やる気スイッチ!?② | 作文・読解力など国語力向上 学習塾ラーニング・ラボ横浜天王町教室のスタッフブログ!

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作文・小論文・読解力など国語力UPのための塾。横浜市保土ヶ谷区にある学習塾ラーニング・ラボのスタッフブログです。教室での出来事、教育ニュース・新聞記事・書籍についてのコメント、当塾オリジナルの「基礎講座」で作成した生徒の作品なども発表します。


先日、「やる気スイッチ」について、

「動機づけ」

という視点から記事を書きました。

今回はその続き。

「動機づけ」には、2種類あるとされていて、
「ほめる」とか賞罰を課すというのは、
いわゆる「外発的動機づけ」というもの。

…というお話をしました。

で、今日はその逆、

「内発的動機づけ」

について。

読んで字のごとく、
「外発的」が周囲の人からだとすれば、
「内発的」というのは、自分自身でってこと。

自分で自分の行動を評価し、
励まし、その行動を「快」と認識するようにする。


ある行動とその結果に対して、
自分で自分にご褒美をあげられるようにならないと意味がない。

その行動自体が、結果を得ることが
それ自体が「快」になることで、
その行動は継続的に、また主体的に実行できるようになる。

周囲の人間によってほめられたり、
アメとムチを使われたりするのは、
きっかけ作りや短期的なものについて良いかもしれないけど、
中長期的に、ある行動を維持していくためには、
やっぱり心もとない。

だって、ほめられなくなったら、
アメがなくなったら、
その行動ができなくなるかもしれないから。


ずっと持続的にその行動をとることができる。
要所要所にハードルがあっても、
自分で自分を励まし、超えていける。

ある意味で理想はここにある。


だから、大切なのは、どこぞの誰かに
「やる気スイッチ」を押してもらうのではなく、
自分自身でスイッチを押せるようになることなんです。

そのための訓練は実に大変。
いろんなものと戦わなければいけない。

いや、自分自身と戦わなければいけない。


ちなみに、ある雑誌の企画で、
東大進学者の学習履歴の特集がくまれていた。
だいぶ前の話ですが。

そこには大変興味深いことが書かれていました。

東大進学者の親は、
とても教育熱心で、
幼少期からさぞ「お勉強、お勉強」と
意識が高かったのだろうと思われがちですが、
実はそんなことはない。

しかも、テストで100点をとったとか、
何か優秀な成績を納めたということに対するコメントというのがまたすごい。

多くの人は諸手を挙げて、

「すごーい」
「○○ちゃんが頑張って勉強したからだね。次もがんばろー」

なんて言ってしまうかもしれませんね。

ところが、東大進学者の親は、

「よかったね」

とあっさりした一言で終わるんですね。

そう聞くとどこその教育評論家あたりが

「子どものやることはしっかりほめてあげないと」

とでも言いそうですが、
「やる気スイッチ」という観点からすれば、
違うんですね。

違うというのは、東大進学者の親の方が一枚上手なんですね。

「よかったね」というプラスの評価はきちんと伝えるんです。
しかし、過度に別の「快」を与えず、
その行動自体への「快」を自分自身で実感させるんです。

そうすることで、自分の努力、その行動それ自体が「快」であり、
そのことにこそ価値があることを暗黙のうちに伝えることになる。

これこそが、より主体的に、継続的に、
良い行動をくり返していける「動機づけ」となる。


「ほめる」
「やる気スイッチ」
「外発的動機づけ」

などはきっかけとしては良いと思います。

もうどうしようもない場合もあるでしょう。
例えば中学生、高校生に成長していて、
ちょっとやそっとのことではもう動かなくなってしまった、とか。

ただし、長い目で見れば、
決して外から与えられたもの、
それがたとえ「快」だとしても、
いや「快」だからこそ、
一見良さそうに見えて、
実はあまりよろしくないことになりかねない。


これらが過度に働いたことが、
良くない方向に行ってしまった実例を以前聞いたことがあります。

傍から見れば一見何の問題もないような優秀な生徒。

その彼女が実は勉強に対して、
あるいは勉強を通して創造してきた人生そのものを
後に「大いなる錯覚」と捉えるに至ったこと。

それに気付き、自分で自分の人生を考えられるようになるまで、
彼女の場合、実に20年以上の時間が必要だったのです。

これだけ書くと、なんのこっちゃ分からん、
という感じですね。

続きはまた今後。