12月4日(水)読売新聞朝刊一面には、
日本の学力 回復鮮明
という見出しがおどっています。
2012年に実施されたOECD-PISAの結果が公表されたようです。
PISAは2000年から3年毎に実施されている国際学力調査ですが、近年は日本では「PISA型読解力」なんて言葉があるくらいですし、新聞の一面を飾るくらいですから、注目されている方も多いかと思います。
さてさて、気になる結果はといえば、
①「読解リテラシー」… 4位(前回8位)
②「科学的リテラシー」… 4位(前回5位)
③「数学的リテラシー」… 4位(前回9位)
と全分野で平均点順位を上げています。
文科省としては新学習指導要領、「脱ゆとり」施策を前面にアピールしたいところでしょう。
しかーし、日本の上には当然TOP3がいるわけなのですが、
それがどこかといえば、
全分野で1位
…上海
「読解リテラシー」「科学的リテラシー」で2位、「数学的リテラシー」で3位
…香港
「数学的リテラシー」で2位、「読解リテラシー」「科学的リテラシー」で3位
…シンガポール
なんと、なんとTOP3はアジアが独占!
いや~すごいですね。
比較的初期に注目されたフィンランドは、「科学的リテラシー」が日本に次ぐ5位、「読解リテラシー」が日本、韓国に次ぐ6位、「数学的リテラシー」は12位という結果でした。
その他にもマカオやベトナムなども頑張っているようです。
同じくアジアの一員として、大変誇らしい気持ちになります。
ただ、諸手を挙げて喜べないのがホントのところ。
実は、アジアの教育というのは、最近の事情は調査していないのですが、一昔前は従来の日本的な教育観、指導観に基づいた教育(指導)が実施されていました。
すなわち『「受験型学力」向上プログラム』
(↑こんなのありませんが、わかりやすくするため僕が勝手に命名↑)
◆細かい知識をガンガン詰め込み、ある条件下で、早くかつ正確に再現する力。
◆ある一定の枠組みの中で使用できる「方程式」を、ある条件下で、早くかつ
正確に活用して「正解」を見つけ出す力。
「受験型学力」というのはこんなふうに定義できるでしょうか。
こうした受験型の「つめこみ」に対抗する形で、「ゆとり」が出てきたのですが、
その「ゆとり」は実はホントのところはきちんと理解されず表面的なただ単に「楽チン」な学習を推進するようになってしまったのですね。
というわけで、またさらに「脱ゆとり」ということで、「つめこみでもゆとりでもない」というスタイルが現行の学習指導要領の根本理念となっています。
しかーし、仮に、今回のPISAでのアジアの好成績が、かつての日本よろしく「受験型」のような「つめこみ」系の学習を続けた結果だとしたら、どうでしょう。
昔ながらの「つめこみ」でも十分に最近の新しいテストにも対応できるんじゃん、なんてことにもなっちゃいますね。
もちろん、PISAは単に知識があるだけではどうにもならないテストですが、しかし、そうはいってもテストですから、「傾向と対策」は出て来るわけで、「受験型」でガンガン鍛えている人たちにとって「傾向と対策」なんて得意中の得意ですからね。
実は、そういうふうにして「PISA対策」スパルタ授業がアジアのそこここで日夜行われているとしたら・・・
怖いです。
日本人は「イイ人」「勤勉」というのが外国人のイメージの上位にあがるらしいですが、
そんな「勤勉」で「イイ人」の日本人が、国際的に「イイモノ」とされるテストでよろしくない結果が出たら、そりゃ目一杯努力して改善しようとするでしょう。
それがなぜ「イイモノ」なのか、自分にとってどんなふうに「イイモノ」なのか、大事な部分に多少目をつぶってでも、何かを犠牲にしてでも、歯を食いしばって「勤勉」にこなしていくでしょう。
ほら、だんだん怖くなってきたでしょ!?
