災害被害者、大切な人を亡くされた方で

フラッシュバックを起こしたり、気持ちが不安定になる方は

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リーダーです<(_ _)>

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今回は、利他的行動について綴ります。

利他的行動とは、社会心理学ではもちろんのこと、経済学でも重要な研究対象です。

簡単に説明すると、寄付、ボランティアなど困っている人を助ける行動を利他的行動と言います。





後藤健二氏の殺害から約1ヶ月経ちました。

国内では賛否両論あります。

そもそも後藤氏がイスラム国へ行こうとした理由は何だったのでしょう。

兄と慕ってくれていた湯川氏を救出しようとしたから、

その手筈が整ったから極めて短期での渡航を計画したのでしょう。

政府は、3回渡航中止要請をしたと言っていますが、一体何なのでしょうか?

だから政府に責任は無いとでも言いたいのでしょうか?

そもそも政府は湯川氏、後藤氏それぞれが拘束されていると知っていたのにも関わらず

なぜその時々に何もしなかったのでしょう?

後藤氏が渡航し、イスラム国に捕らえられ、殺害されたのは自己責任なのでしょうか?

イスラム国は、最初から日本を敵国と見なしていたのです。

その火種として後藤氏、湯川氏は尊い命を奪われる事になったのです。

後藤氏、湯川氏でなくとも日本人であれば誰でもその対象となり得る状況だったのです。



つまり、後藤氏には否はありません。

ラッカ(イスラム国勢力圏内)に入る前、友人に託したビデオレターには、

「自分に何が起こっても、その責任は自分にある。シリアの人達に自分に起こった事の責任を負わせないで欲しい。」

というメッセージを残しています。

死を覚悟してのメッセージだったのでしょう。

その後、後藤氏と思しき人物の音声のみのメッセージがイスラム国から発信されます。

「助けて欲しい」

という様な内容でした。

わたしが聴く限り、本人の言葉とは到底思えませんでした。

台本を読まされている様な話し方です。

わたしのゼミの教授が統計屋だったのでそう思いました(下記参照)。

元心理学徒のつぶやき③ ↓↓

http://ameblo.jp/leaderyf/entry-11995816393.html



そもそも、ジャーナリストが居なければ遠い異国の事を知ることは出来ません。

日本は、農耕社会→産業(工業)社会→情報化社会という進化をしています。

しかし、すべての国や地域が日本と同じではないのです。

原発事故が起きた時に、それを世界の一般市民に発信したのはジャーナリズムです。

原発事故が起きた時に、誰かがそれを処理しなければならないのと同じように、

誰かが現地の人の声を伝えなければならないこともあるのです。

ジャーナリストが居なくなったら、

私たち日本人は平和ボケした世界情勢に無関心な国民になってしまうのです。

現地の人が現地の事を報道すれば良いと思う方もいらっしゃるでしょう。

しかし、その手段が無い国や地域はたくさんあるのです。

誰かがやらなければならない仕事=ジャーナリストなのです。



日本でテロが起きる可能性が高まった!どうしてくれるんだ?

そう思っていらっしゃる方…

テロが起きる可能性より交通事故が起きる可能性の方が何百倍も高いです。

日本人が標的にされては困ると言ってもそれは今に始まったわけではありません。

アルカイダだって日本を標的にする発言をしています。

しかし、それが広く報道されていなかっただけです。



隣人を助けるのは、30年前は当たり前の事でした。

見て見ぬふりなんてしないおせっかいな大人がいたのです。

国、性別、宗教、習慣が違っても「人類皆きょうだい」。

暴行されている人を見て110番しないのは、

利他的行動が著しく欠如しているのです。

利他的行動は、「ヒト」にしか見られません。

つまり、隣人を助けない人は「ヒト」ではないのです。



報道は医療とは違い、間接的にしか働きかけることが出来ません。

しかし、報道によって得られるものは、医療と同じく尊いものなのです。

どうかその事を忘れないで欲しいです。

後藤氏がジャーナリストとして、一人の人間として動いたその意味を考えて欲しいのです。




☆次回のテーマは未定です☆




【追記】

ページ上部の画像は、後藤氏の著書。

ページ下部の画像は、若かりし日の後藤氏。

そちらでは平和で幸せに暮らして下さい。



リーダーです<(_ _)>

ご訪問頂きまして、ありがとう御座います。

今回は、人生の中で4年間学んだ心理学について綴ります。






心理学は、文系だと思っている方が大多数でしょう…。

心理学は、文理系なのです!!

きちんとした大学では、『統計法』『測定法』『情報処理法』を学びます。

心理学で統計屋と呼ばれる人は、

  ・瞬きの回数、視線の動き

  ・体の向き

  ・話すスピード、抑揚、高さ、低さ

  ・手の動き

等々を瞬時に計算し、その人がどのような状態かを探る事が出来ます。

しかし、これを表現出来る文章力、語彙力が無ければそこでストップです。

理系の能力、文系の能力が必要になる非常に複雑な学問が心理学です。




また、日本は欧米(特にヨーロッパ)と比べると心理学の分野では10年遅れています。

最新の論文は、英語で書かれています。

英語が出来ない人は、翻訳されるまで待たなければなりません。

それが日本語が母国語である日本人のウィークポイントです。

公用語が日本語ならば、もっと心理学の研究は進んでいたと思われてなりません。




大学で何を勉強したのか訊かれた際、

「心理学専攻だった。」

言うと、必ずと言って良いほど下記の様に訊かれます。

「心理学やっていたなら、人の心をよめるの?」

心理学は人の心を読む学問ではありません…!

