ずいぶん更新をさぼっていました。
お盆休みもあり、夏期特別講座などもあり、何となく気忙しい8月を過ごしていました。
(完全な言い訳(^_^;))
休み前の新聞などを整理している時に、何となーくめくったページにこんな記事がありました。
「日本の高校生 科学に関心低め」
という見出しの記事。
2014年8月7日(木)の読売新聞朝刊の記事です。
正直「またかー」という思いもあります。
日本の学生の理科離れなんてのは今にはじまったことではありません。
それどころか、活字離れや「分数の計算ができない大学生」なんてのは、
ここ数年の日本の教育や青少年を語るうえで、避けては通れないワードとなってしまっています。
何とも嘆かわしい限り。
この記事では、理科が「社会に出たら必要なくなる」という理由から、興味関心が低い状態にあることが国立青少年教育振興機構の調査でわかったとあります。
日米中韓の4か国比較らしいので、その中で日本が一番低いという結果だということですから、世界的に見てどうなのか、というのは何ともいえないところです。
だたし、とはいえ、関心の低さの表れとして「社会に出たら必要なくなる」というのは、何とも短絡的、打算的な学習観ではありませんか?
記事では、明石要一さんのコメントが紹介されていますが、
日本の学生は学年が上がるごとに理科離れが進む傾向があり、
その原因として、暗記など受験向けの学習が中心となっていくことで、
科学への探求心が薄れていっているのではないかとされています。
たしかに、この部分は大きくうなずける部分があります。
時期的に夏休みの宿題などが話題となりやすいですが、
多くの場合、主要な教科(国算数理社など)では、ドリルや問題集などの、
やはりテスト向けの学習課題が多く出ているようです。
最近はわりと活動的な課題も増えてきているようですが…。
自由研究などは任意の課題となっていて、
必修の課題でなければやらないという人もちらほらいます。
でも、ちょっと待ってください。
こういう時期だからこそ、じっくりと自分でものを考えて、
課題を設定して、調査研究、観察などを行うことは大変重要な経験値となります。
しかし、多くの人がそうした課題を「わずらわしいもの」と感じ、
やってもやらなくてもどちらでも良いと言われればやらないというものとなってしまっています。
モッタイナイ!!
まぁそれもこれも、普段から科学的現象や社会的現象に興味関心を持って、今自分の取り組んでいる学習が、どんなことを理解し、説明するものであるのか、そうした学びが進められていないからこそ起こることなのでしょう。
それはそれぞれの児童生徒のせいというよりは、やはり指導者側、つまり大人の問題であると思います。
単なる知識の暗記、テストのための学習ばかりが重視される日々の学習。
「そんなつもりはない!」
という方も多くいらっしゃるとは思いますが、
結局、定期テストがあり、入試があれば、
そうしたテストの呪縛から逃れることはできない
というのが現実なのかもしれません。
だからこそ、必要以上に、日々の学習の意味づけ、価値づけをしなければ、
「社会に出たらこんなもの必要ない」
なんて安易に学びの機会を切り捨ててしまうことになってしまう!
そんなのもったいなさすぎる!!
そうは思いませんか?