「神への信仰」more faithさんのyoutubeでは

 

福音や教会員の生活などを

 

とてもわかりやすく教えてくれます花ニコニコ

 

 

 

2024.4月の総大会も素晴らしかったですね。

 

今回は、みちるさんとかっしーさんが

レビューしてくれてるの。大共感しましたびっくりマーク

 

 

 

このお2人の福音によって結ばれた友情、

いいですねーー爆  笑ラブラブ

 

 

 

総大会レビュー【本音でおしゃべり】 (youtube.com)

 

「神への信仰」more faithさんのyoutubeでは

 

福音や教会員の生活などを

 

とてもわかりやすく教えてくれます花ニコニコ

 

 

 

 

「宣教師とは何者なのか」の動画の中(後半)で

 

伝道から帰還されてまもない方が

 

福岡伝道部で学んだことをお話されていました。

 

 

中でも

 

悔い改めについての学びが

 

とても素晴らしくてドキドキ

 

 

 

 

 

 

【悔い改めについて】

 

「悔い改めに対して暗いイメージがあった。

悪いことをして、あー、変わんなきゃ・・みたいな。

 

そうじゃなくて、

 

イエス・キリストのいるおかげで

私たちは何度でも

より良くなるためにチャレンジすることができる。

 

悔い改めは、

神様がくれたチャンスであると

学ぶことができました。」

 

 

 

めっちゃポジティブーー!!

 

悔い改めの概念が変わりますね。

 

 

 

私はこれを聞いた時、

悔い改めは賜物であると感じ、

 

この現世で成長していく楽しさを

感じました飛び出すハート

 

 

 

 

 

冬は外が暗くなるのが早いですね。。爆  笑

 

 

日中の神殿も光り輝いて素敵なのだけど

 

 

 

 

 

 

 

 

夜の神殿も美しい。。ラブラブ

 

 

 

世界中で神殿がどんどん増えていて

 

日本でも増えています(み業は進むよ、どこまでも

 

 

福岡神殿 

 

札幌神殿

 

沖縄神殿

 

これから建設予定は、大阪神殿

 

 

楽しみだなぁ音譜

 

 

東京神殿以外、まだ行ったことないけど照れ

 

 

facebookグループにて

 

 

【後編】 
パプテスマを受けて2ヶ月が経った頃、
「教会員であることを続ける」ということは
簡単ではないとわかってきました。


大きな壁だったのは、家族の反対です。
当時、姉と住んでいたのですが、私が教会へ行くことを姉はよく思っておらず、私は姉に気を使いながら教会へ行っていました。
 

実家の両親の反応も悪く、教会はせめて社会人になってからという親の勧告に従わなかったため、度々父母からキツい言葉と態度を受けました。「お前はもう俺の子じゃない」「その汚い考え(福音のこと)を洗い流しなさい」と父に言われたこともあります。

 

家族に反対され、信仰をもってバプテスマを受けたわけではなかった私は、さみしく、自信もなく、(親の言うように)働いて社会人になるまで、教会を休んだほうがいいのでは?と思うようになりました。

(*その家族に奇跡が起きます。巻末の補足をご覧ください)
 

ある土曜日、翌日教会へ行くことをどうしようかためらっていた時、ステーク宣教師の姉妹から、明日は教会でステーク大会があるから是非来てというお誘いがありました。
私は心の中で、「じゃあ明日が最後の安息日。明日教会へ行ったら、しばらく教会をお休みしよう。社会人になったら、また集おう」そう思って翌日教会へ行ったのでした。
 

この日、二つの大きな奇跡が起きます。
一つ目は、大会後に行われた2人の若い兄弟姉妹のバプテスマ会において。バプテスマ終了後、1人が神権者たちによって確認の儀式を受けている時、私は心を込めて(人のために祈るのは初めてだったかもしれません)
「この兄弟と姉妹が、いつか神様のみもとへ帰れますように。」と目をつむり、祈りました。
その瞬間です!!私の体はゆっくり宙を浮いていく感覚となり、私の体はすっぽりと、みたまのカプセルのようなもので包まれたのです。そして、急に頭の中が空っぽになり、何も考えられない状況に陥り、頭だけではなく身体も空っぽのようになった次の瞬間、私は確かに自分の霊で、耳で、心で、聖霊(みたま)の声を聞きました。


「この教会は真実、真実、真実真実真実真実・・・(途中からこだましていった)
あなたがこれから歩もうとする道は正しい、正しい、正しい正しい正しい正しい・・・」 と。
 

この聖霊の言葉は、30年以上経った今でも私の耳と、胸あたりと、霊に響き渡った感覚として、はっきりくっきり覚えています。そのみたまの声のトーン・音量がどのくらいだったかも明瞭に覚えています。

私はその声(メッセージ)を聞いた直後、全身全霊が燃えているかのように熱くなり、泣くだけの感情が全くないのに、何も悲しくないのに、涙が滝のようにあふれ出したのです。

