ユリ・エコール・ド・バレエ コンテンポラ発表会

Performance 2026

南大沢文化会館にて開催いたします。

 

皆さまのご来場を心よりお待ちしております。

 

【 演目】

ACT 1

コンテンポラリーダンス Nuit d’étoile『星の夜』

ACT 2

バレエガラコンサート

Don Quixote — Queen of Forest

 『ドン・キホーテ』第2幕より 森の女王

Sleeping Beauty — Aurora’s Friends

 『眠れる森の美女』第2幕より オーロラの友達

Raymonda — Variation of Veils

 『ライモンダ』より ヴェールの踊り

Don Quixote — Variation of Kitri

 『ドン・キホーテ』第3幕より キトリの踊り

Reverie 『夢』

Les Sylphides — Prelude

 『レ・シルフィード』より プレリュード

 

【日時】

2026年1月10日(土)

開場 15:00 / 開演 15:20

【 会場】

南大沢文化会館 主ホール

入場無料(要入場券)・全席自由

 

🎫 チケットお申込み

観覧チケット(入場券)は

ユリ・エコール・ド・バレエ・コンテンポラへ

メールまたはLINEにてお申し込みください。

📧 E-mail: yuriballet@live.jp

 

 

フランスではロマンティックバレエが衰退した後に

ロシア出身の興行師セルジュ・ディアギレフが率いる

バレエ団「バレエ・リュス」Ballets russesの

時代が始まります。

 

1909年「バレエ・リュス」はパリのシャトレ劇場で

旗揚げをしてから、

1929年に解散するまで、

パリを中心として活動し

 

「総合芸術としてのバレエ」という、

それまでなかった芸術スタイルを確立しました。

 

ディアギレフは一流のダンサーと振付師

デザイナー、作家、画家、音楽家を起用することで

バレエを時代の最先端をいく芸術ジャンルに変えたのです。

 

3年目にはいったバレエ・リュスは

1911年4月19日にモンテカルロ歌劇場で

『薔薇の精』(Le Spectre de la Rose)を発表しました。

 

初演時の公演ポスターを描いたのはジャン・コクトー。

このポスター見覚えがある人はいませんか?

YURIバレエの更衣スペースに飾ってありますよね。

 

「薔薇の精」は

ジゼルの台本を書いた作家で

カルロッタ・グリジに片思いをして失恋したあの

テオフィル・ゴーティエの詩

「わたしは薔薇の精、昨晩の舞踏会にあなたが連れていってくれた」

を題材に創られました。

詳しくは「ジゼル」片思いとロマンティック・バレエの終焉をご覧ください

 

振付はミハイル・フォーキン

美術と衣裳はレオン・バクスト

音楽はカール・ウェーバーの『舞踏への勧誘』

 

この時代バレエ用の音楽ではない曲に、振付られたバレエはほとんどありませんでした。

ウェーバー作曲の舞踏への勧誘に振り付けたフォーキンは

ショパンのピアノ曲で即興的に踊ったイサドラ・ダンカンから

影響を受けています。

 

詳しくはイサドラ・ダンカンがバレエに与えた影響をご覧ください

(バクストによるニジンスキーの衣裳デザイン)

 

そして

ヴァーツラフ・ニジンスキーが薔薇の精を

タマーラ・カルサヴィナが少女を

踊りました。

 

今もなお「伝説のダンサー」でありつづけるニジンスキーは

当時からファンに「追っかけられる」ほどの

アイドルなみの人気ダンサー。

 

「薔薇の精」は

バレエ・リュスの人気演目の一つとなりました。

 

今も世界中のバレエ団のレパートリーとして

踊り継がれています。

 

 

あらすじ

舞踏会から帰ってきた少女が疲れて椅子でうとうとと眠りに落ちます。

夢の中では、少女が胸に飾っていた薔薇の花の精があらわれて踊りに誘います。

踊っているうちに夜が明けて薔薇の精は去ってゆきました。

少女が目を覚ますと床には薔薇が落ちていました。すべては夢だったと気づき

少女は薔薇をひろいあげるのでした。

 

 

参考文献:

華麗なる「バレエ・リュス」と舞台芸術の世界 海野弘著

バレエ・ヒストリー 芳賀直子著

URL: youtu.be

 

映画『ブラック・スワン』の撮影を通して知り合って

ナタリー・ポートマンと結婚した

パリ・オペラ座バレエ団の元芸術監督で

振付師のベンジャミン・ミルピエ。

 

名前と顔と存在はしっかりと知っているけれど

どういう作風の振付なのか、代表作とか

そういえばあまりよく知らないな

 

そう思っていたところ

ミルピエ振付「ダフニスとクロエ」の初演(2014)を

オペラ・バスティーユで観ていたことを

思い出しました!

