オタクだと言われても大事▽Da・I・Ji は可愛げがあって良い曲だと思う。


そんなことはどうでもいいです。


ていうか、「どうでもいいですが」とか「言うまでもなく」とか「明らかに」とか言うなら書くなよって、屁理屈でたまーに思いますけど、だからって書き手さんがセルフで「(だったら書くなよ)」とか突っ込んでるとそれもまた、っていうね。

何よりこんな自分がウザいわ。





ノーベル賞、すごいですね。

何を研究してらっしゃるのかは前回のニュートリノ云々や田中さんのなんちゃらの抽出方法がどうとかいう時点からサッパリわかりませんでしたが

何かひとつのことを極めてる人って憧れますよね。

特に自分は体育会系ではないから、研究者とかに憧れちゃいます。

で、受賞した下村さんについてコメントしているのが上村さんだったりして嬉しくなっちゃったりしてね。

でも同じ日本人だからって理由ですごく喜ぶ気にはなれないんですよね。

テレビとかで、近しい関係者の方はともかくそうでもないのに喜んでいる人を見ると「あんたが何やったんだ?」っていうのが少し。

でも長期的に日本の信用や市場にも影響が出たりするんですかね。


市場といえば、最近というかちょっと前から経済とか株に興味あります。

働く能力のない自分が株で一儲けすることを淡く夢見てる……とかいうんじゃないんですが、経済をわかるようになりたいし、何かを分析して読んだりするのって面白そうでそれの一種究極的なところが経営とか株なんだろうなと。

多分将来的にも実際に買うことはないかもしれないけれど

もし将来お金にいくらかの余裕があって、ただ銀行に貯金しとくんだったら、一部を積極的に動かしてみるのも面白そうだなぁくらいには思います。

この1年くらいで数字を追ったり分析したりするのがかなり好きになりましたからね。

『食い逃げされてもバイトは雇うな』も読み返しましたけど、今は経済はサパーリ。

まずは大まかにわかるようになりたいですね。



話は全然飛びますが「ダース」っていう単位、今まで「なんで10じゃないんだ」って思ったりしてたんですけど

「約数が多い」という一言を聞いて物凄く納得してしまいました。

10個のおまんじゅうをもらったとして、複数人に均等に分けるには、2人に分けるのは出来ますが3人4人は無理ってことですね。ダースはいずれも可能。

考え方が無意味に10進法に縛られている良い例か。


STAY DREAM/長渕剛(YouTubeリンク・音量注意)



「死んじまいたい」

その叫びがそのまま曲になったと長渕は言います。

でも結局、死ぬとか怖いとか喚いてるうちは生きる気満々なんだ、今はそう思いたいです。


俺がどんなに馬鹿でも、歌い続けている馬鹿は無敵。

そう思わなきゃならないと思います。


細かいことなんかどうでもいいって言えるように。

自分で自分の地面を踏みしめるために。






今更宣言することじゃないし、恥ずかしいことですが


今年度、高校は卒業します。絶対に。







その痩せこけた頬のままで


果てしない迷路の中を


人はみんな


手探りしてでも


STAY STAY DREAM


そう  STAY STAY DREAM



STAY


STAY



DREAM …





ところでSTAY DREAMってどういう意味だ?

この前スーパーに買い物に行っている時に思ったことなんですが

ふと気づいてみると、普段特に意識はしないけれども坂になってる場所を歩いていることって多いですよね。

まぁ僕の住んでいるところは特に地名に坂がついてたりするくらいではあるんですけど。

坂というか傾斜があるというかね。

んで、普段それを特別気にもせずに歩き続けているっていうのは、何気に人間のバランス感覚みたいなものを尊敬したりしなかったり。

観念の上で、「生活空間の床」と言われたらまず傾斜のないものを想像すると思います。

だからそれが理想かというとよくわからず、日々たくさんの傾斜に晒されてそれでも生きている。


で、「実は傾斜が多いな」と気付いたら逆に傾斜のない平坦な道はどこだろうかと考えるのが人情というものですが

本当に「真っ直ぐな」道ってのはなんなんでしょうか?

