いつもお世話になっているお花屋さんは、母の日前でお忙しいとのことで今日はお花の配達がないのです。なので、明日のレッスンのために近くの(あんまり冴えない)お花屋さんに出かけてきました。
私が買ったのはテーブルのお花と安売りになっていた芍薬です。
芍薬は咲かない時もあるのですが、見かけると買ってしまう好きなお花です。
好きな花といえば、子供の頃に母の日にカーネーションをおくったら「このお花大嫌い」と母に嫌な顔をされました。エプロンをプレゼントした年は、「もっと働けと言われてるみたいですごく嫌な感じ」と言われましたし、一生懸命選んだつもりの花鳥柄のハンカチをあげた年は「私が鳥が嫌いなのを知っていて嫌がらせなの?」と言われました。
今考えると、母は私という子供が嫌いだったのでしょう。嫌いな人からは何をもらってもイヤなものです。
弟は、私が知る限り各種イベントで母に何かあげているのを見たことがありませんが、可愛がられていたように見えます。
子どもの頃の私は、いつも怒っていて褒めてくれることもない母に、笑ってもらいたいし可愛がってもらいたいと思ってしたことが全部裏目にでて、我ながら不憫でした。
結婚して距離ができてからは、母はプレゼントを使わないことはあっても文句を言ったり嫌な顔をすることはありません。一緒に住んでいた頃は、自分の管轄下にある人が、何かと思い通りに成長せず、気に入らない点が多いことばかり目について、母としての自分の落ち度を突きつけられるような気がしていたのかなと推察します。
私は長い間、何か他人に誇れるような才能を持たず、美しくもないひとは誰かに本当に愛される資格はないと思っていました。
恐る恐る母になってみた私の産んだ娘は、まったく「ふつう」ではなく、発達障害もあれば、一般的な学力もない子供でした。でも、私には可愛らしく見え、頑張れば九九も覚えられましたし、何より優しくて素敵な子どもだと思うのです。
可愛い娘が持てたのは、母が産んでくださったからだと思い、ありがたいと感謝しています。