大丈夫は自分の中にある*人生を支える意識の法則* -73ページ目
前回からの続きです
仕事をしていく中では
もちろん、いいことばかりではなく
うまくいかなくて落ち込んだり
苦手な患者さんに神経すり減らしたり
頼りにしていた人が退職してしまったり
忙しすぎてクタクタになったり
変わり映えがしなくてつまらなく思ったり
毎日色々なことがあるし
ネガティブな感情が湧いてくることに
もやもやしたり、落ち込んだりする
ことも多々ありました
昨年、UMIで心のことを学んで
いいことも悪いこともあって当然だし
ネガティブな感情こそが
私がここまでがんばってくるのに
必要だった原動力を作り出して
くれたんだなぁ
と捉えられるようになりました
また、現在は夫婦関係も再構築して
家計も一つに戻しました
5年間夫も私もよくがんばった!
夫は単身赴任をしているので
支出も増えましたが今の私には
必要なお金はあるという感覚があります
そして以前は使えなかった
自分のことにお金を使えるように
なってきたなぁと思うのです
講座の受講費や
マッサージや美容院など
身体のメンテナンスもそうだし
今の私にはやりたいこともあるし
父のお世話もあって週5回の勤務が
厳しく感じたので有給休暇を使いながら
週4回にしてみたり
(収入は減るけど自分の時間をお金で
買っているイメージです。これも夫が
しっかり働いてくれるから選択できる
ことであり感謝しています
)
自分のためにお金を使っている
と自覚するようになり
仕事をするモチベーションも
また変わってきたと思うんですよね
自分が好きなことに使うために働くと
いう感じです
自分の好きなことというのは
私自身が自己投資に使うことはもちろん
家族で旅行に行きたいなとか
月に何回かは家族で外食したいなとか
子供が好きな進路を選べるように
貯金しておこう!とか
将来の自分たちのためにNISAを
利用しよう!とか
といった感じです
実は使い方はそこまで変わってないの
ですが、違うのは自分が選択しているのだ
ということを自覚するようになったのが
大きく変わったところです
今の生活は夫婦合わせての収入は
程々だけど
大きな不足感はなく
事足りているという感覚
パートでもそこそこの時給をもらえる
資格があってありがたいなとは思い
ます
でも、今の仕事をずっと続けていくのは
なんだかおもしろくないなぁ、と
感じる私もいます
好きなことを仕事にできたらいいな
自分の才能を活かせることを仕事に
できたらいいな
仕事に限らず本当にやりたいことに
出会いたい!
というのも大きな夢としてはありますが
私の好きなことってなんだろう、とか
私の才能ってなんだろう、とか
自分と向き合いながら
模索中の私です
3回に渡り長くなりましたが
こんな感じで看護職を続けてきました
というお話でした
今日も最後までお読みくださり
ありがとうございました
前回からの続きのお話です

夫と別居してからは
離婚して1人で子供たちを育てていける
準備をしなければと、考えるように
なりました
まずはパートで働いていたのを
常勤にしてもらうことから
と職場に掛け合いました
すんなりいくかと思っていたのですが
1人で子育てしながら働く私側の条件と
職場の求めているものがかみ合わず
常勤で働くことは叶いはするものの
なんだか後味の悪い擦り合わせと
なってしまったんですね
それを相談していた
信頼できる職場の人が
「子育てしやすそうな職場があるから
話だけでも聞いてみたら」
と紹介してくれたのが今の職場なんです
なんか嫌とは感じていたけど
当時紹介してくれるこの方がいなければ
ずるずると働いていた
面接では
家庭の状況や離婚をするつもりである
ことも話した上で
「今よりやりがいを持って
しっかりと働きたいんです!」と
話したことを覚えています
当時上の子が年長さん
下の子はまだ2歳だったので
常勤ではなく、働きやすいパートを
勧められて迷いはしましたが
その条件での転職を決めました
働きはじめてみると
同世代のスタッフが多く
子供の体調不良で休んだりすることも
お互い様の意識で寛容な職場
そして
自分が今まで働いて積み重ねてきた
ものが自然に活かせる感覚もあり
やりがいを持って
のびのびと働くことができたん
ですよね
徐々に時間と日数を増やして
子供たちと自分のために働くぞ!
今までみたいに我慢するのはやめて
好きなものを買おう!