PISAで日本の学生の弱点として明らかになった(実はもっと前からわかってはいましたが)のは、PISAで言うところの「熟考・評価」と「自由記述」です。
PISAでの「読解リテラシー」の測定には、大きく3つの「読解プロセス」に基づいたテストが用いられています。
つまり、「情報の取り出し」「解釈」「熟考・評価」です。
僕ら日本人がイメージする典型的な「国語の読解テスト」を思い浮かべてみてください。
●「傍線部分と同じ内容の部分を抜き出す」などの問題が「情報の取り出し」に該当します。
●「傍線部分はどういうことか」など部分的な説明・要約、また文章全体の主旨や論理展開などを問うのが「解釈」に該当します。
●あるテーマに基づいて「自分の考え」を書く(課題作文・条件作文など)ような問が「熟考・評価」に該当します。
もちろんPISAは、日本人の・日本人による・日本人のためのテストではありませんから、多少の違いはありますが、上のようにイメージしてみると分かりやすいと思います。
このうち「熟考・評価」の「自由記述」が日本人の弱点だとか。
確かな証拠はすぐにあげられませんが、何となく頷けますよね、この結果。
だって、作文、みなさん好きじゃないですもんね!?
ちゃんと書き方教えてもらっていないのに、やれ「読書感想文」だの、やれ「行事の感想文」だの、やれ「人権作文」だの、様々な作文を多くの人が書いてきているはずです。
でもやっぱりちゃんと教えてもらったり、良い点、改善点を指摘してもらったりしないと、何となく自信をもって書けませんよね。
もちろん教えてもらわなくたって本を読んだりして、好きな作家の文章をまねてみたり、自分で学ぶことはできます。
けど、少なくとも学校で課題となる作文に関しては、やっぱりちゃんと指導がほしいですよね。
あっても赤ペンでガンガン添削されるだけ、とか、コメントがあるだけとか、だとせっかく書いたのにやる気なくしませんか?
「だったらもう苦しい思いまでしてちゃんと書かないよーだ!」
みたいな。
まぁそんな子どもなイイワケは言っても仕方がないので。
じゃあどうするかってことになれば、やっぱり自分で勉強するしかない。
最近は、PISAや全国学力・学習状況調査の影響もあって、割と学校でも作文の書き方練習をしているところも増えてきているような感じがします。
(相変わらず作文課題を出すだけ出してあまりフォローないというもの多いようですが)
ただ、これが単にPISA対策のような授業になってしまっては本末転倒。
学習において大切なのは、テストで良い評価を得ることではなく、どのような知識・技術・考え方を習得するか、ということです。
テストで良い評価を得ることが必要ないというわけではなく、テストは目的(ゴール)ではなく、あくまでも手段であるということをきちんと分かっておく必要があるということですね。
作文も、何となく形式上書けるようになっても、実際の生活等の場面で効果的に活用できなければ、それも「使えない知識・技術」になってしまいます。
一生懸命に取り組んだ学習の結果がそれでは、悲しすぎます。
というわけで、PISA。
なかなか日本の教育界に刺激を与えてくれるものではありますが、PISAを盲信的に、受動的に受け入れ過ぎてはいけませんね。
だって、PISAにおいて日本の生徒の弱点は、「熟考・評価」だという結果が出ています。
さらに言えば、PISAの根幹にはいわゆる「批判的思考力(クリティカル・シンキング)」があるわけです。
つまり、PISA自体にも「批判的」な眼差しを向けて付き合わなければ、本来PISAによって求められている力は身についていないということになってしまうわけです。
ちなみに「批判的」と聞くと、日本人はつい「否定的」と捉えてしまう傾向があるようです。
何か、否定的な見方をして、文句を付けなければならないというような錯覚を起こしやすいのですね。
でも、本来「批判的」というのは、「否定」することではなく(もちろん否定すべきは否定しますが)、簡単にいえば「よく考える」ということです。
このあたり、語り出すとまだまだ長くなりそうなので、別の機会に。
今日はこのあたりでおしまいです。
(といっても十分に長文ですね(*´▽`*))
何か気になることがございましたら、ぜひコメント下さい。
こうした話題に興味ある方は、PISAの大人版PIAACについてコメントを書いた記事がありますので、
よろしければ↓こちらもご覧ください↓
http://ameblo.jp/learning-labo/entry-11649177173.html

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