真っ直ぐっていうのは何に対して何が真っ直ぐなんでしょう。20年生きて初めて不思議になりました。

思ったのが水面、いわゆる水平?

「水平」を辞書で引くと平らだとか傾きがないこととか出てきますけど

じゃぁ海を見たらというと、地球が丸いから(少なくとも人間の目を基準にすると?)曲がってますよね。

丸いものの円周は直線ではないように僕には思えます。

だとしたら細かく言えばコップに注いだ水の表面とかも真っ直ぐじゃないことになりますよね。

結局、水平だったら真っ直ぐかというと僕にはそうでないように思えるわけで。

重力が鍵なんでしょうか?

赤道を重力に対して真っ直ぐな?(それはなんなのだというのは置いておいて)道のりだとすると地球儀に(僕の中の常識では真っ直ぐな)定規を当てた場合何をどう捉えるべきなんでしょうか。


辞書を引いても

直線→まっすぐな線

曲線→曲がった線。直線でない線

まっすぐ→曲がっていない様

曲がる→まっすぐな物・平らな物が弓形・ S 字形などになる

とお互いに参照しあってしまって結局なんなのかはよくわかりません。

多分数学的な問題ですらないように思うのですが、というか、自分でも自分が何を疑問に思っているのかすらよくわかりませんが、「真っ直ぐとはこういうことです」っていう世界一わかりやすい説明はどんなものなんでしょうか?


なんか書いているうちに「真っ直ぐは真っ直ぐだろ」という気もしてきました。

まぁこんなんでも頑張って生きています。


『野球における打者の評価指標について』


 野球の攻撃、打撃については、古くから打率などの評価指標が存在する。
打率の計算式は「安打÷打数」、簡単に言えば打撃機会のうち安打が多いほど高い評価を得るということで、なるほど打者の貢献を上手く表しているように見える。
しかし考えてみれば攻撃の目的は打率を上げることではない。得点を重ねることである。

打者を評価する際には、その打者の働きが得点に結びついているかどうかを見極めることが重要なのだ。
打率と得点は本当に深い関係があるのかどうか疑問に思ったことはないだろうか。
言われてみれば、多くの安打を放ったのに完封負けをしたという事例は日常的にあるし、打率が最高の打者、すなわち首位打者が必ずしも最も価値のある打者だったと言えるかは意見の分かれるところだ。


 ここで、統計手法を用いて客観的に打率の有用性を判断することを試みる。
過去15年間、日本プロ野球においてチーム打率と試合あたり平均得点との相関係数は0.813である。
相関係数とは-1から1までの値でふたつの指標の関連性を表すものであり、絶対値が大きいほど相関関係が強く、正の値なら正の相関(一方の増加に従ってもう一方も増加するような関係)、負の値なら負の相関(一方が増加するときもう一方は減少するような関係)と言われる。
一般に0~0.2くらいではほとんど相関関係がない、0.2~0.4くらいでやや相関関係がある、0.4~0.7くらいでかなり相関関係がある、0.7~1くらいで非常に強い相関関係がある、と判断される。
打率と平均得点の相関係数が0.813というのはすなわち、打率の向上が得点の増加にはっきりとした関係を持つということである。
しかしだからといって打率が打者の評価に最も適した指標であるという根拠にはならない。
もう少し得点との繋がりが深く、しかも面倒な計算を必要としない優れた指標は存在しないだろうか。


 それらの疑問に端を発した研究の結果、私はこの度若干ながら打率よりも有力な指標を発見した。
全くもって複雑な計算は必要ないし、誰でも容易に調べることが出来る項目である。
それは打席数だ。
意外と思われる方も多いかもしれない、なにしろこれまで全く打撃の貢献を表す指標として注目されてこなかったのだから。
しかし統計をとった場合チームの試合あたりの打席数と平均得点の相関係数は打率のそれをやや上回る0.833を示したのだ。
これらの数字は一切細工のない正直なものであり、これまでの評価概念の盲点であると言わざるを得ない。