私の頭の中には、何の思いも考えもなく、ただただ、このうえない平安と幸福を感じていて、
この平安があれば何も要らないと確信できるくらい、この世で味わったことのないものでした。


「この教会が真実であること」
「これから歩む信仰への道は正しい」

という天からの心強いメッセージは、現在も苦難にあう際の私を支えてくれています。
 

もう一つの奇跡というのは、(話が前後になりますが)この日の朝、当時の監督さん(ビショップ)が私と面接するようにとの霊感を受けていたということです。とにかく私と面接しなければと促されていたようで、バプテスマ会終了後、面接してくださいました。監督さんは、はじめにこうおっしゃいました。
「姉妹、今朝どうしても(忙しくても何が何でも)あなたと面接しなさい、と主が(みたまを通して)おっしゃったんですよ」と。
この面接で、監督さんは私の現状を把握し、私に的確なアドバイスをくれました。
「体に栄養が必要なように、霊にも栄養が必要なんです、教会に来なきゃダメです、お姉さんに気を遣って申し訳ないと思ったら、前日までに洗濯を済ませればいいじゃないですか」など、今思うとちょっとしたアドバイスなのですが、当時の霊的に赤ちゃんのような私には、絶対的に必要なアドバイスであり、とてもみたまを感じた面接だったのです。その面接を受けたことにより、私の気持ちは180度変わって「これから毎週教会に集う」という決意をすることができました。
 

「今日で最後の安息日にしよう」と思っていた私を主はご存じであり、私を導いてくださいました。前日にステーク宣教師に働きかけ、当日の朝、監督さんに働きかけ、そして聖霊を私に送ってくださいました。あの安息日を最後にしばらく教会を休んでいたとしたら、教会へ行くことは一生なかったかもしれません。おそらく今の私はいないであろうと思われます。

主は実に生きていらっしゃると心から証いたします。
(*家族についての補足です。姉はその後まもなく改宗して神殿結婚し、今も私を霊的に引っ張ってくれる頼もしい存在です。父は私が伝道から帰還すると「よくがんばった」と褒めてくれ、教会へ行く私を応援していました。7年前他界しましたが、亡くなる前、母に教会に行くよう遺言しました。母は2022年バプテスマを受けています)

facebookグループにて

 

 

【前編】
36年前、19才でバプテスマを受けました。
元々神様の存在は信じておらず、英会話が始まりだったので、レッスンには興味がありませんでした。

でも宣教師のお人柄と目の美しさに惹かれ、レッスンのお誘いを断ることが出来ませんでした。

最初の示現を教えていただいた時はおとぎ話のように感じてしまい、このままレッスンが続いてしまうことに困惑したりしましたが、やはり宣教師のお人柄が素晴らしいため、断れませんでした。
 

モルモン書を読んでもさっぱり理解できず、

どうしたものかと思っていたところ、

ある日のレッスンで姉妹宣教師から東京神殿の写真を見せていただき、

「ここで家族の永遠の結び固めが出来る」と聞いた時、

胸の内側がガーっと熱くなり、当時は訳がわかりませんでしたが、

(後々生まれてはじめて御霊を感じたとわかり)レッスンを今は信じられなくても、

宣教師のように信じられるようになれたらいいかも・・と徐々に思えるようになっていきました。


とはいえ、戒めを聞いた時も多少の窮屈さは感じていましたし、

バプテスマを受けられるほどの信仰を自分の中で感じることが出来ず、

レッスンが終了して6ヶ月になる頃、私はまだ宣教師が困るようなロジカルな質問を疑問として投げかけていました。

 

ところがある日、いつもと同じように教会のお部屋で姉妹宣教師とお話をしていて色々な疑問を吐露していたところ、姉妹宣教師が霊感を受けて、
「姉妹、大丈夫です。姉妹は神様にとって大切な娘さんだと思います。」と私に伝えたのです。

 

それを聞くやいなや、非常に熱い霊的な存在(御霊)が私の胸の内側をズドーンと勢い強く貫いていきました。

そこから私は、(今はわからなくても)

神様がいらっしゃるなら知るようになりたいという希望のみでバプテスマを受けました。
 

その後、あれだけ読んでも理解し難かったモルモン書が少しずつ

(バプテスマを受けたあと聖霊の賜物を受けたおかげだと私は思っているのですが)わかるようになっていきました。

新会員の時にモルモン書のインスティテュートを受けたことも幸いし、リーハイの木の示現の解き明かしを学んだ時はモルモン書を読むことが楽しくなっていったことを覚えています。


求道者がどうやって戒めのハードルを克服できるかとありましたが、

私の場合、モルモン書を理解できるようになった経緯と同じように、徐々に戒めを理解できるようになっていった印象です。

御霊なしでは厳しいのではと思われます。

また、個人の祈りや聖典学習はもちろんのこと、教会の集会、インスティテュート、総大会で学んでいくごとに、徐々に信仰が強められて戒めを理解していったように思います。

 

今の世の中を見ていると、

主の戒めは世の中を最強に平和にするものであり、

人を真の幸せに導くものであるとわかります。