面会謝絶のじいじの入院 | しなやかに。

しなやかに。

3回の田舎のアメリカ駐在を終え、2024年3月末本帰国しました。
主人と同じく駐在中のアメリカ産の息子二人。
米大学でサッカーを続けると思いきやコロナ禍や主人の辞令で方向転換。海外からのAO入試を上手く使って日本で大学生に。
9年半ぶりの日本での生活を綴ります。

七夕の願いが叶い
6/30から入院していた父が
7/17本日退院する事が出来ました!!

本当に良かった〜キラキラキラキラキラキラ 

この18日間、コロナの影響で
母でさえも一切病室に入れず
父の様子が良く分からず
病状も分からない事が多くて
凄く心配でしたが

スマホが使えるじいじなので
ツライ時も連絡しようと頑張ってくれて
元気になってからは多分暇なのもあり
沢山連絡取り合う事が出来て
安心させてもらえて

じいじ、頑張ってくれて
ありがとうラブラブ



父からの連絡や家族からの情報を元に
備忘録を。


6/10 私達がアメリカに帰国

6/21,22で何とか故郷の山形を訪れたけど…

日に日に痛みが増し
トイレのコントロールが上手く行かず
体力も無くなってきてました。

6/24  抗がん剤投与

6/25,26  急診
24日夕方から下腹部、肛門周り、右横っ腹の痛みが耐えられず、2日続けて急診してもらうも原因不明

6/27
下剤、座薬、飲み薬など変えてもらい少し楽になり、急診からの様子を詳しく連絡くれる

6/29
座薬と下痢の薬を飲み間違えた、とお昼から夜まで下痢と痛みに苦しみトイレに入りきり
実際は薬の問題では無かった

6/30夕方
翌日が検査で病院に行く日なので我慢していたけど母が限界と判断し、ご近所さんの目が気になり嫌がる父を無視し救急車を呼ぶも、かかりつけの病院に着く頃には痛みが落ち着く。
そのまま翌日の検査まで母から入院をお願いすると、個室しか空いてない、との事だけど受け入れてもらう。

病院に着くと安心して治るという精神的な物もあるのか?!私も小さな頃、喘息の発作が酷く何度も夜中に母が勤める病院に駆け込んだけど病院に着くと何故か落ち着いてたなぁ


7/1   
予定通り造影剤を使ってのCT検査。痛みの原因を探るべく追加で色々と検査する事になり、そのまま入院続行。

病室には入れないけど午後2時から看護婦さん経由で荷物を届ける事は出来たので、父から連絡あった物を母が届ける日々が始まる。

母、携帯の充電器まで気が回らず、翌日届けてもらう事に。案の定この日の夜充電がなくなり父と連絡取れなくなる。

入院グッズリストに
スマホの充電器はマストです!!


7/2 
1日かけて検査。どうもこの日から発熱

7/3 
元々朝一でCTの検査結果を聞きに行く日でしたが夕方に変更。
2時に荷物を届けて時間を潰して…と兄が来てくれて本当に良かった。

検査の結果には皆んなビックリ目

膵臓癌が進行して痛みが強くなってると思っていたら

癌自体は1月末の時点と変化が無く
転移もなし!!

ではあの痛がりようは何だったのか…

残念な事に前日辺りから熱を出し肺に影が見えて肺炎を起こしていて、急遽更に14日間の入院となってしまいました。


検査入院で7/3には遅くても退院出来ると思っていて長期入院の準備をしてなくて、母は急にバタバタに。80歳が83歳の世話をするのは大変だわ…車も処分してしまったので、日本で毎日雨の中移動も大変。

週末は兄達が行ける時は行ってくれていたけど、私はいっぱい時間があるのに何も出来ず悲しくて…海外に住むってこういう事なんだな、と改めて考える時間でもありました。


入院して発熱なんて、なんかやーね…
入院させたの失敗だったのか

新型コロナだったりしないよね…
それなら受け入れ病院に転院したり
家族も検査されるよね…

とこの頃は父の様子が良く分からず
病院側を疑ったりもしていました。

続く