打ち切り漫画のような急展開ですが、今回で日記を終了します。
吉松育美ストーカー事件から都議会の野次事件に至り、ひとつの結論に達しました。
まとめの文章なので、真面目に書きます。
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都議会の件。議会の男女比率をある程度見直すべきという、問題解決ための本質から離れ、特定の人物の話になるのは全く意味のないことだ。
民主主義による意思決定プロセスである、選挙と議会。
その議会に於いて、男女比率のバランスがいかに重要か、今回の事件が象徴しているように、私は感じる。
単純化しすぎるが、学園祭を企画するためクラス委員を集めた、委員会のようなものを想像してみる。男子が9割の委員会だと、むさ苦しい企画になってしまう。逆だとスイーツ。おおまかに半々くらいでいい。
アファーマティブアクションのようにならないように、政党が立候補者の男女比率を整えるのが好ましい。(きちんとした比率だと政党助成金が出る等、制度設計する)
選挙で選ばれる議員の男女比は、おおまかにバランスがとれればよく、結果の平等を目指すことが目的ではない。
また、あらゆる男女差別撤廃といった教条主義も、まったく必要ない。男女ともに権利が保障され、バランスよく意見を出し合うことだけが肝要だと思う。
ドイツの緑の党が女性立候補者の比率を増やした結果、女性票が流れたため、結局与党も同じようにせざるをえなくなった例がある。
つまりこれは、差別撤廃や人権といったイデオロギーの問題ではない。
票の流れと、議会のあり方を見直そうというシステマティックな議論だ。
都議会に於ける野次事件の後に、記者会見で女性都議は語った。都議会では(多数の)男性の声がスタンダードになっていると。
今やその証言が、日本国民だけでなく世界にとっても、疑う余地のないものとなってしまった。悩める女性の妊娠、出産、育児サポートについての質疑で、下品な野次を飛ばし皆で笑うようでは、女性の声が反映されるはずもない。
かといって、教条的かつ過度な女性優遇策によって改革を行うことは、逆差別を受ける男性にも、そして女性自身にとっても好ましいものではない。また日本人にとって心の拠り所ともいえる文化伝統は、たしかにあると、私は考えている。そこを見極め、次世代のために守り伝えていかなければならない。
従って、議会に於ける男女比率バランス改善の一点、これに注力すべきだろう。
日本の革新を担う保守政党は、率先して行うべきではないだろうか。
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(*´ω`)ウム!
グダグダな日記でしたが、書いている身としては楽しかったです。
お付き合いいただきまして、ありがとうございました。