 

 この時ダフニスを踊ったのはマチュー・ガニオ

クロエはレティシア・プジョル

舞台美術はフランスの現代アーティスト

ダニエル・ビュランで

(パレ・ロワイヤルのストライプの円柱で有名な方)

 

初演という事もあって

事前に舞台写真はなく

パンフレットもリハーサル写真のみ

 

一方で

ダニエル・ビュランの黒いストライプや円、長方形、正方形と

シンプルなフォルムのカラフルなデザインが

たくさん掲載されている

という

 

前もってどんな感じのバレエなのかの

情報が少な目な状態で観に行ったのでした。

ミルピエは「ダフニスとクロエ」の物語の詳細は追わずに

モーリス・ラヴェル作曲の音楽に沿って

抽象的な作品に仕上げたそうで

 

ダニエル・ビュランも

ストーリーではなく音楽にインスパイアされた

舞台装置をつくったそうで

 

うん・・・・

じゃどのへんが「ダフニスとクロエ」だったのかな?

そんな感想に終わりました。

(だから記憶に残らなかったのですね)

 

まさにコンテンポラリー・アートです。

 

ミルピエの振付は自然な流れが美しく

オペラ座のダンサーは完璧に美しく

もっと記憶に残る作品になるかと思いきや

 

今日まで見たことも忘れていて

申し訳ない気持ちです。

 

観たタイミングが悪かったかな?

そう思って最近DVDで見直したのですが

・・・・・

おそらく、私の個人的な感想ですが

ラベルの曲には物語に沿った振付の方が

合ったのではないかな~~と

僭越ながらそう思います。(超遠慮がち)

 

ラベルの曲でも「ボレロ」のような曲なら

また別ですが

 

結論

ミルピエ振付の作品をもっと

色々と観てみたくなりました!

 

 

URL: youtu.be

 

 

私には恩師と呼べる先生が3人いらっしゃいます。

その中のお一人

パリオペラ座出身のイヴ先生との思い出です。

 

************

今年はなんだか へんね? 

そう言っている人がいるほど

暖かなパリの11月

 

コートを脱いで

カーディガンとマフラーだけ巻いてスタジオへゆきました。

ポアントレッスンを受けましたが

それはもう 山のように 鬼のように 注意されてきました。

 

ユキッ! 

(先生は私をそう呼ぶ 何度教えてもユキって呼ぶからもう根負け

発音がむつかしいらしい)

 

お前の足は こんななってるぞ  いいかっ! こーんなだ!

ぜーんぜん駄目! ぜーーーーんぜんなってない!

いいか こうなんだ! 見ろ! わかるか? 違うだろ!?

そうだ  そういうことだ!  

わかったらやってみろ! いいな!

 

先生 そんなに言わなくても  

いえ、それだけ言っていただけば

よーーくわかりました

 

私の大好きな お父さん先生

日本人生徒さんからは怖すぎて嫌われてるとさいきん知りました

だから ・・・・ ジャポネーズはほとんどいません

 

お尻をペーンッと叩かれることもあるし

先日は 先生に注意されて 陰でこっそり涙をふいている

女の子がいました

 

でも

何故か私はお父さん先生にどんなに叱られても 

怒鳴られても

大好き  

嫌な気持ちにはまったくならないのです

(他の人に同じことされたら嫌だと思います)

 

あれだけ注意されたところは 

その後必死でなんとか踊っていると

しっかり見ていて 小さな声で

 

そうだ。   

うん。できてる。  よくなった。   

 

注意は大声   

ほめるときは小さなつぶやき これが先生の特徴(笑)

 

先生を囲んで その日のアンシェヌマンについて

あーでもない こーでもないとレッスン後もはなしこんでいる

クラスメイトたちは、まるで大きな家族のようです

 

お父さんが怒り出したら、みんなでちゃぶ台をかたずける

あの寺内貫太郎の家族のように もう慣れたもの

(これがわかった人はもう初老。若い人はググってね)

 

チームワークだって抜群

スタジオから出てからも

「ユキ またね~!」 と声をかけてくれます

 

あれだけ怒鳴っても最後はひとりずつに

大きな笑顔で挨拶する人

 

