本日は、教室では年内最後の授業日。
(本当の仕事納めは、明日?明後日?になりそうです(/_;))
昨日は、夜遅くから仕事関係の会合があり、とあるホテルに宿泊しました。
何気なく机の棚を見ると、そこには1冊の本のようなものの影が。
「あぁ、聖書かな」
ホテルの部屋には聖書に遭遇することが多い。
僕はクリスチャンではないのでホテルで聖書に遭遇してもあまり開くことはないのですが、今日は何となく手に取ってみました。
すると、それは聖書ではなく、なんと「古事記」でした!
最近はホテルに古事記が置かれるのが流行なのでしょうか。
たまたま今回利用したホテルがそうだっただけなのか。
調査はしていませんが、他の場所にも古事記が置かれているのであれば、たいへん素敵なことですね。
日本の最古の歴史書であり、いわゆる神話が記されているものです。
「国」というひとつの文化のまとまりにとって神話や伝承などはこの根底にあるものです。
この手の話題では、よく見聞きするのが、
「12、13歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」
という1節です。
歴史学者アーノルド・J・トインビーの言葉として、よく引用されることがあるようです。
はっきりとトインビーがこう語っている出典が必ずしも明らかではないようですが、この言葉は伝承されてきています。
まぁ事の真相はよく分かりませんが、自国の文化の根底にある思想や物語というものは、その枠組みの中で生まれ、育まれてきた自分にとっては、アイデンティティーとも深く関わるものですから、一度触れておくに越したことはないでしょう。
もちろん、神々の世の話と言われてもファンタジーとして受け取るしかないという感覚もあるでしょうが、では、なぜそのように語られてきたか、とか、それが後世に人間の思想や言動にどんな影響をもたらしてきのがを考えるきっかけにはなります。
その意味で、そうした神話や伝承に触れることは重要ですし、小学校終了程度の頃までには知っておいて良いことだと思います。
日本はその点戦後の連合国の統治体制などもあり、大きく断絶していることもあります。
最近は、情報化や国際化などといって、さまざまな文化が流入し、融合し、日本古来の神話や伝承が話題にされることが避けられてきたきらいもあります。
だからこそ今、日本はどう歩んでいけば良いか、各々がこれまでの日本人の、日本の文化の根底にあるものを知り、そのことを考えていかなければいけないと思うのです。
ちなみに
「古事記」全部読んだことある人~?
誰もいなかったらそれはとてもさみしいことです。
日本人は自国の文化より、海外のものを礼賛する傾向があるように感じますが、しかし、自分のバックボーン(の、さらにバックボーン)を知り、それを持って世界へを堂々と勝負をしにいくべきではないでしょうか。
日本人よりもむしろ海外の人の方が日本文化に興味があり、なおかつ詳しい人もいっぱいいます。
そんな方方と、例えば仕事の現場でコミュニケーションをはからないといけない場面で、相手が、
「源氏物語」ってどんなものなの?
などと聞いてくるかもしれません。
その時に、「僕は知りません」というのはちょっとカッコ悪い。
相手は自国の文化の根底にあるものを語り、自分は自国の文化の根底にあるものをかたり、そうして異文化の相互理解はお互いを認め合うことではじまります。
それが上手いことできないのであれば、巡り巡って、時代の波に取り残され、究極は国が亡びるということになってしまうかもしれません。
その意味ではトインビーの言葉(とされているもの)は鋭い指摘なのでしょう。
まぁごちゃごちゃと御託はいい。
とにかく「古事記」は読んでみよう。
古代の日本人は内を考え、どう世界を認識していたのか、読み物(物語)としてでもおもしろく読めます。
さ、もう授業は終わり。
帰って、まだ終わっていない大掃除の続きでもするかなー