共感、傾聴は大切です。

しかし、心を読み取っているわけではありません。

心理学は基礎系、応用系に分かれます。

人の心を読むような分野は存在しませんので、悪しからず。


 ・実験心理学の分野=被験者から得られたデータなどから法則等を引き出す

  実験心理学の分野は、研究職と考えて良いと思います。


 ・臨床心理学の分野=クライアントと共に歩む伴走者となる

  臨床心理学の分野は、精神疾患を抱えた人と関わる医療職と考えて良いと思います。




わたしは、犯罪を犯してしまった少年や少女に寄り添いたいと思っていました(上記の臨床分野にあたります)。

家庭裁判所調査官になりたかったのです。

しかし、自分にはその能力が備わっていない事を大学生のうちに悟りました。

自分自身に何か心の問題があるのではないかという葛藤が始まります(下記参照)。

うつ&睡眠障害③ ↓↓

http://ameblo.jp/leaderyf/entry-11994133075.html




そして、卒業して間もない23歳の小娘がカウンセラーになる事もためらわれました(因みに1浪していますので、卒業時23歳です)。

就職、結婚、出産、昇進などした事の無い小娘の言葉にどんな重みがあるのかと。

世間から見れば、「何の人生経験もない小娘に何が分かるんだ?」と言われるのは当然です。

人生経験を積んだ後でも心理職に就くのに遅くはありません。

むしろ、その方が、クライアントと寄り添えるカウンセラーになれるのではないかと思えてならなかったのです(下記参照)。

犯罪被害者③ ↓↓

http://ameblo.jp/leaderyf/entry-11990658647.html




●これから心理職を目指している学生の方へ●

大卒(新卒)で心理職に就けるのは1割。

残りの9割は一般企業の「人事部」「営業部」やIT関連企業に就職(大学院進学者もいます)。

ITがどこから出てきたのか疑問に思われる方もいらっしゃるでしょう。

まともな大学の心理学専攻ならば、心理学情報処理法などでプログラミングを勉強します。

プログラミングの基礎が解っているとIT関連企業でエンジニアとして働く事になり、

その後、「総務部」「人事部」などに配属されるでしょう。

人を救うのには、法律、医学の知識も必要です。

法律が分からなければ、虐待児童を保護できません。

医学が分からなければ、症状が身体から来ているものなのか否か判断が出来ません。

1年生の頃は、数学、英語、フロイト、ユングなどの古典的心理学ばかり教えられて虚無感を覚えるかも知れません。

心理学は、全然楽しくないと思うはずです。

これが現実です。

学+院=6年間勉強しなければ心理職には就けません。

大卒では非常に難しいです。

これが現実です。

院まで行く経済力、覚悟、心理学に対する情熱が必要です。

チャラチャラした学問ではないのです。




●大人の方で心理職を目指している方へ●

こちらは、さまざまな道があるので何とも言えません。

心理職も人間ですから、

 ・鬱々した人は苦手

 ・言葉でコミュニケーションが出来ない子どもの問題は取扱いたくない

 ・健康そうに見える人を疑わしく思う

 ・自傷行為をする人を責めたくなる

という事が必ず出てきます。

苦手分野、不得意分野が誰にでもあるのです。

自身の過去を思い起こして自分がツラくなってしまう可能性もあります。

民間資格がたくさんありますが、

「臨床心理士」でないと働き口を探すのは難しいです。

開業しても生半可な気持ちでは人の人生の伴走は出来ません。

院卒でしたら、スーパーバイザー的な役割をしてくれる教授や先輩方が身近にいるはずですが、

心理分野の出身でないとアドバイスを下さる方も少ないでしょう。

同業者は提携はしないでしょう。

あなたの何気ない言動がクライアントを死に追いやってしまうかも知れません…。

基礎が出来て初めて応用が出来るのです。

わたしは、フロイトやユングが古典的だと上述していますが、

ギリシャ哲学から始まり、現在の認知行動療法などにたどり着くまでのすべての経緯を知っているからこそ述べられるのであり、自身も心疾患であるからこそ、心理学についてわめいたり、騒いだりしているのです。

出来ればどこかの大学で基礎から学んで頂きたいと願って止みません。

『資格を取得するための勉強』ではなく、『心理学を知り応用するための勉強』をして頂きたいのです。




☆次回のテーマは未定です☆


【追記】

近々「ブログ紹介の部活」を作る予定です。
心疾患の方、労働問題を抱えている方、犯罪被害者のブログを紹介するブカツにしたいと思っております。






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リーダーです<(_ _)>

ご訪問頂きまして、ありがとう御座います。

今回は、国語、外国語、コミュニケーション能力、柔軟性がキーワードです。

中高生の頃、英語を生かせる職業に就きたいと思っていました(下記参照)。

うつ&睡眠障害③ ↓↓

http://ameblo.jp/leaderyf/entry-11994133075.html
結局は、わたしは英語関係の職に就いたことなど一度もありません。

この事については、また日を改めてブログに記します。





15歳の時に、オーストラリアの姉妹校にホームステイに行きました。

当時は高校1年生です。

わたしは悟りました!

