6/30に入院してからはラインどころではないだろうと私から送るのはやめていたら
7/3
父からのラインが1通、
楽しかった最後の旅行を思い出してます
ありがとう
まだ県を跨ぐ移動はNGだったけど部屋風呂♨️、部屋食、平日午後2時以降は貸切のゴルフ場も付いてるコロナ渦には有難いお宿に最後の親孝行になるかもとかなり奮発して1泊しに行き、じいじも数打だけだけどゴルフ場にもう一度立つ事が出来ました。
7/4
突然父が意識朦朧としながら電話をくれて、絞り出すような声で物凄く辛そうで呂律も回ってなく何話してるのかよく分からなくて1分も話せなくて…
数年前に膵臓癌で亡くなった友人が最後にくれた意味が分からないけど何か伝えようとしていたんだろうな、というラインとデジャヴしてしまい
父からもらう電話はこれが最後かも…
ともうハラハラ
兄のところにも
訳分からないラインが来ていたらしく
家族皆んなで勝手に覚悟を決めつつ
私は独立記念日の花火の様子や
庭の蛍のビデオを送ったり
姪っ子は可愛い応援メッセージを送ったり
手作りのミサンガを届けたりして
励ましていました。
7/5
まだ声が出せないと書きつつ
ミサンガを腕に付けた写真が届いた時には
皆んなでホッと胸を撫で下ろしました。
まだ痛みが酷く、油断禁物との事。
家で熱が出てから救急車を呼んでも今はコロナを疑われて受け入れ先が見つからない事もあるようなので、病院での発熱だからこそ、すぐに対処してもらえてあの時入院させてもらえて本当に良かったです
今回の入院中、記憶にある限りPCR検査は一度も受けてないとのこと。
痛みの原因は80%は膵臓癌とは関係なく
医師から検査結果を聞いた母と兄の話だと
数年前に早期発見後、放射線治療を何度かしただけで数値も安定し、最終的には定期検診のみになっていた前立腺が炎症を起こし(前立腺肥大?)、熱→肺炎となったようです。
更に父からの情報だと
大腸結石、肺炎、熱と痛みが全て一緒に来てしまい地獄のような日々で、あと数日手当が遅れていたら危なかったかも
7/6
ピークは脱したようで
熱は上下変動があるものの
37度台まで下がる時もあり
痛みが少し和らぎ
少しずつまとめて睡眠も取れるようになり
食事も取れるように。
すると今度は糖尿病用の食事なので美味しくないと母に梅干しや畑のきゅうりとお味噌や味の濃い塩じゃけを届けてもらい、毎日畑で収穫も母の仕事に。
ラインの文章も呂律が回っていない感じだったのが、段々と理解しやすい文に戻ってきました。
7/7
2種類の薬を交互に点滴で夜もゆっくり寝れない時が多いらしく、日本の夜中に父から電話。父からの電話がこんなに嬉しいなんて一緒にいた次男とも話す事が出来、声からも元気になってるが伝わって安心しました。
入院直後、トイレに歩こうと床に足を下ろしたら全く踏ん張れず、2m位飛んで転んでしまったらしく、トイレは看護婦さんに1時間おきにお願いしていて、ようやく尿瓶に切り替える事が出来たそうです。
咳はなく、とにかく地獄のような痛みに苦しんだそうです。
7/8
塩漬けのままの梅干し作業の心配をし始め、母に紫蘇の葉の買い物を頼む。
畑といい、梅干しといい、生きる目標がある人は強い!!
7/9
どうやって覚えたのか自撮りの写真と共に
上の詳しい病状を送ってくれて劇的に回復を感じた日。
身体はだるく4,5歩歩くのがやっと。
でも部屋のトイレに看護師さん付き添いで行けるようになりました。
7/10
入院して初めて看護師さん付き添いの元シャワーを浴び始める
7/12
部屋の写真を見たいとお願いしたら、ベッドの上からだけのつもりが、歩いて窓からの風景まで12枚も送ってくれました。転ばなくて良かった。
7/14
採血、レントゲン、CTの検査
7/15
地域包括ケア病棟という在宅復帰支援をして下さるフロアーに移り最後の抗生剤の点滴。
元気になり暇だったのか父から初のビデオ電話がこちらからビデオ電話掛けることはあっても父から貰うのは初めてで進化してる!
更に痩せていて、入院中10キロ痩せて1月からは合計20キロ近く減り本人曰く骨と皮だと。
それでも元々太っていたお陰で私と同じくらいの身長と体重。私はダイエットが必要なので
まだまだ大丈夫なはず?!
ついでにフロアー移動の手続き書類の写真も来てたのですが、病名に膵癌と胸膜炎と書かれていて、そんなの初耳なんですけど
調べてみると高熱の他、激しく刺すような痛み、激痛などと書いてあり、壮絶な痛みと戦いながらも連絡してきてくれていた事に感謝です。
7/17
お医者さんが言った通り発熱からピッタリ14日、合計18日で退院となりました。お医者さんの経験値は凄い!!
元気になってからは一人部屋でボケたら大変、と連絡をマメに取るようにしたけど、看護婦さんが1〜2時間おきに来てくれて、お医者さんも毎日来て対応して下さったようで、ボケる暇ない程良くしてもらったそうです。
それでも面会謝絶の入院は、父がスマホを使えなかったら、こっちの精神が持たなかったかも。
連絡取り合えても母は必要なもののやり取りくらいで
トイレの事も食事が摂れて無かった事も歩けなかった事も痩せてしまった事も全く知らなかったのです。
荷物を届けた際には看護婦さんとは会えても、病状については良くわらないようで、胸膜炎の事も紙を見るまで知らなかったし、やっぱり面会出来るのとは違いますね。
癌が進行してないのは良かったけど、体力が相当落ちていて免疫力も更に落ちてるので、今回のような感染症がこれからは心配です。
あとは今迄ずっと痛みに苦しんでいたので、家でどうなるか。
もしも痛みから解放されるのであれば、少しでも母が一人になる時間が少なくなるように、コロナが落ち着いて日本に帰り易くなるまで、父には少しでも長生きして欲しいものです。