お父さん先生のクラスには

愛を感じます♪

 

 

タタハ クシーヤテー プラカーシャ・アーヴァラナン

呼吸法によって、

冴えた知性の働きを邪魔する

タマス(鈍質、怠惰、眠け、無知)が取り払われます。

 

ヨガスートラ2章52節にはそうのように書かれています。

 

タマス(鈍質、怠惰、眠け、無知)が取り払われると

知性を邪魔する9つの原因は消えてゆきます。(ヨガスートラ1章30節)

①体調不良 

②無気力・心が冴えない 

③疑い・不信感 

④注意散漫 

⑤怠惰 

⑥頑固・イライラ 

⑦歪んだ見解 

⑧達成感がない・欲求不満 

⑨進歩しても継続できない・意欲がつづかない

 

知性を邪魔する9つの原因

わたし個人的には日々消すことを

繰り返さないと

生きている間に

何度でも現れてくるもの

だと感じています。

 

澄んだ静かな水面のように

穏やかで安定した

心の状態を

できるだけ保ちたいから

呼吸法を大切にしています。

 

呼吸の動き

心の動き

肉体の動きは

密接につながっています。

 

心をおさめる瞑想に入る前に、

体はアーサナ(ヨガのポーズ)で

呼吸はプラーナヤーマ(呼吸法)で

静かに穏やかに整えると

心は穏やかに集中して深い静寂にいたりやすく

なることが感じられます。

 

 

via Bien-être YOGA
Your own website,
Ameba Ownd

すす大人でも子供でも

これを知っていればどこのお教室でも通用するという

基本マナーをまとめました。

 

最近は、マナーを教えてくれるバレエ教室ばかりでは

なくなったので、マナーを知らない人はそのままになり、

実は白い目で見られていた!という事になってしまいます。

お気をつけてください。

 

<バレエレッスンのマナー>

 

1.挨拶

挨拶には大変厳しい世界です。

子供の頃から徹底します。

バレエはどの時間帯でも基本の挨拶は「おはようございます」です。

先生の他にピアニストさんや助手の先生がいらっしゃる場合も

「おはようございます」「よろしくお願いします」と挨拶をします。

終了後はもちろん「ありがとうございました。」「お疲れさまでした」とご挨拶します。

 

2.更衣スペースでの譲り合い

バレエの着替えはレオタードを着用したり、タイツを履いたり

着替えに時間がかかるものです。

更衣室は大きいところばかりではないので

着替えたらすぐに退出して場所を譲りあいます。

棚やロッカーの前に大きく自分の荷物を広げたり、

床に座っての着替えや、着替え終わってからのお喋りは

迷惑になってしまいますので、更衣スペースの外でお話しましょう。

 

3.私語は厳禁

レッスン中の私語は厳禁です。

振りがわからない時は先生に聞きましょう。

話しかけられた方の迷惑になるような行為はしてはいけません。

バーレッスンとセンターレッスンの間も休憩時間ではありませんので

お喋りを始めてはいけません。レッスンの一部と思います。

みなが集中してレッスンができるように配慮します。

 

4.道具を大事にする

いつもお世話になっているバーや鏡は大事に扱います。

バーにぶら下がったり寄りかかるのはもってのほかで

バーにタオルをかけるのもよくないマナーです。

タオルや水分補給用のペットボトルは床にはおかず

棚の上に置きましょう。

 

また、バーを準備したり片づけることも

協力しあって皆で準備しましょう。

 

5.バーレッスンにおいて

先生が説明をしている時は、鏡と先生の間や先生の真正面には

立たないようにします。

また、後ろの人が見やすいようにも気遣います。

先生に背中を向けて話をきいたり

手を腰にあてて聞くのは

失礼な態度なのでひかえます。

 

6.センターレッスンにおいて

プチ・アレグロやグラン・ワルツのレッスンの時は

途中で振りを忘れてしまったら、立ち止まらずに皆が動く方向へ

一緒に移動しましょう。

次のグループのために自分の振りが終わったら近い方の斜め前か横へ

「バレエの走り方で美しく」走り抜けます。

踊り終わったと思ってゆっくり歩いたりするのはNGです。

 

7.バレエ教室とオープンクラスやスポーツジムの違い

バレエにはオープンクラスと教室があります。

「オープンクラス」は教室に所属する事なく、気軽に一回限りで参加が出来ます。

スポーツジムの中にもバレエクラスがある所があります。

オープンクラスやスポーツジムでは用意された時間枠で、不特定多数のお客様が

バレエレッスンができる場所です。

 

