本日10日、アメリカに戻りました! | しなやかに。

しなやかに。

3回の田舎のアメリカ駐在を終え、2024年3月末本帰国しました。
主人と同じく駐在中のアメリカ産の息子二人。
米大学でサッカーを続けると思いきやコロナ禍や主人の辞令で方向転換。海外からのAO入試を上手く使って日本で大学生に。
9年半ぶりの日本での生活を綴ります。

と言っても今日は地元への乗り継ぎ便が飛んで無いのでシカゴで1泊、明日国内線に乗り(これが人が多くて怖い)、自宅に帰ります。

ホテルのアーリーチェックインをリクエストしていたけど、1時間待たされました。

シャワー浴びたら
日本が朝になるまで寝ちゃいそうアセアセ



羽田までの道のり、レンタカーの返却、
空港への送りもスムーズで
11:45の飛行機なのに4時間も前に
着いてしまったら誰も居ないアセアセ





チェックインカウンターは8時からオープンだったようで、それに合わせて係りの人がゾロゾロとやってきました。




カウンターでは我が家含め3組だけだったのに
新入社員の指導が行われているのか?
係り員の人数はやたら多いのに
手続きに結構時間がかかりました。




入国時同様、出国手続きも我が家だけで
スイスイ。

搭乗口のゲートや
唯一開いているフードコートには
タイからの乗り継ぎと思われる人が
結構居ました。


じいじ直伝の子供達が作ったオニギリを
レンタカーで食べながら来たのに
ラウンジが使えない代わりに
お食事券が一人2000円分出たので
最後にしっかりお食事ラブ



フードコートからすぐのドラッグストアに
少しだけお菓子系のお土産が
置いてありましたが
大した物が無いので羽田に着いてから
お土産を買い出しされたい方は
入国フロアにあるお土産屋さんに
寄られるが良いと思います。


14日間の隔離と自由な2日の日本一時帰国、
必ず連絡が取れる連絡先に
実家の電話番号を書いたので

民家にいる間も毎日14日間
厚生労働省から機械で
健康観察の電話が入りました。

知らない電話番号なので
両親、私達が行くまでは無視していて
留守電に残っていただけで
毎日回答は出来ませんでしたが。


その間にサッカー再開の細かい指針が決まり
来年度のクラブチームのトライアウトの
正式な日程が出て

高校サッカーに至っては昨日、今日で
コーチを含めて10人以下でミーティングと
活動に参加する為に必要な
健康チェックも行われ

予定通り6/15〜徐々に再開されるので
延長せずに戻ってきましたタラー


前半は両親と義理母の家と宿の
3箇所をレンタカーで行ったり来たり

後半は実家に拠点を移し
とにかく両親と一緒に時間を過ごし

アメリカにいるよりずっと忙しく
あっという間に過ぎてしまい
せめてあと数日欲しい所だったけど

遅くなればなるほど
アメリカでの14日間の隔離から
解放されるのが遅くなり 
(殆ど重症な感染者が出てない国からの帰国なのだから無しにしてもらいたい気持ちでいっぱい)

子供達がサッカーに参加出来るのが
遅くなってしまい…


私だけ残りたい気持ちもあったのだけど
今回は飛行機の便数が減っていて
ホテルで1泊して国内線に乗り継ぎか
レンタカーして6時間ドライブで
戻らねばならないフライトなので
子供達だけで帰らせる事も出来ず…
こういう時、田舎ってホント嫌ショボーン

アメリカへの飛行機は日本に帰る人よりも少ないと思っていたら、行きと同じくらい乗ってました。日本人より外国人の方が多かったような。

アメリカへの入国は
韓国からのJAL便と重なってしまい
かなりの密アセアセ&時間も結構かかり
PCR検査も無いので
マスクをしてる以外いつもと全く同じでした。



父は私達が滞在中にも
日に日に体力が落ち
あまり歩けなくなってきて
庭作業するのも息が上がるようで
心配だけど

幸い食欲はあるので
もう少し頑張ってくれると信じ

私達がいると両親共に張り切って
頑張り過ぎてしまうので
疲れ切ってしまう前に
寂しさと涙をグッと堪え
一先ずはお互い日常へ戻ります。


前回、普通の一時帰国でさえ
かなりのホームシックになった私、
今回はさらにホームシックに
なってしまうかも。