報道ステーションの古賀さんの問題が波紋を呼んでいます。
これについては、古賀さんの 「安倍総理が空爆をやりたがっている」 「I am not Abe」 など
なんだか一線を越えた感のある発言にも批判があるようです。
(私にしても、ロジカルな政権批判はアリだと思うが、古賀さんの言ってることは微妙…)
ただし、古賀さんが 「官邸、菅さんからバッシングを受けた」 と発言したことに対し
自民党がNHKと朝日を呼びつけたことに関しては、これはイカンだろうと思います。
私の最初の印象では
「あれくらいほっとけばいいのに…」 です。
しかし、自民が過剰反応してしまったことでメディア萎縮どころか、
自ら政権批判の素材をバラ撒いた形になったと言えます。
逆に言えばこれを機に、構造的な問題にまで踏み込んで行く可能性もあるかもしれませんが…。
構造的な問題について、宮台真司さんが解説してくれています。
4月17日TBSラジオ デイキャッチ。
30分45秒あたりから7分間ほど。
大雑把に書き起こしておきます。
(全てではなく要点ですので、ご興味あれば視聴をお勧めします)
もともと、
自民党がNHKと朝日を呼び出す権限が無い。 従ってメディア側は断れば良い。
という話。
しかし何故それが出来ないのか、そこに問題のそもそも論がある。
全ての問題の元凶は放送免許制度にある。
戦後直後、GHQの指示で電波監理委員会(米国のFCCに相当)が作られる。
政治的に中立の立場から放送機関を監視する委員会。
しかしサンフランシスコ条約が発効した後、吉田茂が即座に電波監理委員会を潰してしまう。
政府が直接、放送局に免許を与えるという、先進国で例外的な構造になってしまう。
従って、明言された脅しが無くても、放送局は政権与党に迎合しやすい体質になってしまう。
政府が直接に免許を発行する今の状況での呼びつけは、どこの国の誰が見ても完全に政治的な圧力である。
そして一方で、政権与党が加害者で放送局が被害者と言い切れない問題もある。
政府側が放送局の権益を保護することで一種のバーター取引が成立している。
(宮台氏はBSの例を引用。 これについては後日、別の例を日記に書きます。)
政府と放送局の権益をめぐる 「持ちつ持たれつ」 の不健全な関係。
そして日本以外の国なら直ちに問題となる、放送局と新聞社のクロスオーナーシップ。
これも政権が放送免許を与えることで、放送局(&新聞社)を保護する形になっていると思われる。
今回の件を大々的に報じているのは放送局を持っていない毎日新聞であり、問題の構図が露呈している。
従って、放送免許制度が現行のままである限り、放送法第3条が規定する放送の中立性は極めて損なわれやすい。
これは国民国家としては、あまりに脆弱だと言うほかは無い。
立憲政治に於いては、国民が国家を、あるいは市民が政府を操縦することが基本だが、操縦の中核は選挙、そして選挙が有効に機能するには中立の報道が必要。
政府批判が必要だと、宮台氏は言う。
日本以外の先進国では、放送の中立性とは、政府批判をしない事ではなく逆。
時間帯や視聴率など同等の条件とした 「反論権を保証するのが放送の中立性」。
しかし日本に於ける放送の中立性に関する理解、自民党的な理解は完全に出鱈目。
解釈が逆になっている。
この元凶は、先に述べた放送免許制度が背景にある。
従って、根本的な問題解決策はただひとつ。
他の先進国の様に、米国のFCCに相当する独立行政委員会を作り中立性が担保された立場から放送免許の発行、並びに放送局の監督を行うようにするしかない。
これが放送法の精神を生かす唯一の道であることは明明白白である。
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宮台さんは、この問題について毎日新聞が大々的に報じていると語っていました。
17日のラジオ放送時では、それは間違いでなかったと思います。
17日の毎日新聞、朝刊の社説
社説:テレビ局聴取 政権党は介入を控えよ
http://mainichi.jp/opinion/news/20150417k0000m070119000c.html
しかし、次の日に読売の社説も。
18日の読売新聞、朝刊の社説
テレビ幹部聴取 与党として適切な振る舞いか
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20150417-OYT1T50160.html
わりと安倍政権ベッタリの感がある読売新聞がきちんと苦言を呈していることに、マスメディアの良心を感じます。