バレエ教室はオープンクラスやジムとは違いますので、お客様とスタッフの

関係ではありません。

バレエ教室はバーの準備やお掃除も、良いレッスンも、講師と生徒さんとで

協力して作り上げます。

 

講師は、参加される生徒さんにとって

①身体的にも知的にも成果がでるように ②バレエ技術と芸術性を高めるための

テーマをもって ③前向きな気持ちでレッスンができる雰囲気づくり 

を考慮してクラスを設定しています。

 

8.人から何か借りた時

うっかり忘れ物をして人から何か借りた時は、

洗濯ができるものは洗濯してからお返ししましょう。

ヘアゴム、ピン、ネットなど消耗品の場合は次回新しいものでお返しするのが

良いと思います。自分の汗がついてしまったものをそのままお返しするのは

美しくない行動と考えるからです。

 

<最後に>

バレエは単なるダンスではありません。

何世紀にわたり洗練されてきた伝統で、芸術様式です。

バレエの世界で重要なのは「尊重」という概念です。

尊重とは

芸術、歴史、仲間、観客、

そして自分自身に対する尊重です

 

「ただ先生が偉いと言っているだけ」

そんな、無教養な浅い考えをSNSで見るたびに

とても残念で悲しい気持ちになります。

 

バレエの「礼儀」と「マナー・エチケット」は

バレエ芸術の一部であると同時に伝統でもあるものです。

 

 

 

バレエの世界では、朝昼夜 時間帯を問わず

「おはようございます」の挨拶が基本ルールです。


これはバレエに限らず、

舞台業界、音楽や演劇の世界でも 一般的に

良く使う挨拶で 

「おはようございます」の由来には諸説ありますが、

挨拶の中で唯一敬語だからという説があります。


挨拶はバレエでは本当に大切な

マナーの一つなので

幼児クラスの生徒さんも

最初に教わります。


スタジオに入るときは元気よく「おはようございます!」

レッスンが始まる時には「お願いします」

レッスンが終わる時には「ありがとうございました」

 

 元気にご挨拶をしてくれます。

 

レッスン開始時とレッスン終了時にはレヴェランスを行います。

レヴェランスはバレエのお辞儀のことで、

フランス語で「崇敬、尊敬」という意味があります。


レッスンでのレヴェランスは、

バレエを教えてくれた教師に対する崇敬、

ピアノを弾いてくれたピアニストに対する崇敬と

いうことになりますが


私は「教師と生徒とピアニストはいないので音楽とが

協調してより良いレッスンをする、または終わった時に

お互いに対する崇敬として」

レヴェランスをしていると考えています。



舞台でのレヴェランスは踊り終わった後に、

観に来てくださったお客様に対して

心を込めて美しく優雅にレヴェランスを行います。


レヴェランスはとても優雅に、心を込めて行うことが大事です。

美しく優雅なレヴェランスができるようになることから

バレエの練習がスタートします。


「ラ・シルフィード」とならぶ

ロマンティックバレエの代表作に

1841年にパリ・オペラ座で初演された

「ジゼル」があります。

(パリオペラ座バレエ団)

 

テオフィール・ゴーティエによって

書かれた「ジゼル」の台本は

「村娘のジゼルが恋する男性の裏切りを知り、

そのショックで命をおとしますが

精霊ウィリになり愛する男性を守る」 という

ロマン主義の時代を象徴するようなストーリーです。

 

(テオフィール・ゴーティエ)

 

 テオフィール・ゴーティエはフランスの劇作家・詩人・評論家で

「レ・ミゼラブル」の原作者ヴィクトル・ユーゴーと出会って

ロマン派の先頭に立って活躍した人で、バレエの評論家でした。

 

 ゴーティエのバレエ評論は、現代の感覚で読むのは厳禁で、

19世紀ロマン主義の時代はこんな感じだったのだろう、、と

想像力をたくましくすることが必要です。

 

 たとえばこんな風です。。。

 

「まず彼女の体つきから語ろうではないか。そして、

次に語られるべきことは才能ということにして」

 

「背が高く、やせていて、骨細で、プロポーションも美しいが、

あの張り付いたようなスマイルをやめたら、もっときれいなのに」 

(ジゼル1幕の衣裳を着たカルロッタ・グリジの版画)

 