 打席数が多ければ得点も多いという関係が強く見られるのは統計的な事実である。
よって野球における攻撃の目標は打席数を増やすことであり、そのことから論理的に考えて、多くの打席数を稼ぎ出す打者こそ優秀な打者なのである。
打率などをわざわざ計算によって求める必要はなく、各選手の打席数を見ればそれだけで貢献度がわかる。
今後古い認識に代わりこの事実が認知され最高殊勲選手の選定や年俸査定など多くの場面で利用されることを期待する。




あぁ、ブログの編集画面に入れると長々書いてしまったことを痛感します。

ただのジョークネタだというのに。



それとは関係ありませんが、『論文・レポートのまとめ方』 を読み終えました。

……んー、まぁ、その、非常にためにはなったんですが

「お前にだけは言われたくないぞ」というのを一瞬棚に放り投げさせてもらうと

文章の書き方の本なわりに、文章微妙じゃね?というのもなくはないような。

コレをするためにコレが大事だからコレを説明する、というのが頭の悪い僕みたいな人間にももう少しわかりやすいようにしてもらえると有り難いです。

なんかマクロ視点がぼやけたまま「これはダメ、これもダメ、こういうのも良くない」ってつらつら言われちゃった感じがしなくもない。

いや、ねぇ。多分冷静に見ればそんなことはないんでしょうけどね。読み方が下手なだけで。

勉強になりました。



あと『論理的な考え方が身につく本』 。二回目読み終わりました。

なんかねぇ、一回読んだんですけど内容が全然記憶になくて。

これは論理というものにそんなに深く立ち入るわけじゃなくて

思考の方法論というか、すぐさま活用出来る有効な手法を簡潔な文章と豊富な図(絵)で紹介しているといった内容です。35の思考スキルをポンポン紹介します。

深く入らないから「論理ってすごいな」って思わせる部分がなくて、そのせいで記憶に残ってなかったんでしょう。多分。

そんなやつに感想言われたかないでしょうが

それこそ経営とか何かに関わっているような人はすぐに活用出来るように感じられるし(ただし経営の現場に関わったことがないのでなんとも言えない)論理思考法のわかりやすいまとめとしてはいいかもしれません。詰まった時にこの本を開くとか。

改めてみると『本書は問題解決型の論理思考の本です。直面した問題をどう解決するのか、のヒントや手法が満載されています』ってちゃんとまえがきに書いてありますね。

ライトな分純粋な読み物としての読み応えには欠けますし、見開きに必ず絵があるっていうのはなんだか逆に読みづらいような気がしますが、良い本か悪い本かで言えば良い本だと思います。

論理が何故役に立つのか、どのような問題にどのように役に立つのかの説明はさすがに短くわかりやすい、切れ味のある仕上がり。


今日コンビニでの会計。スリーセブンでした。

この前は999だったし、そういう時期なのかな?(どんな時期だよ)


本屋へ行って、買いたかった問題集は品切れでした。

そのシリーズ1から6まであるのに、僕が買いたかったやつだけ品切れって、ねぇ。

そんなピンポイントで、ねぇ。

まぁそういう時期なのかな(どんな時期だよ)

二日連続でやたら馴れ馴れしい女から電話がかかってきたんですけど。

一日目と二日目で別の人ですよ。


まぁ、家の電話に僕あてにかかってくる電話なんてまずセールスしかなく

あれもそういう類なんでしょうけど。

なんだかあんまり馴れ馴れしい(名指し+くん付けとか)ので家族も取り次いでくれちゃったり。

それがまぁ何度も繰り返しますけど馴れ馴れしいというかね、その、どう言ったらいいんでしょ、フレンドリーな感じ?で

喋りも明るく綺麗な可愛い感じというか、そういう女の人なわけです。

馬鹿な男だったらもしかしたら喜んで話聞いちゃうとか?