大切なのは英語力ではないという事を!!




リーディングでは常に学年トップでした(普通科外国語コース所属)。

ライティングも6番~10番くらいです。

そんなのは実際には深い意味は持たない事を痛感したのです。

 ●母国語が出来ない人に、外国語で気持ちを伝えるのは容易でない

 ●国語力が無い人に、相手の気持ちを汲み取ることは難しい

 ●コミュニケーション能力が低い人が、文化や思想の違う人と接することはたやすい事ではない

 ●柔軟性の無い人には、その地域に住む人々の気持ちに共感することが出来ない

当たり前の事を感じさせてくれたのがホームステイです。




数学(算数)の問題を解く時、国語力が無いと何を求めれば良いのかが分かりません。

化学、物理、生物(理科)のレポートを提出する時、国語力が無ければ結果をうまく表現出来ません。

英会話塾に通う事が悪いわけではありませんし、

幼少期から英語に触れさせるのも一つの手段として有効かも知れません。

しかし、母国語が上手に使えない人、日本の事が分からない人が外国語を学んで

それを活かせるのかどうか疑問です。




わたしは、小学5年生で図書委員になってから少しずつ本を読み始めました。

中学生では図書委員会の委員長に推薦され、文芸部の副部長もしていました。

読書をして文章力が身について、表現の方法を学んでいたから英語も上達したのかも知れません。

中学生まで英語なんて全く話せなかったのに…。

まずは国語力だと思います。

日本語は難しいです。

この難しい語学を習得出来れば、他の科目も外国語も必ず上達するはずです。




☆次回のテーマは未定です☆


【追記】

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ご訪問ありがとう御座います<(_ _)>

過去のことをブログに綴っていたら気持ちが鬱々してしまって…。

今回は、音楽をテーマにしました。

失恋した時、幸せな事があった時、勇気をもらいたい時、つらい時…。

音楽が人を救ってくれる事もあるでしょう。

わたしも中学生の時に、ある曲に触発されて好きな人に告白したことがあります♪

愛の告白は、後にも先にもこれきりです。



因みに、前回の音楽に関するブログは下記の通りです。

心の支えとなる音楽① ~自由の彼方~ ↓↓

http://ameblo.jp/leaderyf/themeentrylist-10088310283.html





月の大きさ


TVバージョン ↓↓

https://www.youtube.com/watch?v=Do986Sg_B3w


何も言わず 泣けたらいいね

涙が涸れたら終わり

もっと 僕が強くならなきゃ…

悲しみは自立への一歩

何度傷つけば 痛みを忘れる?

赤い血を流せば 命を思い出すさ

真の孤独とは 過去のない者 今しか知らぬ者

つらいことが あった時には 瞼(まぶた)を静かに閉じて

今日の 大きな月を想って 迷ってる足下 照らそう
自分に嘘つけば 自分を失うよ

月に雲がかかっても 信じてるその道を進め!


(月の大きさ/一部歌詞を引用)




・心や体にたくさんの傷がついている方

・自傷行為が止められない方

・今の自分には何の価値も無いと思っている方

心身が弱っている方々に、この曲を聴いて頂きたいです。




この曲は、乃木坂46さんのシングル「バレッタ」のカップリング曲です。

ご存じの方も多いかも知れませんが、わたしは最近まで全く知りませんでした!

PVから観てしまったので歌詞の重みが伝わってきませんでした。

このPVがこの歌詞の大切さを損ねている様な気さえしています(わたしの勝手な見解です)。




もし、今がつらくても、それはずっと続くわけではありません。

何がきっかけで良い方向へ行くのかなんて誰にも分かりません。

わたしは、このブログを読んでいる方が苦しんでいるのはツライです…。

・ポジティブになる必要は無い

・頑張らなくていい

・床から起き上がれなくてもいい

・死にたくなる気持ちが悪いことではない

ただし、生きていて下さい。

死なないで下さい。




月の大きさPVバージョン ↓↓

https://www.youtube.com/watch?v=9LKrDAPiy1Q


☆次回のテーマは未定です☆



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家庭崩壊についてのブログです。

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リーダーです!

ご訪問、ありがとう御座います!!

自身の「うつ」「睡眠障害」の原因について綴ります。

今回で3回目なので、過去のブログもお読み頂ければより分かりやすいかと思います。

うつ&睡眠障害 ↓↓

http://ameblo.jp/leaderyf/themeentrylist-10088390926.html





小学6年生の頃、突然、母方の祖母から電話がありました。

父が在宅していたので、父が電話に出ました。

『●●(母の名)から電話があって、居場所が分かった。会いたいかどうか?』

という主旨の電話だったそうです。

正直、会ってはみたい…ただそれだけでした。

この頃には、母親が居なくて寂しいとかそんな事は思っていませんでした。

何処でどうしているのか?

今でも生きているのか?

7年間行方不明だと籍が外れるからどうなのか?