そのゴーティエが30歳の時に、初演でジゼルを踊った

21歳のカルロッタ・グリジへの「愛の証」として

「ジゼルの物語」を捧げるのですが、

グリジは「ジゼル」の振付をしたジュール・ペローと

結婚してしまいます。

 

ゴーティエの恋は片思いに終わります。

(ジゼル第2幕のカルロッタ・グリジの版画)

 

 カルロッタ・グリジはイタリア出身のダンサーで、

7歳の時にミラノ・スカラ座の舞踊学校に入学します。

 早くから才能をみとめられ、14歳でイタリア各地を巡演するようになり、

16歳の時にナポリでダンサーで振付家のジュール・ペローと出会うのでした。

 

 一目でグリジに心惹かれ、その才能を見抜いたペローは、

教師として彼女の成長を手助けしながら公私ともにパートナーを組み

イタリア各地やロンドン、ウィーンなどで踊ってきた後に、

グリジのためにパリ・オペラ座との契約を獲得して、

「ジゼル」でグリジの踊りの大部分を振付けたのでした。

 

どうやら初めからゴーティエに勝ち目はなかったようですね。

 

(カルロッタ・グリジとジュール・ペローの版画)

 

ただし、恋敵のジュール・ペローのことをゴーティエはとても誉めています。

 

「静かな敏捷さ、完璧なリズム、そしてゆったりとした優雅さ。

 ペローは軽やかさそのもの、ペローは空気の精、

ペローは男性版マリー・タリオーニだ!」

(エドガー・ドガ「バレエのレッスン」(1874年)の中に

年老いたジュール・ペローが

オペラ座のダンサーに指導をしている姿が描かれています)

 

 

 ロマンティック・バレエ時代は、女性ばかりがバレエの中心になり、

やがて、男性役すら女性ダンサーが踊ることも頻繁になり

活躍の場を失った男性ダンサーの多くはロシアへ渡ります。

 当時のオペラ座の観客の多くは富裕層の男性で、

ダンサーの多くは貧しい家の娘達でした。

エドガー・ドガ「舞台稽古」(1874年)には、

ダンサーの中から愛人を選びにきた男性が、

ふんぞりかえって舞台稽古を見ている姿が描かれています。

 

1870年の「コッペリア」初演を最後に

フランスのロマンティック・バレエは衰退してゆきました。

 

 19世紀の初め「ロマンティック・バレエ時代」

バレエはフランスで繁栄して、

現在のバレエの基礎のスタイルが確率されました。 

 

 そして次の時代がやってきます。

バレエの活動の中心はロシアへと移ってゆくのでした。

URL: youtu.be

参考文献:

バレエの魅力 マーゴ・フォンテーン著

帝室劇場とバレエ・リュス 平野恵美子著

バレエ・ヒストリー 芳賀直子著


 

ロマンティックバレエは

「ロマン主義」がフランスに伝わって

生まれました。

 

期間にすると

1830年から1870年までの

40年間くらいです。

 

それまでのバレエの物語は

神話の神々や王

そうでなければ

農民とか中産階級を主人公にしたもの

ばかりでした。

 

それが

妖精と人間の恋物語

遠い異国の冒険物語

身分違いの恋愛などが

主題になり

 

「ラ・シルフィード」や「ジゼル」などの

数々の名作が生まれました。

 

(ラ・シルフィードを踊るマリー・タリオーニ

 

 

「ロマン主義」は

19世紀ヨーロッパに巻き起こった思想で、

文学、哲学、美術、音楽、演劇、舞踊など

あらゆる芸術におよびます。

 

それまでキリスト教の理念に従い

理性や形式を重んじ

ストイックを美とした

「古典主義」の時代に対して

 

「ロマン主義」は

自由でのびのびとして

自然な欲求に対して素直な

古き良きギリシャ・ローマ時代を

理想としました。

 

(ジゼルを踊るカルロッタ・グリジ)

 

ロマンティクチュチュとトゥシューズの誕生

 

ロマンティックバレエでは

妖精のはかなげな様子や浮遊感を

表現するために

トゥシューズと

ロマンティック・チュチュが生まれました。

 

今では「バレエといえばこれ!」と

誰もが考えるイメージの完成です。

 

女性バレリーナが人気の時代で

たくさんのスターバレリーナが誕生します。

 

1832年に「ラ・シルフィード」で

トゥシューズで初めて踊った

マリー・タリオーニについてはこちらの

記事をご覧ください>>>

 

