誤報ーメディアリテラシーの必要性 | 作文・読解力など国語力向上 学習塾ラーニング・ラボ横浜天王町教室のスタッフブログ!

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作文・小論文・読解力など国語力UPのための塾。横浜市保土ヶ谷区にある学習塾ラーニング・ラボのスタッフブログです。教室での出来事、教育ニュース・新聞記事・書籍についてのコメント、当塾オリジナルの「基礎講座」で作成した生徒の作品なども発表します。


教室内の「きょうの出来事」ではありませんが、

本日2014年9月12日朝刊一面には、重大なニュースが報じられていましたので、

注目しないわけにはいきません。


東京電力福島第一原発事故のいわゆる「吉田調書」について、

朝日新聞が「所員の9割が署長命令に違反して撤退した」と報じた記事が

誤報であったことを認め、記事の取消を発表、謝罪会見を開いたとのことです。


また、同時に、8月5日のいわゆる従軍慰安婦報道に関する記事の取消に際して謝罪がなかったことに対しても「謙虚であるべきだった」と謝罪したとのことです。



福島第一原発事故では、事故当時の吉田所長はまさに命を懸けて事に当たっていたわけです。

もちろん所員たちも。

この報道によって誤った情報が、国民だけでなく、諸外国の報道機関が朝日新聞の報道を引用したことで、世界中に拡散されたのです。

今回の取消および昨日の政府の事故調査委員会の調書の公表によって、ようやく故人の名誉は回復されたことになります。



いわゆる従軍慰安婦報道に関しては、近年の韓国の動きやそれに動かされた米国の一部の動き、さらには国連の動きなどをみると、やはり朝日新聞の報道がかなり重要なファクターとなっているのは、多くの人が認めているところです。


こちらも日本国内だけでなく、諸外国でも関心の高い話題であり、

両記事とも日本の国益、日本人の尊厳を損するに値するような、重大な誤報だと言えるでしょう。


改めて僕たちは、メディアというものとの接し方を考え直さなければなりません。

今回の誤報は、そういうことを朝日新聞が、改めて身を持って示したという1点では唯一評価できるでしょう。


日本人は欧米などに比べるとメディア、特に、マスメディアに対しての信頼度が高い傾向があるようです。


実生活の中でも、まぁ最近は減ってきたようにも思いますが、

「テレビで言ってたよ・・・」
「新聞に書いてあった・・・」


ということを自分の意見の確たる証拠とする人がいます。


もちろん、あらゆる新聞やテレビがダメなわけではないので、

自分の主張の根拠の一つとして挙げるのは良いでしょう。

大切なのは、

 「テレビや新聞で言っていたこと」が、
  すなわち「正しいこと」ではない。



ってことを思わなければいけない、ということです。


まさにメディアリテラシーの必要性がここにあるわけです。



もちろん、メディアが「正しい」「事実」を報じることは、

究極の使命であろうと思われますが、

必ずしもそうはいかないこともあるでしょう。


さらに、メディアの大きな使命の一つが、

「権力チェック」

です。


政治家、国家というような権力者が、国民の代表として職務に当たっているか、

権力を乱用していないかをチェックすることがメディアに与えられた、

大きな使命であります。


当然、政治家や行政組織などへのチェックは厳しくなる。


しかし、そうしたある種の緊張関係があるからこそ、

完ぺきではない人間が、すぐに悪さをしてしまう人間が、

より安定した世の中をつくることにつながっていくわけです。


権力者である政治家などが、その力を使って国民の、国家の不利益となることがないように、メディアは厳しくチェックするわけです。

時に過剰なまでの報道で。



私たちは、通常個人の力だけではアクセスできないようなニュースを新聞やTVなどのいわゆるハイクオリティーな媒体で入手します。

最近はインターネットなどで、そうではないソースからの情報にも簡単にアクセスできるようにはなりましたが、それでもやはり日本では新聞やテレビの影響力は大きいというのが現状でしょう。

マスメディアの情報を受け、世論を形成し、世の中の流れを変えていく行動をとる。

ある意味で、一般の国民が身近な政治参加、政治的な行動をするための大きなきっかけとなるのが、メディアなのです。

だから、メディアは国民の味方という見方もできます。


しかし、だからこそ、今回のような誤った事実を拡散するような報道は、いけません。

もちろん間違ってしまうことは、不完全な人間にとっては当たり前に起こりうる事態ですから、そのことだけを持って非難するのは、少々心が狭すぎる。

でも、その間違えに対しては、謙虚に、迅速に対応しなければいけないでしょう。

特に、朝日新聞の報道とあっては、単に一個人の誤った言動とは比べ物にならない程の影響力があるのです。




さてさて、あなたは今回の朝日新聞の誤報、どう受け取りしましたか?

そもそも、これら記事が報じられた時に、どのように受け取っていましたか?


「朝日新聞が言うんだったら、それが『正しい』のだろう」

と鵜呑みにしてしまってはいませんか?


仮に、正しい事実が報道されていたとしても、一度「自分」で確かめてみる、
あるいは、疑ってみるという姿勢は非常に重要です。

もちろん、自分ですべての事件を取材するわけにはいきません。



では、どうすれば、良いのでしょうか。





答えのひとつは、僕らが行っているオリジナル授業「基礎講座」で、小中高生が実践しています。

とっても簡単、単純なことで、小中学生でもできること。

だから、オトナの私たちができないはずがない。



 「自分の子どもには、将来、変な情報に踊らされず、
 自分の頭で価値判断ができる人間になってほしい」


そうお考えの親御さんがきっとたくさんいらっしゃると思います。


朝日新聞という日本を代表するような新聞社でさえも、先のような状況になり得るわけです。

情報化社会といわれて久しい昨今。

もっともっとたくさんの誤報に僕たちは踊らされているのかもしれません。


 「子どもたちにはそうした情報にもみくちゃにされても、
 強く、しなやかに生きていってほしい」


僕もそう思っています。


でも、そのために必要なことは、何も特殊な勉強や訓練ではありません。

きっと大変身近で、単純で、でも大切なこと、当たり前のことを当たり前に行っていくことが何より大切なはずです。


だから、「受験で有利」「学校の成績が上がる」なんて物差しだけではかった勉強なんて、本来、二の次三の次であるはずなんです。


学ぶべきこと、磨くべきことは、他にももっともっとあるんです。


残念ながらそうしたことを学ぶ環境は、現在の日本には少ないのかもしれません。

やっと公教育でも、そうした意識は出てきているようですが、まだまだ一部の心ある先生の取り組みがあるというのが実際のところのような気がします。



だから、僕が子どもたちにしてあげられることは、そうした学びの場として当塾の「基礎講座」がもっともっと活きた豊かな場となるように磨き上げること。


多くの人が塾に通っているのだから、その場が単に学校の授業のくり返しのようなだけのものでは、モッタイナイ。

学校では不足する学習のフォローももちろんですが、そうではない刺激をいっぱい受けて帰ってもらえる場。

そんな学び場がもっと増えていかなければいけないと、改めて思い直しました。