そんな事ばかり考えていました。




父「どうする?お前たち、お母さんに会いたいか?」

弟「…」

私「う~ん、会ってはみたい。」

父「△△(弟の名前)はどうだ?」

弟「う~…うん。」

父「じゃあ、お父さん今から行ってくるな。おばあちゃんの家に今いるみたいだから。」

ふたり「うん。」




これが苦悩の始まりでした…。

父と母と祖母が話をして、とりあえずそれだけで帰ってくると思っていました。

父の後ろから人の気配がします。

母と帰ってきたのです。

母は、部屋に入ってきて開口一番、

母「ごめんね。▲▲(私の名前)、△△(弟の名前)ごめんね。」

正座をし、涙を流しながらわたしと弟の手を握りました。

わたし自身は、感傷的な気持ちはありませんでした。

弟もぽけ~っとしていました。

数年後、弟は母の事を「あんな人だったんだ。」と言っています。

(2歳の弟は、母を覚えていませんでした。)

すべての話し合いが済んで両親は帰宅したのだと思っていました。

父が納得したのならば、わたしも良しとしようと思いました。

でも違っていました。

それが分かったのも数年後です。




この日から、母との生活が始まります。

平屋の6畳二間のアパートです。

わたしと弟は二段ベット、父と母は隣の居間で寝ていました。

母が帰って来た夜、わたしは眠りませんでした。

確かめたい事があったからです。

もうすぐ中学生のわたしが、男女が夜どうするのかなんて想像に難くありません。

まさか…とは思っていましたが、その晩、男女の営みがありました。

それから毎日の様に…!!

恐らくこれが睡眠障害の発症だと思います。

睡眠障害の原因がここにあると気が付いたのは、

それから15年以上経ってからです。

耐え切れずに、声を漏らしながら泣いてしまった事もあります。

この二人の間には性愛しか無いのだと…。

大人は汚いと思いました。




母に近付こうと試みました。

母もわたしと弟に近づこうと努力していました。

でも、全然かみ合わないのでお互いに疲れてしまいました。

結局、距離は縮まりませんでした。

だんだんと母の存在が疎ましく感じられてきました。

「女」の部分を使って父と接しているのが、しゃくに障るのです。

母が失踪(家出)をしたのは、「母親」が嫌になったからかも知れません。

買い物依存症だけではない気がしてきました。

「女」として生きたかったのではないかと…。

高校生になってから、その事がはっきりと分かりました(また後日綴ります)。




その後、強迫性障害も併発しています。

自覚したのは、大学で心理学を学んでからです。

手が「汚い」と思えて仕方ないのです。

家に居る時は、何度も手を洗いました。

手を洗うには、居間を通らなければなりません。

最初は、ただ手を洗うだけでした。

しかし、それをしなければならないという観念が強迫性障害にまで達したのだと思います。

居間を通って汚い大人を監視しなければならないと…。




母は、何度か家出を繰り返しました。

着もしない服を買ってきてタンスに押し込んだりしていました(買い物依存症)。

わたしの服だけ洗濯しない、わたしの服をどこかに隠すという不可解な行動もしています。

母が大嫌いでした。

乳児の頃に発症して以来、完治したと思われたアトピー性皮膚炎も再発しました。

原因は極度のストレスです。

中学生にして、白髪も増えました。

母の存在そのものが疎ましいのです。




学校は楽しかったです。

中学時代が(ある意味では)人生で一番楽しかったかも知れません。

人並みに好きな人も居たし、好きだと思ってくれている人もいました。

色々な方向への矢印…片想いの嵐ですね(笑)。

場面緘黙症も克服できました。




勉強も頑張りました。

小学生の頃には、そろばんくらいしかやっていなかったのでおバカな子どもでした。

(勉強は出来ませんでしたが、そこらの小学生よりは精神年齢は高かったかも知れません。)

中学生から英語の授業が始まるので、英語は絶対頑張ろう!!

そう思って、予習していました。

当時は、教科書の全文を暗唱出来ました(1年~3年のすべてです)。
筆記体も全部覚えました(当時は読めれば良いという方針でした)。

発音記号も覚えました(これは英語教師の勧めでした)。

とにかく英語を中心に勉強ばかりしていました。

全教科の成績も200人中40~60番くらいなのでそこそこでした。

将来は、英語を生かせる職業に就きたいと思っていました。

(何故か、心理学、ビル管理、書店員と迷走していく人生…。)




走るのも何故か速くなりました。

クラスで後ろから2番くらいだったのが、

短距離、長距離ともにとても速くなったのです。

短距離は、クラスで3~4番。

長距離は、クラスで6~7番。

文化部で運動は大嫌いでした。

なぜ速くなったのか心当たりが全く無いのですが、

あの時、陸上部にでも入っていれば人生また変わっていたかも知れません。




学校では、割と活発な生徒でした。

家庭の方は、最悪でした。

母と一刻も一緒に居たくなかった…。

部活が終わった後に教室で残っていたり、

書店で、エッセイ、自己啓発本を立ち読みしたり(万引き犯だと思われていたかも知れません)、

図書室で勉強したり、本を読んだりしていました。

(図書委員長、文芸部副部長だったので鍵を持つことを許されていました。)





