【八紘一宇】今日の記事を3つ &考察など | ふぇりっくす日記

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新聞各紙とネットを意識的に見ています。

拾い漏れもあるかもしれませんが、今日だけで3つ見つけたので日記に記しておきます。




沖縄タイムズ社説


社説[「わが軍」「八紘一宇」]緊張欠く慢心発言次々

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=109116




神奈川新聞 2面


このバカチンが

三原氏「八紘一宇」に協賛・小池氏


「金八先生に出てきてもらって、『このバカチンが』と言ってもらわないといけない」


共産党の小池晃副委員長は26日、自民党の三原じゅん子参議院議員が国会質疑で、戦前・戦中の日本の海外進出を正当化するスローガンとして使われた「八紘一宇」を、今後の日本のあるべき姿として紹介したことを痛烈に批判した。横浜市内の街頭演説で語った。


小池氏は「戦後70年だが、あの戦争は間違っていた、というのが出発点で、世界の大原則のはずだ」と指摘。その上で、女優だった三原氏が出演したテレビドラマ「3年B組金八先生」を踏まえ、「一体、何を勉強してきたのか」と言及した。


三原氏は16日の参議院予算員会で、「世界を一つの家とする」という意味のある八紘一宇を「日本が建国以来、大切にしてきた価値観」などと説明した。 (大槻 和久)




毎日新聞 オピニオン(読者投稿)


「八紘一宇」発言にギクッ


(熊本市中央区 83歳女性)


国会中継を見ていて元女優の自民党議員による「八紘一宇」(はっこういちう)の発言にギクッとした。70年ぶりに聞く言葉だった。先の太平洋戦争中この「ハッコウイチウ」の言葉は意味もよく分からないまま、他のスローガンと共に私たち子供の体の隅々にまでしっかり根付いていた。そして、それらスローガンのもと国内のみならず国外でも数えきれない多くの悲劇が繰り返し生み出されていった。


広辞苑などによると、「八紘」とは四方と四隅、全世界の意とあり、「一宇」は一棟の家、とある。さらに「八紘一宇は日本書紀の『六合(くにのうち)を兼ねて都を開き、八紘(あめのした)を掩(おほ)ひて宇(いへ)にせむ』に基づく。太平洋戦争期には、世界を一つの家にするの意として使われ、日本の海外進出を正当化するために用いた標語」などとあった。日本書紀はじめ古典は伝統文化として研究し、受け継がれるべきもので、その一部を政治家が意図的に流用すべきではないと思う。



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以上、各紙の引用終了。



①と②は、かなり左向きだと思います。

一面的には正しいと言えるかもしれないけど、断罪調なところは、個人的に賛同できません。


③の毎日新聞読者投稿については、私はわりと賛成です。

特に、「日本書紀はじめ古典は伝統文化として研究し、受け継がれるべきもので、その一部を政治家が意図的に流用すべきではないと思う」 の部分に、投稿者のバランス感覚を感じます。


私は民主党の馬淵澄夫議員の言葉に賛同し、しかし次世代の党が名古屋で「八紘一宇」を新標語にすることに強く違和感を抱きました。

従って、「政治家が八紘一宇を使うべきではない」とまでは思いませんが、しかしやはり、標語として政治的な運動にすることは問題だと、結論しておきます。


③の投稿者のように、古典教養として個々人の糧とするのが、一番穏当でしょう。






もうひとつの論点として、

「八紘一宇」の理想を信じて戦い亡くなった方や遺族への配慮や敬意が、各紙の報道や論調から抜け落ちているのではないか…と、思う事はあります。


現代的価値観に基づく戦後教育を受けた身とすれば(戦前戦時中の日本にも言い分があるにせよ)、「あの戦争は間違いだった」「侵略だった」とすることに、個人的に異和感はありません。

また、そうしないと、現状パワーポリテクスに依存する近隣諸国の過ちを指摘できません。


(口で中国やロシアに指摘すれば軽武装で良いなどと、楽観視もできないでしょうが)


ただし、現代的価値観はともかく、当時を誇りをもって生きた方を断罪し排除するようなところまで行く論調は、どうなのかと思います。

「八紘一宇」を標語として利用した権力側と、プロパガンダに流され戦後に「騙された」と感じた方と、お国のために誇りをもって戦った方と、様々であるはずなのに、一様に論じることはできないのでは…? と。


リベラル側による長年の排除圧力が、今の右派の暴走を招いていることは、小林よりのりさんや三浦瑠麗さんも指摘するところです。




私は日本会議やチャンネル桜、幸福の科学の論調に与する気はありません。

しかしネトウヨ的な罵詈雑言や誹謗中傷路線(KAZUYAのような稚拙で悪質な印象操作を含む低レベルなもの)でなく、冷静な言論に対してであれば、戦後リベラル的な排除理論で済ませることは、あまり好ましくないと考えます。