇を持て余すようにPCでSNSを見ているヤツがいたら、やっぱりひどくやる気が失せるでしょう。
「おれはこいつのために働いているわけではない」
って。
逆もしかり。
訳も分からず根性論を振りかざされて荷馬車のごとく働かされるのも、人間としてどうなのか。
これから、数年のうちにきっと多くの人が仕事に向き合うことになるのでしょう。
それはすなわち人生を考え、決めることでもある。
それは何も一生に関わることだから「何が何でも一流企業」「上場している会社」「安定の公務員(お役所)」に就職しろと言っているのではない。
むしろ逆だ。
大企業や公務員を目指すのも良い。
でも、多くの自分の時間=人生を費やすのが仕事です。
だから、自分のこととして仕事についても考えようってことです。
大きい組織に属せばそれはそれで一定の「安心感」が得られます。
とはいえ、自分の人生まるごと会社にゆだねるのですか?
誰かに指示されるだけの人生をこの先何十年も歩むのですか?
それがいいという人もいるかもしれません。
それはほんとに個人の価値観で決めればいいことですから。
でも、きっと多くの人はそういう事態には賛成はしないでしょう。
きちんと自分の意志を持って、自分の理想の人生を思い描いていることでしょう。
ただ、多くの人は年をおう毎に、そんなある意味で当たり前の自分の思いに鈍感になります。
「生活のため」
「それがオトナになるってこと」
などと言って。
もちろんそれも1つの在り方です。
しかし、そう言いつつ仕事が終わって同期や友人たちと飲みに行って、会社の悪口、上司の悪口に花を咲かせて憂さ晴らし・・・
なんて人が多いのも事実。
僕の周りにもたくさんそういう人がいます。
もちろん、プライドもって、自分の意志でスーパーサラリーマンを立派に勤めている人もたくさんいます。
今、「これになりたい」って強い思いをもって学んでいる人はその道を進むことでしょうが、多くの人は、おそらく何らかの会社に属し、サラリーマンをすることでしょう。
その選び方だって、この会社でこういう仕事がしたいって強い思いがあるわけではないこともあるでしょう。
時期が来たから何となくみんなに合わせて就職活動して、半ば無理矢理に自分はこういう業界志望ってことにするという人もいるでしょう。
大手ならどこでもいいとか、給料がこれくらいなら、福利厚生が充実しているとか、もういろいろ理屈付けして、そのために就職するという形をとっていく人が多いのでしょう。
それも一つです。
動機やきっかけは何だっていい。
働く目的だって「生活のため」でいいじゃないか。
でも、だったらその道を突き進めってこと。
自分でそれを善しとしたのであれば、誰かや何かに文句を言うだけの日々を過ごすのではなく、その道を極めるべき態度と行動をとろうってこと。
だからこそ、です。
だからこそ、自分は何ができるのか、自分の人生にとって、仕事って何か、選んだその仕事とどう向き合うのかってことが大事なのです。
言われるがまま、決められた時間に行って、決められた時間まで作業して、帰宅する。
次の日もまた次の日も、定年までずっと…。
そこに自分の意志はあるのか。
それは自分の人生を自分で生きているってことなのか。
毎年一定数の人たちが、就職はしたものの「こんなはずじゃなかった」と思って早々に会社を辞めてしまうらしい。
もちろんホントに合わないとか、個別に事情はあるでしょうが、とはいえ、ごく少数ではなく、一定数いるということは、入るまでの自分の歩み方、あるいは、仕事への向き合い方など、自分の側の問題も同時に見つめておかなければ、会社を変えても、職種を変えても、また同じようなことをくり返してしまうかもしれない。
それは単純に不幸なことです。
もちろん、仕事をするってことを、学生である人やまだ仕事を未経験の人が考えるのは難しい。
でも、自分の人生を考えること、今目の前にあるやるべきこと、特に勉強すべきことは、考えられるでしょう。
「ない」「無理」というのであれば、それは単純にあなたが努力しなければなりません。
それも無理というのであれば、誰かに決めてもらうことです。
しかし、その場合に誰かに、何かに文句をいうのは筋違いです。
だったら自分で考え、自分で決めればいいのです。
これからの10年、いやその後の自分の人生をいかに思いどおりに、豊かに過ごすか(経済的にってことだけでなく)、それはすべて自分次第だということを、成人であるからには、今一度認識しておくと良いでしょう。
そのためにこそ、どうか今目の前のことを大切にしてください。
もちろん、出来るなら自分の10年後、といわず2~3年後をイメージした方が良い。
これだけ流れの早い世の中であれば10年後を思い描いても、もしかしたら全然違う世界が広がっているかもしれない。
だったら僕らは「未来のための今」よりも「今の積み重ねとしての未来」を創るべきなのかもしれない。
それは、勉強だけではない。
でも勉強ももちろん大事だ。
これは小中高生によく言うことですが、まだ学生の成人の方には、よりはっきりと分かることではないかと思うので、あえて記しておきます。
いま、何の勉強をしているかはわかりません。
分かりませんが、その専門的な知識は、その専門分野の仕事に就くためには直接必要なものです。
だから、死ぬ気で学んでください。
おそらく勉強のし過ぎで死ぬことはないはずです。
でも、あなたが死ぬ気で勉強しなかったら、職種によっては将来誰かが死ぬことになるかもしれません。
もちろん、専門的な分野の職に就かない限り、専門分野の内容はそのまま役に立つものではないかもしれません。
しかし、それを習得する過程で、実に多くのことに気付き、多くを学びます。
それは将来どんな仕事に就こうが、仕事だけでなく生活の様々な場面でも、きっとあなたを支えてくれることになります。
いや、そうなるように学んでいくべきだと思います。
「俺、将来○○になるから、こんなの必要ないし」
「こんなの知らなくても○○にはなれるし」
なんてさみしいこと言わず全力で学んでみて下さい。
全力でぶち当たった結果、本当に「ダメだ」って思ったらやめればいい。
何もやっていないのに、良いも悪いもわかるはずがない。
しかも、たとえやめたとしても全力でぶつかったのであれば、その経験だけは確かに残る。
自分が自分の体や頭を直接使った経験は、何よりも大きな財産です。
自分の近未来の理想を思い描き、そのためにこそ、いま目の前にあることに全力に取り組む。
その全力で生きる今の積み重ねこそが、あなたの未来そのものです。
黙っていても年月は過ぎ去り、10年後はやってきます。
でも、それはあなたが思い描いた理想の未来ではないかもしれない。
そこに理想のあなたはいないかもしれない。
それを防ぐ方法は「今を必死で生きること」だ。
僕が講師を始めて最初の生徒はもう30代になっています。
もちろん、今年新成人になる人もいます。
そんな彼、彼女へのお祝いメッセージのつもりが、とんだお説教になってしまいました。
完全に自分のことを棚上げしていいます。
「先生って人種はこれだから嫌なんだよね」
成人おめでとう。
君が君の描いた理想の未来を実現できるよう、心から願っています。
しっかり励め!
僕も負けずに励む。