母とは、

 ・口を利かない

 ・目を合わせない

 ・一緒の空間に居ない

という生活が現在まで続いています。

この頃は、高校を卒業したら家を出ようと考えていました。

例の事件があって一人暮らしは実現しませんでしたが…。

犯罪被害者 ↓↓

http://ameblo.jp/leaderyf/themeentrylist-10088180578.html




高校受験が近づく2学期頃から成績が落ちていきました。

今までさぼっていた生徒が頑張り出したからでしょう。

わたしも頑張っていたけれど全く駄目でした。

定期テストは範囲が決まっているのでそこそこの成績ですが、

実力テストは今までの全範囲から出題されるので手のうちようがなかったのです。

家庭環境も良く無いので、人の2倍は頑張ろうと努力しました。





3学期の最後のテストで、200人中180番でした。

担任には、非常に心配されました。

 ・公立の第一志望は厳しい

 ・それよりだいぶ低いところも難しい

 ・落ちたら、私立に行けるのか

私立なんて、貧乏な我が家には絶対無理だと確信していたので、

夜間だって良いと思っていました。

私「わたし、絶対合格するから!落ちたら夜間に行くから、公立の第一志望受けてもいいよね?」

父「高校で夜間なんてい行かせられない。もし落ちたら私立に行きなさい。お父さん頑張るから。」

父は、そう言ってくれました。

すべり止めの私立2校は合格しました(お金がかかるので1校にしたかったのですが念の為)!

第一志望の公立も合格しました!!

晴れて高校生になるわけですが…。

まだまだ苦悩は続きます。

高校時代については過日のブログをお読み頂ければ幸いです。

ユリとわたし④ ↓↓

http://ameblo.jp/leaderyf/themeentrylist-10088287802.html




☆続きます(更新日未定)☆


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リーダーです!

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今回も前回同様に、自身の「うつ」「睡眠障害」の原因について綴ります。

前回のブログもお読み頂ければより分かりやすいかと思います。

うつ&睡眠障害① ~父子家庭のはじまり~ ↓↓

http://ameblo.jp/leaderyf/themeentrylist-10088390926.html

※ 文中に?がたくさん出てきます。幼少期の記憶で曖昧な部分が多い為、ご了承下さいませ ※




埼玉に戻ったのは、わたしが小学2年生、弟が幼稚園児の時です。

父は、30歳前後。

現在の公立小学校の1クラスの半分以上は、シングル家庭なのかも知れませんが、

当時、父子家庭なんて学校に数名もいない時代です。

母子家庭さえ、めずらしがられました。

弟は4歳で既に「カギっ子」でした。

『かわいそうに』などと気軽に言われたくありませんでした。

むしろ、この頃は幸せでした!

貧乏でも、父子家庭でも!!





始めの1~2週間は、夕飯は父の実家で食べていました。

その後、自宅で食べる様になりました。

その間に父は料理教室に通っていたそうです(中学生になって人づてに聞きました)。

あの頑固オヤジがそんな事をしていたなんて、驚愕でした。

父はもともと何でも出来る人です。

幼稚園に持っていく手提げ袋に名札を縫い付けたり、

学校で使う雑巾を作ったり、

達筆なので「ボールペン字の先生か!」というくらい字が上手です。

大工なので当然ですが、手先も器用でした。

夏休みの工作は父が作っていました。

もちろん、宿題は自分でやる様にうるさく言っていましたが…。




わたしは弟を幼稚園に迎えに行ったりもしました。

小学2年生がお迎えに来るなんて、びっくりしていたとは思います。

わたしは弟を守らなくてはならないと思っていたし、

弟は体が弱かったので、自分はしっかりしていなければならないと常に考えていました。

父に余計な負担をかけたくなかったのです。




学校では、場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)でした。

父は知らなかったと思います。

学校では、話すことが出来なかったのです。

幼稚園児の頃からそうでした。

転校がきっかけで治るかも知れないと思いましたが、

「うん」

「ううん」

しか答えようのない質問ばかりされるので、

『話さなくても良い』

『いちいち話していたら返事に追いつかない』

そう思ってただ首を振るだけにしてしまったのです。

人に注目されるのが嫌だったし、黙っていれば注目されないだろう…。

そんな風に思っていました。

場面緘黙症は、中学2年生まで続きます。

(このブログを書くまですっかり忘れていました…。)




