d858e073.JPG  ……って、なんてべたなタイトルなんだ(笑)。

 しかし、多少の迷走はあるものの、本格的にブログをはじめたことだし、いま一番好きなミュージシャン、中村中さんについて書いてみようかなと。テスト投稿でも今度落ち着いて書きますと宣言したことだし、まあ……

 驚くなかれ(驚くこともないか)ぼくがはじめて中さんを知ったのは、FMで『汚れた下着』を聴いたことだった。だから知ったのはデビュー間もない頃だった。
 聴いたとき、まずタイトルにびっくりした。

 話は変わるけれど、その昔、徳間書店から出ていた『SFアドベンチャー』という雑誌に荒巻義雄さんが創作教室を連載していて(雑誌はちがったかもしれない)、その中でアイデアをひねり出す方法として、異質なものを組み合わせろということを書いておられた。このやり方自体は、アイデア創出方として昔からあるものかもしれないが、とにかくその意味からいえば『汚れた』と『下着』を組み合わせたセンスに参っちゃいましたね。話はまた横道に逸れるけれど(笑)、映画評論家の故淀川長治氏は、いい映画はタイトルからして良いと言っておられたけれど、その通りだと思う。いい題名はもうそれだけで色々なことを想像させる。

 どうです? 

『汚れた下着』

 最高じゃないですか。ほんとうに色々なことを想像させてくれる。奔放と背徳にどっぷりと浸って生き、薄暗く淫靡な微笑を湛え、爛熟の気配をまといつつ、そのくせ哀愁まで感じさせてくれる。そんなタイトルじゃないですか(「兄ちゃん、ちょっと言いすぎだぜ」←ここ、日活映画のエースのジョウの気分で言ってみてください)。

『セックスと嘘とビデオテープ』という映画があったけれど、これはそれに匹敵するくらいの秀逸なタイトルだと本気で思っている。

 で、曲を聴いてまたびっくり。懐かしいけれど新しい、新しいんだけれど懐かしい――歌われている登場人物や状況は現代的なのに、作風は昔の何かを思い出せさせる、そんな感じだった。そう、この歌なら、金井克子さんとか歌手だった頃の夏木マリさんが歌ってもいいって感じだった。

 でも、なぜか女性が歌う歌だと思った。「ナカムラアタル」という予備意識なしで名前だけを聞けば男性(?)と思ってしまいそうな名前ながら、それでもこれは男目線の歌ではないと思った。少なくともぼくらの世代の男は、いくら好きな女性に髪の香を誉めてもらても、わざわざ歌にして歌おうなんて思わない(笑)。つまりこれは女性が男性の目線で書いた詞か、もしくは男性だけどきわめて女性的な何かを持った人が書いたんだろうと思った。これもタイトルの力ですね。

 そして名前――

「ナカムラアタル」

 ……ってどんな字を書くの?

 で、さっそくネットで検索してみた。平仮名で「なかむらあたる」。 結果、あの伝説のジャケット{伝説ではねえか(^_^;)}を見たわけです。

 とにかく、なんともあくの強い女性歌手がデビューしたものだと思った。しかもあなた、名前が中村中ですよ。印象はやはり強かった。

 とにかく、それがぼくの中村中事始だった。

 その頃、仕事が馬鹿げて忙しく、本来大好きな音楽をゆっくりと聴く間もなかった。だから『汚れた下着』を気にかけながら、それから数ヶ月間は中村中とは無縁に生活することになる。ようするに仕事に追われていたわけね。ぼくが再び中さんに回帰していくのは(オーバーだねどうも)、あのドラマの放送直後ということになる。

                               続く……

 なお、写真は本文とは何の関係もありません(笑)。ごちゃごちゃと文章だけだと何となく淋しいし、うざいと思ったので……。
 いやはや、相当迷走しております。

「つい一昨日、本格的にブログはじめます宣言をしたばかりなのに、もうタイトル変更かよ!」

 と、いまのところおそらくは唯一のこのブログの読者である同居人から、嘲りと叱責の混じった声が聞こえてきます。

 しかし、考えるにつけ、あのタイトルはいくらなんでもな感じがして、変更に踏み切りました。

『日々是闘争』……何かこう信念や思想とワンセットになった言葉のようで、信念とも思想ともはるかに縁遠い自分としては忸怩たるものがあるし、第一何か特別なことをしている人なんじゃないかと勘ぐられてもいやだしと、仕事も手につかないほど色々と考えていました。じゃあおまえはなんでそんなタイトルをつけたんだと訊かれれば、あっさりと、