あぁいう戦術が流行っているんでしょうかね。

なんだかぼんやりしたアンケートみたいのやり始めてなんでいきなり名指しでそんなことされんのかわけがわからないので切っちゃうんですが。

あのフランクさには参る。


昨日はね、まだ、馴れ馴れしさをネタにして家族内で遊んでいたんですが

今日の人のほうはさらに勢いがあってさすがに押されました。

こっちがすごいテンション低くて引いてても強引に持って行く切り替えしに慣れてるんでしょうね。

明日早い家族が寝ているもんだから電話が鳴った勢いで受話器とって「零太さんいますか?」で「はい」って言っちゃったのが悪いんでしょうね。いないって言えばよかった。めんどくさい。


ってーか明らかに業者の間で俺の個人情報回ってるだろ。

ちっきしょー。

もう、そっちがそれだけ馴れ馴れしくしてくるんだったら「ところでパンツ何色ですか?」とか聞いてもいいんですけど

少なくとも相手はこっちの名前と電話番号を勝手に知っているわけで、もしかしたら自分と無関係とは言い切れない者の可能性もあるかもしれないと考えると、どっかで、ねぇ……(それでなくても無意味な質問だけど)


あああああ

ああも勢い良くこられるともう相手方が何を言っていたんだかもよく思い出せない。

認識能力が低いのかな?普通そんなもん?

別にくだらない電話がかかってきたこと自体は気にすることではないのですが

自分の対応能力のなさにげんなりというか、ただでさえこっちは元気ないのにもう。

ただ、まぁ、世間に対して疑心暗鬼(読み方:中学の同級生曰く“ギシンクラキ”)になっているので詳しい内容は出しませんが

昨日と今日の話しているディテールを合わせて考えると所詮相手もぼんやりした内容でただなんとなくかけているであろうこととか

質問の返答の反応から、それが釣り針と戦略かぁと少し分析できたりもするんですが。

大まかな手口からするに同じような機関が懲りずに二回かけてるってのも考えられそうですがね。この先まだ来るならうざいぞ。

まぁいいか、もう。

平均値 69
最頻値 96
中央値 70
最大値 96
最小値 28
標準偏差 19
目標点到達率 56%


現代文問題集その3。の結果。

前回に比べて平均点は上がっているけれども目標点到達率が下がっているぞ。

有意な違いではないけれども。

まぁいいや。


なんか昨日から気分が暗いです。

誰か元気玉使ったんじゃね?

人は認識の世界で生きている、とはよく言うところです。

これはこうだと思う、あれはああだと思う、の、「思う」の部分が結局はその人にとっての事実だということです。

人の認識を通さない純粋な「事実」というのは人には抽出しようがありません。もしそこに存在するとして、私たちがそれを認識するときには文字通り認識になってしまっているのでやはり認識が事実であるとしか言えません。



2000年近く時を巻き戻してヨーロッパ。

イエスはユダヤ教の戒律重視の姿勢を批判して平等を説き、特に弱い立場の人々に支持されていたという話です。

それを快く思わなかった連中が

「イエスよ、我々はローマ帝国に税を納めるべきか?」

と質問しました。

実はこれ、そうではないと答えればローマ帝国への反逆とみなされるし、納めるべきだと言えば彼を支持する弱い立場の人々はがっかりするという罠なんだそうです。

いずれにせよイエスの立場を苦しくするつもりですね。

しかしイエスは逆に「コインの肖像は誰か」と質問しました。

コインにはカエサルの肖像が刻まれていたので質問者は「カエサルだ」と答えました。

そして最後にイエスは

「カエサルのものはカエサルに返しなさい。神のものは神に返しなさい。」

と言ったんだそうです。


これは非常に有名な言葉です。

しかしはっきり言いますが、僕なんかはちょっと意味がわからないのです。

表面的なことから思いっきり発想を変えて核心を突くことを言っているようでいて、煙に巻いている。正直に言うとそういうふうにも思えてしまいます。

実はこの言葉、聖書を研究する人たちの間でも解釈が分かれていたりするようです。

一般的には「それとこれとは分けて考えよ」ということの単純な例えとして引用されているケースもあるし、あるところでは説明なしに「完全無欠の答え」と書かれていたりします。