母が失踪(家出)した後、

父方の祖母にはその事は言いませんでした…。

父の7人きょうだいの誰もが言いませんでした…。

祖母「今日はお母さんはどうしたんだい?」

叔母「ちょっと風邪引いちゃって来られないんだよね?」

私「うん。」

祖母「あらそうなの~。」

こんなやり取りがお見舞いに行く度に続けられていました…。

とうとう隠しきれなくなった時に、祖母は、

『そうだと思っていたよ』

と言ったそうです。


これも大人になってから聞いた話ですが、

心臓を患っていた祖母は、毎日、病院の階段を昇り降りしていたそうです。

『わたしたちの母親代わりになれる様に早く病気を治さなきゃ』

生前、父にその様なことを言ってくれたそうです。

末期で治らないと誰もが思っていたのに、

祖母は息子(私の父)を守る為に寝たりきりの体にむちを打って病院の階段を昇降していたのです。

いつも着物を着てにこにこしている穏やかな祖母でした…。

母方の祖母とは正反対の様な…。



父は、(母方の)祖母が泣いて電話をかけてきても途中で切っていました。

祖母はわたしたち家族を追い出した事を詫びていたようです。

でも、父は祖母を許しませんでした。

祖母に会う事はそれから何年かありませんでした。





虫の知らせとは良く言いますが、

(母方の)祖母が初めて自宅に来た日、たまたま祖母が電話に出ました。

『(父方の)祖母が亡くなった』

という電話でした…。



父「(祖母(父の母)が亡くなった時に)お前たちを海に連れて行って一緒に死んでしまおうかと思ったよ。」

私「えっ?そうだったの…?」

父「毎日、毎日、死ぬことばっかり考えてたよ。」

私「…」

大人になってからその話を聞いたわたしは、涙が止まりませんでした。

そんな素振りは全く無かったからです。




『父がその時、死を選ばなかったのは何故なのか?』

わたしには尋ねる事が出来ませんでした。

今でも尋ねる事が出来ません。

父は霊感が強いので、何かお告げがあったのかも知れません。

ですが、それは父のみぞ知ることです。

(ユリとわたし②/一部引用)




☆次回に続きます☆


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リーダーです!

ご訪問、ありがとう御座います。

今回は、自身の「うつ」「睡眠障害」の原因について綴ります。

最初に発症した8年前は、別のことが要因でした。

過日のブログに記載しているので、お読み頂ければ幸いです。

ユリとわたし① ↓↓

http://ameblo.jp/leaderyf/themeentrylist-10088287802.html

※ 文中に?がたくさん出てきます。幼少期の記憶で曖昧な部分が多い為です。ご了承下さいませ。 ※




現在の病状の要因は、「母」にあると思っています。

わたしが、5歳頃~12歳まで、母は失踪(家出)していました。

弟は3つ下なので、2歳~9歳までです。

子育てが大変な時期に突然いなくなったのです…。




あの日の事をたった今、思い出しました。

わたしに向かってポツリと呟きました。

父「ママは今日は帰ってこないかも知れないよ。」

私「そうなの?なんで?」

父「分かんないけど、多分そうだと思うよ。」

5歳のわたしには訳が分かりませんでしたが、

父は母が使用していた引き出し、タンス等を見ていた様な記憶があります。

当時、2年ほど母方の祖母宅で5人で暮らしていました。

祖母が私たち家族を呼び寄せたからです。

父は居心地は良くは無かったと思います…。




2~3日経っても母は帰りませんでした。

一週間位して、ようやく事情が分かり始めた様子でした。

母は、多額の借金をしていました。

出て行く時に父の預金通帳も持ち出していました。

借金の事は、主に祖母が何とかしたのだと思います。

ユリの生まれ変わりだと思っている亡くなっていた祖父が公務員の偉い方だったらしく、

亡くなってからも祖母には多額の遺族年金?(詳細は分かりません)が支給されていたそうで、

貯金も相当残していたそうです。

母がクレジットカードを持てないようにする手続きをした旨を父と祖母が話していたので、

恐らく任意整理をしたのではないかと思います。



探偵?を雇って、母の居場所を突き止めようともしていました。

行きつけのブティック(今で言うと個人経営の洋服店)がある事が分かりました。

祖母に連れられて一緒に行きました。

店員「3日位前に来店されましたが、それからは見ていないですね。」

日を改めて再度そのブティックに行きました。

店員「もう1週間以上来ていませんよ。」

祖母「では、もし来たら連絡を下さい。」

店員「多分、もう来ないとは思いますけど。」

祖母はがっくりと肩を落としていました。

手掛かりが無くなってしまった様子でした。



駅のロッカーに、何かがずっと入れっぱなしだという事で

そのうちのひとつを多額のお金を払って開けてもらいました。

中からは、洋服が山ほど出てきたそうです。

どうせ他のコインロッカーも洋服だろう…。

他のロッカーは開錠せずに中の物は全て処分して頂くようにしたとのことでした。

母は、「買い物依存症」だったのです。

家には、洋服なんて大して無かったので、誰も気が付かなかったのです。

母が戻ってきた後(私が中高生の頃)に、

母が父に話していた事を要約すると、

  ・買い物がやめられない

  ・買った瞬間はすっきりするがその服に執着は無い

  ・ブランド物には興味が無い

  ・自分は病気である

とのことでした。

これは、典型的な買い物依存症の症状です。



母が失踪(家出)をしてから、数か月が経ちました。

祖母は、わたしと弟がいる前で、父にこう言いました。

祖母「悪いんだけど、○月までに●●(母の名)が帰って来なかったら出て行ってちょうだいね。●●が居ないんだから家族でも何でもないでしょう?」

いきなりそんな事は言い出さないと思うので、

この数か月の間に、わたしと弟には話せない様な何かがあったのかも知れません。

父「それはあんまりじゃないですか?せっかくこっちに越してきて、●●が居なくなったからって…。この子たちはどうするんですか?転校させるなんてかわいそうでしょう。第一、仕事だって辞めて、こっちで新しい工務店に勤めて、どの面下げて埼玉に帰れって言うんですか?」



