喋りだすと止まらない。

 もちろん、ぼくのことである。言葉が頭の中で旋回をはじめ、喋り続けていないと窒息死する――なんてことはないが、とにかくしゃべっている事は好きである。

 明日は仕事も休み。だからこうしてブログを書き続けている。

 同居人はネットの懸賞で当てた吟醸酒(度数が二十度近くある奴)を飲んで眠ってしまった。こういう状況を歌った歌がある。

『愛は歌の中に』という曲で、ようするに男が友達と電話で話したりしながら眠っている恋人だか嫁さんを恨めしげに見ているという曲だ。名曲ですよ。

 それはともかく、同居人がぼくにブログをすすめた理由のひとつには、このお喋りを何とかしたいと思ったからなんじゃなかろうかと、勘ぐっている。たとえば一時間のドラマを見ているとする。ぼくは横で二時間分を喋る。それでもまあ、こうして一緒に暮らす前は、それも結構楽しかったらしい。そりゃそうだ、一つ屋根の下で暮らしているわけじゃないんだから。

 だが、一緒に暮らし始めてみると、これが結構辛いらしい。同居人は骨の髄までプラグマチスト。掌がきっと電卓でできているはずだ。ぼくはどちらかといえば情緒的なものを優先するほうだから、まあ水と油で程よい距離を保ちながらうまく行っているような気がする(そう思っているのがぼくだけだったらどうしよう……)。

 それで、喋りだすととまらない話なのだが、こうして文章を書いていることは、ぼくにとって喋りまくっているのと同じ効能がある。確かに同居人を悩ませるお喋りは少し収まったらしい。

 司馬遼太郎氏は小説という表現形式の頼もしさは、マヨネーズを作るほどの厳密さもいらないことだと書いていた(はずだ)。ぼくは小説を書いたことも書こうとしたこともないからわからないが、適当に言葉を吐き散らしても、ここなら同居人を悩ませることもないだろう。安心している。そのうち疲れて眠るから。

 平井和正氏は不可解な力に操られ、卑猥な言葉を喋り続ける男を描いたことがある。

 ぼくは卑猥なことは多分喋らないし書かない(と、思う)が、沈黙していることは嫌いだ。罵り合ってもいいから喋っているほうが好きだ。

 ちなみに、個人的な意見ながら、黒澤明監督の映画が好きなのは、登場人物が日本人離れして喋ること。言葉を尽くして、自身の感情を吐き出そうとしているように見える。あの人たちは、日本人ではないように見えるときが、確かにある。黒澤監督は、

「ぼくのシナリオは長い」と、言っていたはずだ。
 
df135acb.jpg 写真をアップするのを忘れたので……
 さて、フラメンコギターである。何はなくともフラメンコギター。

 とにかく、後に演歌歌手になり、マグロ船の歌を歌うようになるとはそのころ想像だにしていなかった親戚のお兄ちゃんからクラッシクギターの手ほどきを受けた。

「戦争を知らない子供たち」を歌うようなギターではなかったが、根が凝り性というか、いくらか(いや、かなり相当)偏執的なもので、たちまちはまりました。

 当時使っていたのはヤマハのクラッシクギターだった。

 元々、小学生の頃はウクレレを弾いていたこともあり、弦を指で弾いて音を出す楽器は好きだった。ウクレレを弾いていたころの愛称歌は守屋浩、アハハハ。ウクレレを掻き鳴らし、

「ぼ~くの恋人と東京へイッチッチ~」と、小学生が歌っていたのである。

 たぶん、奇妙な光景だったと思う。しかし、奇妙であることをのぞけば、守屋浩さんは今でも好きです。いや、守屋浩さんが奇妙なんじゃない、ぼくが奇妙ということです。とにかくあの声、たまんないねえ。それから新川二郎さんの『東京の灯よいつまでも』も好きだし、我らが中ちゃんも歌った『カスバの女』は、今でも愛唱歌だ。あ、それから『夜の銀狐』は泣ける(ーー;)。

 それはさておき、とにかくギターを習い始めたのだが、すこしギターがわかってくるともういけない。クラッシクギターの練習がつまらなくなってきたのだ。クラッシクギターがつまらないのではない。練習がつまらないのだ。と、同時にギターでなにそれの曲を奏でるというよりも、歌の伴奏としてのギターの方により魅力を感じはじめた。

 ギターを教えてくれたお兄ちゃんは今でも時々あいますが、そりゃプロのクラッシクギタリストとはいえないが、それでもギターだけの演奏能力も相当ある人だった。

 しかし、後に歌手になるような人である。歌が嫌いなわけがない。ぼくが歌の伴奏としてのギターを求めているとわかると、たちまちそちらの方向にシフトチェンジした。このお兄ちゃんには二年ほどギターを教えてもらったが、恥ずかしながらクラッシクの曲は一曲も弾けない。その代わり歌謡曲っぽい曲なら弾くことはできる。たとえば『真っ赤な太陽』とか『ザ・ガードマンのテーマ』とか、そういった感じのものね。

 一応アポヤンド奏法からトレモロ奏法までできるんですよ(エヘン)。でもややこしい譜面を見るともう駄目です。ちなみに#なら四つまで、♭ならひとつが限界です。それ以上ごちゃごちゃ記号がついてくるともう何がなんだかわからない。

 それから、初めてギターを弾いて歌った(弾いた曲ではない、弾き語りをやった曲だ)歌は、『真夜中のギター』だった。

                   続く……