もちろん、背景を詳しく勉強しているわけでもない僕が意味に言及したりするのはおこがましいだろうし、結局のところ真意はわかりません。宗教の問題に踏み込むつもりもありません(なので真面目な突っ込みとかは勘弁してくださいネ)。

しかし研究者の間でも意見が分かれるほど意味がわからないのに、罠をくぐり抜け、千年以上経っても人々に「完全無欠だ」とか思わせて、否定をさせない。

それを考えると確かに完全無欠かもしれない、すごい、と思うわけです。



今度は現代ですがいつだかテレビで見た事件。

あるラーメン屋で、他の普通のラーメンから頭ひとつ抜けた高い値段で「究極のラーメン」なるメニューがあったそうです。

気になった若者が注文してみると、具がのっていない麺とスープだけの洗練されたラーメンが登場。

戸惑いながら食べてみるとこれが、うまい。

なるほどと満足してお金を払い、めでたしめでたし、だったらよかったんですが、その若者帰り際に店の人間があることを話しているのを聞いてしまいました。その内容が

「“究極のラーメン”なんて本当は普通のラーメンの具をどかしただけなのになぁ。今日も大儲けだ、ワッハッハ」

というものだったらしい。


あぁ、残念。

最後の最後に魔法が解けてしまいましたが、これも唸らせられる話です。

だって、いくら純粋に味を追求しても、おいしさというのは好みの大きいものですから、みんながおいしいと思う究極のラーメンなんて作れるはずがありません。

けどこのお店は普通のラーメンを究極のラーメンと思わせて、お客の舌(頭)を満足させたんですからね。

これこそまさに究極のラーメンだと、僕は思いました。



結局、そう思うことでしかそれは存在しようがありません。

完全無欠の言葉は願いの中に、究極のラーメンは胃袋の中に。



なんか中途半端に随筆風に書こうと思っちゃって気持ち悪い文になった一例。

昨日、がっちりマンデーって番組で

セコムが取り上げられているのを少し見てたんですよ。

企業の情報を保護している施設とかなんかSFチックでかっこよかったです。

で、商売の仕組みとかすごいところを紹介していたんですけど、警備の会社ですから、防犯システムの肝心なところは「セキュリティの都合上お教えできません」になるわけですよね。

まぁそりゃ当たり前といえば当たり前のことなんですけど

じゃぁ顧客はどうやってセコムのその防犯システムが安全だって確認するんでしょうかね?

インサイダーとかも相当厳しく管理されているんでしょうかね。

もっとちゃんと見ればよかったかな。



あと冷凍のスパゲッティ、結構気に入ったのでまたスーパーで見ていたんですが

「ソースの割合10%アップ!」ってやつ。

最近数理とかに興味があって相対値と絶対値とか騙されないように心がけているから尖っているのかもしれませんが

すぐさま「あ、麺減らしたのね?」と思ってしまいました。

ソース10%“増量”なら疑問はありませんが……



あととにかく、人がたくさんいるところに行くと落ち込む。これがわかりました。

巨人・坂本勇人内野手(19)が26日、残り9試合で「10本塁打超え」を最低ノルマに掲げた。現在8本の若武者が2ケタの大台に乗せると、高卒2年目までの選手としては1960年の王貞治(17本)、93、94年の松井秀喜(11、20本)以来の快挙。「ここまできたら狙いたいですね」と力を込めた。

 今季の8本塁打中、チームは7勝1分けと負けがない。本人は「たまたまです」と笑うが、首位決戦で一発が出れば、勝利にグッと近づく。「どんな形でもいいから、とにかく勝利に貢献したい」負けられない戦いが続く中、偉大な先輩を目標に最後まで全力疾走する。


http://hochi.yomiuri.co.jp/giants/news/20080927-OHT1T00048.htm


Q.坂本が本塁打を打った試合ではチームは7勝1分けで負けがないという。このデータから坂本の本塁打には勝利を引き寄せる特別な力があると推測されるか。



1.そもそも野球の試合は勝つか、負けるか。表面的な条件を排除した場合、8試合で4つの勝利が見込まれる。引分けを0.5勝と考えても、7.5勝全てを対象として効力が検討されるべきではなくそこから期待値4を除いた3.5勝のマージンに注目するべき。