わたしと弟にとって祖母は母代わりの様な存在でしたが、

祖母は、体の弱い弟の方を特に気遣ってくれていました。

この時は、本当の親である父、母親代わりである祖母の

どちらの言い分が正しいとかそういった事は深く考えていませんでした。

埼玉に戻れば、頻繁にいとこと会えるし、どちらかと言えば埼玉に戻る事には賛成でした。

ただ、無邪気に考えていました…。



○月に母が帰る事はありませんでした。

時々、無言電話があった様です。

それももうこの時には無くなっていました。

○月から数か月後、

通っていた小学校にお別れの粗品(鉛筆、消しゴム等)を持って行きました。

プールを見ながら父は、嬉しそうに言いました。

父「向こう(埼玉)に行ったら、プールも泳がなきゃダメだぞ~。向こうは厳しいんだからな~。」

私「うん、がんばるよ。泳げるようになるかな~?」

父「なるさ~。いっぱい練習すれば。」

わたしも嬉しくてにこにこしていました。

この数か月間、父は本当につらかったと思います。

それがこの時のわたしには分らなかった…。

親、きょうだい(父は7人兄弟のちょうど真ん中)、仕事仲間などに何と話したのか…。

とりあえず、引っ越しの段取りも終わってほっとしていたのでしょう。




引っ越しの日、当日。

父「▲▲(私の名前)と△△(弟の名前)は、先の車で行こうな~。」

ふたり「うん!」

私「何回か行ったり来たりするの?」

父「2回か3回かな?」

私「うん、分かった!じゃあまた戻って来られるね!」

早く埼玉に行きたい気持ち、まだ祖母と居たい気持ちが入り混じっていました。

わたしと弟は、いとこの家に降ろされました。

父が迎えに来たのは全てが終わってからでした…。

最初から父はそのつもりだったのだと思います。

もう二度とわたしと弟を祖母に会わせる気など無かったのでしょう。

これが、父の復讐だったのでしょう。



☆次回に続きます☆





前回、今回ともにいいね!は受付中です。

『見ましたよ』という意味でいいね!を押して頂いて構いません☆☆☆

コメントはデリケートな問題なので受付していません、あしからず<(_ _)>


【追記】

母方の祖母がわたしたち家族を呼び寄せたのは、

母の兄、母の姉が断ったからです。

末っ子の母に最期に声が掛かったのです。











リーダーです<(_ _)>

ご訪問頂きまして、ありがとう御座います。

今回はある中学生のつぶやきをご紹介します♪

まずは下記のリンクをお読み頂ければ幸いです。 ↓↓

http://tell-me.jp/q/2177003

※リンク切れなどはご一報下さい※



過日のブログで、

『もはや日本は30年前とは違う』

といった旨の記述をしました。

農耕社会→産業(工業)社会→情報化社会

一見、進化している様に思われがちです。

しかし、人間の心は廃れていっている気がしてなりません。



上記のリンク先では、女子中学生が電車内のマナーを守らない人々の事をつぶやいています。

わたしも全く同じ様に思っていたので驚きました!

とっさに回答の欄に打ち込んで、回答するのボタンをクリックしました。

  中学生なんですか??

  立派な考えでステキです(//∇//)

  わたしもマナーのなってない人を見ると腹が立ちます。

  イヤホンの音漏れ、携帯通話、扉付近で乗降時に突っ立っている人…

  ホントにビックリします!!

  恥を知れ!

  と叫びたいです(-""-;)

  因みにわたしはアラサーのOL です。

電車通勤をしていた2年位前と比べると相当ひどいです!

その頃も酷かったですが、今は次元が違います!!

わたしは上り電車は必ずグリーン車(自腹)に乗る事にしていました。

グリーン車が無い路線は、ひたすらガマン…。

下りは、座れそうなら我慢して普通車両に…。



昨日、心療内科に行った際もイライラしてしまいました。

携帯電話を使用している人がいるのです!病院内の待合室で!

この人たちは何を考えているのか?!

病院では電源を切るのが常識でしょう。

心療内科、眼科、歯科…等々にも

ペースメーカーを使っている人がいらっしゃるでしょう?!

風除室(風除け室)にイスもある。

喫煙者ならば喫煙室もある。



扉と扉の間にある空間が、風除室です。

一般的には、外気の流入を防ぐ為にあります。



隣に座っている人が電磁波に弱い人だったらどうするのでしょう。

有事の事態で責任を取るつもりで使用しているのでしょうか…??

そうは思えません…。




実は、近年では、『かなり近くでないと電磁波の影響は無い』という研究報告もあります。

それが妥当性、信頼性が高いのかは未知です。

(妥当性、信頼性の詳細は割愛します。因みに心理学用語です。)

STAP細胞が出来たと発表されたのに、再現できなかったというのと同じです。

同じ条件(環境、方法など)で誰がやっても同じ結果が出るのなら、

妥当性、信頼性は高いと云えます。

例え、この研究が多数の支持を得ても、

人間としての倫理観は忘れてはいけないと思います。



このブログを読んで下さった方、

アメーバのTell meの投稿をご覧になった方が

どうか良識のある言動をして下さるように願ってやみません。

お付き合い頂きましてありがとう御座いました(*^_^*)



☆次回のテーマは音楽 or 家庭環境についてです☆



【追記】

皆さまのいいね!が自分が認められている様で嬉しいです!!

