気付けばもう12月、師走ですね。
毎日寒い日々が続いていますが、みなさま風邪などひいていませんか?
暑い夏がやっと終わったと思ったら、急に寒くなり出して、大好きな秋をあまり時間出来ずに冬を迎えてしまった印象で、たいへん残念です。
さて、先月は私事で学術論文というなのやや長めの作文をしていましたので、なかなか更新ができませんでした。
この頃更新をさぼっていたにもかかわらず有り難い「メッセージ」を頂きました。
直接記事を読んで、メッセージを頂けるとついついさぼってしまう自分を反省し、きちんと更新しなくちゃ、と気持ちを高められます。
現在、当塾オリジナル授業「基礎講座」において、「物語創作」および「商品開発」を行っています。
ほぼ演習は終了して、作品が出来上がりつつありますので、編集が終わり次第、一部の作品をここでもご紹介できればと思っています。
お楽しみに~
ところで、11月終わりから先週にかけて、いくつか面白いニュースがありましたね。
みなさんチェック済みかもしれませんが、私のコメントもおりまぜてご紹介させて頂きます。
まずは…
11月26日(火)読売新聞夕刊1面の記事。
「土曜授業 社会人が先生」
という見出しの記事。
公立小中高校で土曜日の授業が復活するとかしないとか。
その土曜日の授業を、民間企業の技術者や銀行員、行政職員などの専門知識を持つ人材が実施できるように、「出前講師制度」を創設する方針を文部科学省が決めた、とのこと。
素敵な企画ですね。
現在でもキャリア教育の一環として「職業体験」などがありますが、
より様々な「仕事」を垣間見ることで、社会への接続、将来への意識を顕在化することにつながる良い機会となることでしょう。
記事には、メーカーの技術者が商品開発の過程を説明したり、銀行員が為替や株式などの金融の仕組みを解説したり・・・することを想定しているとあります。
あれ?
いま「基礎講座」でやっていることと一緒じゃん!
そうなんです。
わたしたち学習塾ラーニング・ラボでも、キャリア教育などへの視点を持って、実社会への接続と自分の将来への視点を持ってもらうために、通常の教科以外にも広く学びの機会を提供しています。
現在、ちょうど授業で「商品開発」をしてもらっています。
…あ、実際に商品をつくるわけではありませんよ。
「こんなものがあったらいいな」という思いを紙の上で想像してもらっているのです。
ただし、①現実にあるものを改善する、②ターゲットは誰か、③他のモノをどこが違うのか、などは必ず意識して考えをまとめてもらっています。
最終的には、その魅力を消費者に伝えるためのCMつくりまで。
なかなか楽しい実践になっていると思います。
まぁ、わたしたちが行っているのは、どこまでいっても擬似的なもので、ある種のリアルを欠いたものではあります。
その点、実際にそれぞれの生の現場で活躍されている方が語る生の言葉は、小中高生にとって、それだけで聞く価値があるのでしょう。
いやーこういう企画が自分が小中高生の時にもあったら良かったのに、と本気でそう思います。
この記事に関連した話題が、一週間後の12月3日(火)読売新聞夕刊1面にありました。
「育て!未来の外科医」
という見出しの記事です。
地方の医師不足解消への一手として、現役の医師が子ども達に手術などの模擬体験をする医療セミナーを開いているとのこと。
しかも、こうしたセミナーは全国的に広がり、盛況らしい。
これも、医療界の切実な問題もありますが、子ども達の側からみても、大変有意義な体験となるでしょう。
参加者の中の何人かはこの体験をきっかけとして、実際に医師を目指すかもしれない。
全員が医師を目指さずとも、この体験自体が日常ではほとんど体験することができないことですし、たとえ、体験することがあるにせよ、それは多くの場合医師の治療を受ける側での体験でしょう。
こうした日常体験できないことを体験することは、それだけで多くを学ぶ機会となります。
ぜひこうした活動がもっと広がりを持つことを望みます。
これもやっぱり自分が受けたかったな。
実は、私、中学生の頃一時期、医師になりたいと思ったことがあります。
まぁ確固たる決意を持った思いではありませんでしたけどね。
中学の時、放課後に希望者のみでラットの解剖を行ったことがあります。
正課ではなく、希望者のみでしたが、何人もの生徒が集まっていたと思います。
それまで魚やカエルは理科の授業で解剖をしたことがありましたが、哺乳類は初めて。
しかも、ラットが大きくなり過ぎたということで解剖実習が企画されたらしく、だから、若干大きめのねずみが相手。
その何とも言えない高揚感はいまだにはっきりと覚えています。
その実習では、消化器官などの内臓もさることながら、頭の方も解剖しました。
頭蓋骨を剥離して、脳から脊髄を傷つけずに取り出す…
…自分で言うのもなんですが、その鮮やかな手つきたるや並のものではなかったんです。
(そのメスさばきは、今では包丁さばきに活かしてます(;^ω^A )
まぁそれをきっかけに自分は外科医になるしかないと本気で勘違いをしたわけです。
その後、高校、大学と進むにつれ、いろいろと思うところもあり、医師を目指すことはありませんでしたが、でも、わたしの中の大事な部分に、この「リアルな体験」ははっきりと記されていて、陰に陽にわたしを支える一要素となっています。
こうした子どもの頃、というか、「リアルな体験」がなかなかし辛い時期に経験する「リアルな体験」は、得てして「勘違い」を起こさせるでしょう。
「ボクもお医者さんになる!」
という、あれ。
「子どもには無限の可能性がある」
よく聞く言葉ですが、半分あっていて半分間違っている、と思う。
可能性という意味では、まだナニモノでもない子どもはナニモノにもなれる可能性がある。
でも、生まれながらに持った身体的能力や気質、生育環境などなどによって、開眼するものはやっぱり違う。その意味で可能性は無限ではない。
だから、応援しているつもりで、励ますつもりで子ども達に伝えているとは思うけど、でも、それはもしかしたらとても無責任なことかもしれないとも思う。
「何にでもなれるからがんばって努力しなさい」
というより
「何になれるか、これはできるできないをはっきりさせるように学びなさい」
と言った方がむしろ安心して学びを進められる子ども達も多いと思う。
でも、そうした生得的な条件や後天的な条件は、もしかしたら、「勘違い」によって心の底から湧き起こる、体の隅々にまで行き渡った「情熱」によって、いかようにでも変化させられるのかもしれない。
だから、夢見ること、「勘違い」することはとても素晴らしいこと。
それを否定することはできないですね。
教科書を誰よりもよく理解していて、テストではいつも高得点を取っていて、でも将来やりたいことなんてない、という人…
学校の勉強や、テストは今一だけど、でも強烈に望む未来があって、そのための努力が楽しんで出来ている人…
どっちが良いのでしょうかね。
みなさんはどう思いますか?

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