2.1に加えて巨人は強いチーム。坂本の本塁打が出た7勝を除いても勝率は.568と高く、8試合に4.5勝が期待される。この個別条件を踏まえればマージンは3勝と見ることができる。


3.本塁打は最低でも1点が入るのだから、完封負けなどもあり得る全体と比べて本塁打が出た試合の勝率が高いのは何か特別な力がなくとも自然なこと。その中で3つの勝利にどれほど意味があるか。偶然としても十分考えられる範囲である。


4.坂本は本塁打率を含めて打撃成績が低い打者。その打者が本塁打を打てるということは難易度が低い状況、つまり打者を抑える能力の高くない投手が投げている可能性が高い。この場合坂本以外の打者も打ちやすい状況になっているはずであり、坂本の本塁打がなくとも勝率は高い可能性がある。

坂本の本塁打は相手投手の状態が悪かったことの証明として出現しているだけであり、坂本が本塁打を打つからチームが勝利するわけではなく坂本も打てるような状況であることが勝率の高さの原因であるかもしれない。


4を支持するデータを以下に示す。

坂本が本塁打を打った試合のチームの得点と失点、及び坂本の本塁打による打点と、それがなかった場合のチームの勝敗である。


日付 得点 失点 坂本の本塁打による打点 本塁打がなければ
4月6日 9 1 4 勝利
4月8日 3 3 2 敗戦
5月10日 5 4 1 引分
8月19日 7 4 1 勝利
8月20日 5 0 1 勝利
8月26日 7 3 1 勝利
9月16日 14 1 1 勝利
9月17日 6 2 2 勝利

8試合中6試合で、坂本の本塁打による打点をチームの得点から除いたとしても得失点差は1以上、すなわち勝利となっている。

残りふたつのうちひとつは引分であり、敗戦となるのはひとつだけ。

無論「もし当該の本塁打が出ていなかったら」については結果的な打点だけで考察されるべきではいだろうが、この面からは坂本の本塁打が最終的に勝利に必要となる形でばかり出ている事実が全く存在しないことも確かである。

また坂本の本塁打による打点を除いたチーム得点の該当8試合の平均は5.38であり、全体の平均4.47よりはっきりと高い。

やはり坂本が打てる試合は単純に他の打者も打てる状況であるという仮説を支持する統計である。


これらのデータから、坂本が本塁打を打った試合でのチームは坂本の本塁打による打点を除いても勝利に十分なほどの得点を上げており、坂本が本塁打を打った試合という条件に相関する勝率の高さの原因は坂本が本塁打を打ったことではなく坂本が本塁打を打てるほど打撃が容易い状況にあったということであると言える。

坂本の本塁打に勝利に有効な特別な作用はないと考えられる。







うん、ダメだね。

整然と論理的に書けないね。

もちろん新聞の記事は「特別な力」なんてものには直接言及していなくて、それはこっちが勝手に定めたテーマなんですが

先に対象とする「特別な力」について定義したほうがいいのかなぁ。

何を明らかにしたいのかがはっきりしていないと考察も漠然としちゃいますよね。

あと、1~3までは問題が何であるのかをまず絞り込んで整理するって意味でいいにしても

4は問題点に対してどの観点の検討なのかっていうのがなんかぼやけたまま、他に検討すべきことはないのかとか濁したまま強引に結論いってる雰囲気あるよね。

やっぱりまず定義がないからそうなってしまうのか。

「坂本が本塁打を打ったことで、その打点を除いても十分勝てるほど打線がノったのだ」と言われたらこの内容だけじゃ言い返せませんね。

あるいは「坂本が本塁打を打つ日は神が降臨なされていてチーム全体の能力が上がるのだ。神の降臨には運命で定められた坂本の本塁打が必要なのだ」も。

まぁ暇つぶしなんで勘弁して下さい。

念の為言っておきますが坂本のことは嫌いじゃないですよ。むしろ同い年ですし、尊敬しつつ応援します。


勉強しないと。