ありがとう御座います(^_-)-☆




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リーダーと申します。

過日のブログで一番好評だったのが健康に関するものだったので

またこちらのテーマでブログ更新します。

ナゾの腕痛 ~医療分野をどう見極めるか~ ↓↓

http://ameblo.jp/leaderyf/entry-11987644369.html



今日は心療内科の通院日でした。

金曜日は混むので土曜日にしたかったのですが、

もう睡眠導入剤(眠剤、睡眠薬とも云います)が無いので仕方なく行ってきました。

因みにわたしはOD(over-dose、過量服薬)はしていませんので悪しからず…。



健忘が激しく、何を話したいのか忘れてしまうので、

おくすり手帳に伝えたい事をまとめて書き出してから病院に行きます。

病院に到着してからも、

『どうしたら忙しい医師が話を訊いてくれるのか』

考えながら待合室で待っています。

おくすり手帳やメモを忘れてしまった日には、

一番伝えたいこと、二番目に伝えたいことが話せずに帰宅し、

『あっっ!!!』

となります……。

また次回への課題になり、悩みが増えます。

普通の人(そもそも普通の概念が何なのかは割愛します)ならば普通に出来る事が

わたしには出来ないのです。



やっと整形外科に通院してる旨を伝えられました。

  ①原因が神経から来ているのか

  ②原因は心因的なものなのか

①が判る医療機関に紹介状を書いて下さるとの事。

神経から来ていないのならば、内科的な治療が必要なので

②は心療内科の医師が治療して下さるそうです。



前回の『ナゾの腕痛』のブログ↑↑ をお読み頂ければ分かりやすいと思いますが、

全く心当たりが無い突然の症状なので非常に困っています。

わたしは、上記の①②の両方だと思っていますが、

自分はその分野に特化していないので

後は紹介して頂いた整形外科の検査の結果次第です。

これも初診に関しては色々面倒で、

いつ行けば良いのか途方に暮れています。



わたしは右利きなので、

  ・物をつかみづらい

  ・物を直ぐ落としてしまう

  ・物を書くと手が震え痛みが出てくる

  ・PC、携帯電話を長時間は使用出来ない

生活に支障があり、不便です。



心配しているのは、仕事に復帰出来るかどうかです。

(運送会社の事務職で軽作業もこなさなければなりません。)

一番大きな不安は金銭面の事です。

もちろん、社会復帰は大切ですが、それまでの医療費はどうすれば良いのか…。

障害者年金を申請してそれで休養を取るべきだと思いますが、

直ぐには支給されないので、パラサイト状態は続きます。

この年齢でパラサイトは、申し訳なくて、つらくて…。

料金の支払いが滞っているので携帯電話は既に使えなくなっています。

父にこれ以上負担してもらうのはどうかと思って、医療費以外は支援してもらっていません。

障害者年金も手続きが面倒だと思うのでそれに関しても途方に暮れています。



今は、とても気持ちが落ちているのでこの辺りで失礼します<(_ _)>

いつも読んで下さっている方々、たまたま通りすがった方々、

閲覧ありがとうございます♪

皆さまの閲覧がわたしの原動力です!!




☆次回のテーマは未定です☆


【追記】

読んで頂けたら、いいね!を押して頂けると非常に励みになります!

勿論、不快に思われる方は無理強いはしませんので悪しからず。





今回は、音楽をテーマにしました。

失恋した時、幸せな事があった時、勇気をもらいたい時、つらい時…。

音楽が人を救ってくれる事もあるでしょう。

心理学では、音楽療法というものもあります(詳細は割愛させて頂きます)。

歯科医院ではクラシックが流れていますがあれもその一つです。

患者をリラックスさせる為にヒーリング、クラシックが流れているのです。




自由の彼方


http://www.meile.com/player?invoking=CrossInvoking.addSongsToTask&parameter=1555027


淡々と日々は過ぎて
人は誰も老いてくんだ
ここから見える小さな空も
素敵な人生と知る

ありふれた愛じゃ

君は満足できないのか?

ありふれた愛じゃ
君は充たされはしないのか?
平凡な日々は退屈かもしれないけど
ありふれた愛が
いつか真実だってわかる
変わらない景色 同じ人に囲まれて
ささやかな夢と今がお互いを守ってる


(自由の彼方/歌詞を引用しています)





大切なものは無くさないと分からない。
今、ここで、普通の暮らしをしていること。
それが幸せなんだと思います。



この曲は、乃木坂46さんのファーストアルバムに収録されている曲です。

アンダーメンバー(主にライブ活動をしているメンバー)によるものですが、

初めて聴いた時は何を云いたいのかさっぱり分かりませんでした…。

でも何度か聴いているうちに平凡な毎日が一番幸せなのかと思いました。



世の中には、

・明日の暮らしに困っている人

・病気を患って自由に動けない(外出できない)人

・虐待でつらい日々を送っている人

・大切なものを失って立ち直れない人

さまざまな事情を抱えて、それでも生きなければならない方々がいらっしゃるのです。

この曲を聴いて、何かを感じて頂けたら大変嬉しいです。



☆次回のテーマは未定です☆



【追記】

リンク先が消えてしまっているので

しばらくお待ち下さい<(_ _)>


【追記2】

原曲バージョンを海外のサイトで発見しました。


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