「深く考えずにつけました」

 と、お答えします。もちろん、開き直っています。

 最初頭に浮かんだタイトルは『日々是平安』でした。すると、そのタイトルを見た同居人が、

「あら、その名前のブログならこの前見たわよ」と、言われて、あっさり却下。

 次に考えたのが、『日々平安』。するとまたまた同居人が、

「椿三十郎なの」と、隣から思いっきり嘲笑うかのような顔で見ておりまして……『日々平安』は言わずと知れた我らが黒澤明の傑作「椿三十郎」の原作ですね(今度青島刑事でリメイクされるあれです、ちなみに原作は山本周五郎)。でまあ色々と考えて、これも却下。

 ぼくの場合、まとまったことを考えるのはどうも苦手で、考えるということそのものが、何かこう迷走しているようなところがあります。たとえば今回、なにかいいタイトルはないものかと考えているとき、ふと昔読んだ平井和正さんの小説のあとがきを思い出したわけです(平井和正さんは自分であとがきを書く人でした、幻魔大戦を書き始めてから読んでいないから、いまもそうなのかどうかわかりませんが)。

 あれは多分、「リオの狼男」だったと思いますが、もしかすると「人狼地獄変」だったかもしれません。が、とにかくその後書きの中で平井さんはこう言っています。「人をほんとうに熱中させるのは趣味だ」と――それがどういう文脈の中で語られたかは省きますが、その一文を思い出したとき、思わずぽんと膝を一打ちして、

「そうなんだ、これは趣味なんだ」と、考えたわけです。

 そこで今回のタイトル

『Gitanの趣味』

 というタイトルにしたけです。このブログは、ようするにぼくの趣味を書き連ねてみようという気分もあるわけで、「Gitan」はともかく(笑)「趣味」については、まあそう外れてもいないだろうと――。

 そんなわけで、タイトルは変わりましたが、内容は変わりません。

 てか、変わりようがない。

 そんなわけで今後ともよろしく。
 
 とにかくフラメンコギターが欲しかった。はじまりは一枚のジャケット。CDじゃない。LPである。サングラスをかけた長髪のミュージシャンが抱えていたギターが、なにを隠そう(別に隠すことはないが)フラメンコギターだったのだ。ジャケットに写っているギターには相当傷がついていた記憶がある。そのミュージシャンと一緒に、様々なステージを過ごしてきたんだろうと、容易に想像ができた。

 そのミュージシャンの名前は、長谷川きよし。

 ギターをはじめたのは中学生の頃だった。その頃、ぼくの前には二つの選択肢があった。ピアノかギター。どっちを選ぶか。迷わずギターと言ったのは、あるイメージがあったからだ。ギターを抱えて「戦争を知らない子供たち」を歌っている自分の姿である。アハハハ。馬鹿だねどうも。だからその時点でぼくの頭にあったのは、ナイロン弦を張ったギターではなく、いわゆるひとつのフォークギター(こんな呼び方はしないのかな)だった。とにかくぼくはギターをはじめた。

 ピアノのほうは近所に先生がいたのだが、ギターのほうは草深い田舎にはさすがにいなかった。しかし、よくしたもので、親戚に三年くらいクラッシクギターを習っていた人がいたのだ。だからはじめたのは、なぜかクラッシクギターだった。フォークギターを抱えて「戦争を知らない子供たち」を歌う自分はいったいどこへ行ってしまったのか(そういえば「花はどこにいった」を歌うこともイメージの中にあった)……戸惑いつつ、迷いつつ、なぜかぼくは汗をかきながら、アポヤンドの練習を始めていた。

続く……

(ちなみに、ぼくにギターの手ほどきをしてくれた親戚は、その後歌手になりました。しかも演歌歌手。考えてみるとぼくと音楽の関わりは、出発からして、フォークソングとは無縁だったのかなあ……)。