という気持ちも出てきました
私の家族の枠組みから夫が外れた
ことで少し自由になった感じが
していたんですよね
その間に不成立にはなったものの
離婚調停をして夫と完全に生計を
別にするという変化もありました
今考えると夫がローンを払ってくれてる
家に住み、自分の給料プラス婚姻費用を
もらっていたので、全く自立できている
わけではなかったのですがね
そうなると働く意欲が出てきて
自分のペースで少しずつ
就業時間を伸ばして
週5日働くようになった私
保育園に息子を預けて
幼稚園の早朝保育に娘を預けて
職場に向かう朝が
娘が小学生になり
息子を保育園に預けて
娘を送り出して、鍵をかけて
職場に大急ぎで向かう朝に変わり
息子も小学生になり
私が先に家を出て
娘と息子が鍵を閉めてくれる
朝になり
私の朝の時間も
少しずつ
少しずつ楽になってきました
夕方仕事から帰ってからの時間も
同じくでした
そして、私にとっての仕事が
おもしろさや、やりがいを感じながら
自分と子供のためのお金を稼ぐ手段
となってもきたんですよね
もう少し続きます
次回で終われそうなのでよかったら
お付き合いください
今日も最後までお読みくださり
ありがとうございます
心のことを学んで
私の仕事に対する意識が大分
変わってきたな、と感じています
今日はそのことを書いてみようと
思います
仕事への意識
私は新卒で就職した
総合病院で6年働きました
振り返ると
ここでは仕事というより
修行という感覚で仕事をしていて
お給料はそこについてくるものと
いう感じであまり気にかけていません
でした
5年くらい働いてもその感覚は
変わらず
もっと稼ぎたい!
もっとお金がほしい!
みたいな気持ちは一切
湧いてきませんでした
その一方で
3年目くらいの時に仲のいい友達と
働いてるのにお金貯まってない💦
500万貯金しよう!って計画を
して貯金に目覚めたのもこの頃です
緩急つけながら
のらりくらりとした節約を続けて
30歳で結婚するまでには
目標を遥かに超える額が
貯金できてしまいました
話が逸れてしまったので元にもどり
ますね
その後、病棟での仕事もチャレンジして
みたい気持ちが出てきて転職することに
はじめての転職は保健師の仕事でした
夜勤がなくなったので
想定はしていたけど収入は減りました
民間の中小企業だったので
思いの外ボーナスがガクッと減って
仕事の内容も思っていたのとは違って
たんですよね
そうなると今度はお給料がすごく
気になりはじめたんです
残業したり
出張で大変な業務があったりすると
その分給料は多くなります
仕事は私には楽しいと思えるものでは
なかったのですが(笑)
お金のために働く!
という感覚が芽生えたのは
この頃だったなぁと思うのです
この職場は結婚するタイミングで
家から遠かったこともあったし
続けるほどの熱量もなかったので
2年勤めて辞めました
業績が悪くて希望退職を募ったりする
時期の少し前にするっと辞めれて
タイミングはよかったです
2回目の転職は
結婚してからすぐでした
自宅から10分の距離の
透析専門のクリニック
はじめて家から近い職場でした
デスクワークの多い保健師の仕事を
してみて、私は臨床で動き回ってる方が
向いてるな〜と感じたので
再び看護師として働くことにしたんです
経験のない業務だったので
はじめはやはり修行っぽかったですが(笑)
慣れるとそれなりに働きやすく
子供2人の産休、育休を取りながら
産後は週4パートで6年働きました
職場に言われるとおりに
土曜日は必ず出勤していたし
従順に働いていました
当時、夫の給料は今よりも少なく
2人で働いていればそれなりに
余裕のある暮らしができていたの
ですが
逆を返すと
私が働いていないとカツカツの暮らし
になる!という状態だったんです
この頃から私は
生活のために働く!という
働き方をするようになったように思います
この働き方は私にとってはきついもの
でした
産後、夫婦仲がどんどん悪くなる中
私のまわりは専業主婦で子育てして
いる人も多かったので
どうして私だけ生活のために
働かないといけないの
働いて家計を支えているのに
夫は当たり前だと思ってる!
感謝させなきゃ
共働きなのに
もっと家事も育児も手伝ってよ
みたいな気持ちが膨らみパンパンに
なっていました
夫が働いていることも
男の人が働くのは当然!と私が思っていたので
夫も私に対して
家のローンがあるのだから
妻も働くのも当然!と思っていた
今なら分かるんです
夫婦はお互いを写し出す鏡なので
こうなることはごく自然なこと
仕事をしてお金を受け取るのに
それは家族のお金であって
自分のものではないという感覚もあり
独身の頃より
服や化粧品のランクを下げたし
外食や贅沢をしないように我慢もしました
夫と自分のお弁当も作り節約
でも、それらのことは決して
やりたくてやっているわけではなく
家族のためにそうしなければならない
という制限の意識でやっていたので
自分でやっているのにとっても不本意
というちぐはぐな感じ
私にとってのお金は
手に入っても自由に使えないものになり
(正確に言うと、私がそういう位置に
設定したのですがね)
当然のことですが
それに伴って仕事へのモチベーションも
上がりませんでした
まさに働かされているという感じ
そこから夫婦関係が破綻してしまい
5年間の
別居生活を送ることになりました
長くなりそうなので
続きは次にしますね
1ヶ月以上前にいただいた花束の生き残り
つぼみがちゃんと開いてびっくりです
写真から検索すると
フチベニベンケイというお名前でした
今日も最後までお読みくださり
ありがとうございました

