うっかりブログアップするのを忘れていたのですが💦
3年前の夏至から、八節季に人が天地とのつながりを取り戻す‘響き愛‘の活動を続けています。
不忍の池の蓮の花がどうも気になる
先月あたりから、SNSでも蓮の花の投稿が目につくようになっていたけれど
まだ咲いてるのかしら…
そう思いながら、朝iPadを開くと、知人の投稿で蓮の花の写真が現れる
どこ?と思ったら、不忍池…笑
そんな感じでお知らせがあり、行き先は上野のお山ということで行って参りました。
どうも、今年の立夏(5/5)前後に開催された丸善丸の内の展示の際、
高千穂水晶をお江戸の中心(皇居)につないだ流れが続いているようで…
近現代日本の中心地・東京に宿る重たいエネルギーの開放が、今の任務のようです。
上野公園は、今では動物園や博物館、美術館などが集まる都民の憩いの場ですが、
この一帯は元々、徳川家の菩提寺・寛永寺の広大な敷地です。
かの平安京の鬼門(東北)を守るために、比叡山に延暦寺を建立したことにならい、
徳川二代将軍秀忠は、江戸城から見て鬼門の上野の地を慈眼大師天海大僧正に与え
寛永寺を建立させたと言われています。
寛永寺ホームページよりお借りしました
上野の小高い丘は、西の比叡山に対し東の叡山という意味で「東叡山」と名付けられ、
かつては、今の噴水広場に壮大な根本中堂、国立博物館の場所に本堂があり、
敷地内には京都の清水寺を模した清水観音堂、琵琶湖の竹生島を模した不忍池の弁天堂、五重塔や大仏殿を配し
徳川の威厳と、江戸が世の中心であることを示す役割も担っていたと想像できます。
上野に到着し、さてどこから周りましょうか…
と思っていると、まずこちらに行かされました。
言わずと知れた、西郷隆盛像。
上野には何度も来ていますが、この像を実際に見るのは実は初めてです。
ここにまず来た理由は、すぐにわかりました。
この像の後ろにある、彰義隊の供養塔。
そう…この地は、幕末の戊辰戦争の戦場(上野戦争)となった場所でした。
(知識としては知っていましたが、実際行ってみてわかった…あるあるパターン)
江戸城を明け渡した後、寛永寺で謹慎していた徳川慶喜を警護していたのが
旧幕府側の武士で構成されていた彰義隊でした。
供養塔には、この地で亡くなった隊員たちが、ここで荼毘に付されたと書かれていました。
この地に残る重たいエネルギーを、高千穂水晶フラーレンと共に開放していきました。
来た時に感じたモヤッとした氣が晴れて、明るい光が供養塔に差し込んでいきました。
最初のポイントでのミッションを終え、次に向かったのは清水観音堂。
蓮の花と共に、こちらの観音様をお参りしたいと思っていました。
この「月の松」は、初代歌川広重の浮世絵にも残されています。
観音堂は京都の清水寺の清水の舞台を模して造られたそうで、
お堂の舞台の上からは、月の松越しに、不忍池の弁天堂が一望できます。
こちらの千手観音様をお参りし、不忍池の蓮を見に行くと…
極楽浄土が広がっていました
実はこちらには、夏至に鳥取・大山に行く前に参拝しており、
今回、旅のお礼参りとご報告も兼ねての参拝となりました。
朝開く蓮の花は、私が行ったお昼過ぎにはほとんどが閉じてしまっていましたが、
まだ蕾がたくさんあるので、もうしばらく花を楽しめそうでした。
蓮の花は、仏教では仏様が坐する神聖な花。
泥の中からでも美しい花を咲かすため、清らかさや再生の象徴とも言われます。
天に向かってまっすぐ伸びる花の蕾を見ていると
今目覚め、花開こうとしているひとりひとりの姿のように見えてきます。
それぞれが自分の素晴らしさに気づき、花開こうとする時
その美しさと生きる力に誰もがハッとするでしょう。
蓮の花は、そんなことを私たちに伝えてくれているように感じました。
蓮池を後にして向かった先で、思いがけないことが起こりました。
長くなったのでつづきます→後編

希少な高千穂女神水晶を精麻で編んだアクセサリー