この時代のバレエ教師と振付家は

つま先で立って踊る技術を競って

研究します。

シューズの改良もくり返されました。

 

 さらには、ダンサーを空中に釣り上げて

フワフワと飛ぶようすや

床の中へ消えていくようすを再現する

舞台トリックは欠かせないものでした。

 

今ではそうしたトリックを使って上演している

バレエ団は少ないのですが、

パリオペラ座バレエ団のラ・シルフィードで

観ることができます。


URL: youtu.be

パリ・オペラ座バレエ団「ラ・シルフィード」

 


参考文献:

バレエの魅力 マーゴ・フォンテーン著

ダンスハンドブック ダンスマガジン編

バレエ・ヒストリー 芳賀直子著

 


 

 イサドラ・ダンカンのダンスは

あまりにも自然で、テクニックに凝らないものだったので

人間の動きを詩人の言葉に置き換えて表現するようで

「動きの詩人」と呼ばれることもありました。

 

 マーゴ・フォンテーンは著作の中で

「行き当たりばったりに、とんだり、跳ねたりしていた

だけのイサドラ・ダンカンを

モダン・ダンスの母と呼ぶことには賛成しかねる」

とまで書いています。

 

 このように、モダン・ダンスはおろか

クラシック・バレエとはまったく無縁のように考える人も

いるイサドラ・ダンカンなのですが

 

1904年12月の終わりにロシアで公演をしています。

 

この時代

帝室バレエ(現在のマリインスキーバレエ)では、

「眠れる森の美女」をはじめ多数のバレエ作品を創作して

クラシック・バレエの確固とした形を確立させた

マリウス・プティパが

34年間務めたバレエマスター(振付家兼芸術監督)を退職したばかりでした。

(プテイパ振付「眠れる森の美女」初演(1890年)の写真)

 

34年間は長いですよね!

それだけの長きにわたって同じ振付家・芸術監督だった後に

プティパより62歳も若いミハイル・フォーキンが

新たなバレエマスターに着任したので

フォーキンにとってはプティパのバレエは古めかしく

大袈裟に感じられました。

(ミハイル・フォーキン(1880年 - 1942))

 

 フォーキンが1904年に帝室劇場に

バレエ改革の具体的な提案を示すために書いた手紙には

次のように書かれています。

  

 「相変わらずの短いスカート、ピンクのタイツ、サテンのバレエシューズなどはもはや必要ない。自由な芸術の空想に任せればよいのだ。

 バレエの動きは踊り手が観衆の拍手に応えることで中断されるようなものであってはならない。

 バレエでは体のリズムを通じて概念や、情緒、感情を表現することが可能となる。踊りは動きの詩である。」

 

 1904年に、既にそう感じている人がいたんですね。

 フォーキンは当時としてはかなり新しい考えの人だったんですね。

 

フォーキンはこの年、イサドラ・ダンカンの公演を

セルゲイ・ディアギレフと観に行きました。

この時にイサドラがフォーキンに与えた影響を

ディアギレフはこのように書いています。

 

 「私はフォーキンとともに彼女の第1回目のコンサートを観たが、

フォーキンは全く彼女に夢中だった。

ダンカンが彼に与えた影響は、実に彼の創造のすべての基盤となっている」

 

 ディアギレフは、この5年後、

1909年にバレエ・リュス(ロシアバレエ団)を結成します。

ミハイル・フォーキンはバレエ・リュスで「レ・シルフィード」「ダッタン人の踊り」「シェヘラザード」「火の鳥」「バラの精」「ペトルーシュカ』という

現代でも再演されているバレエの傑作をつぎつぎと振付けて大成功をおさめますが

フォーキンはその後の創作にイサドラから大きな影響を受けていました。


 

  バレエ用の音楽ではなく、ショパンのピアノ曲で即興的に踊ったイサドラからの影響は

ウェーバー作曲の舞踏への勧誘に振り付けたフォーキンの「バラの精」などにみられますし、「エウニス」の振付では裸足で踊る振付けをしようとして、劇場サイドから許可がおりず、しかたなくタイツに足の指を描いて踊ったほどでした。

 

 (タマラ・カルサーヴィナ(1885年 - 1978年))

 

 バレエ・リュスのバレリーナ、タマラ・カルサーヴィナもまた

1904年のイサドラの公演を観ています。

カルサーヴィナの感想は、世の中の動向も把握しながら、

冷静に新しい芸術を受け入れる度量のある、理性的なものです。

 

 「イサドラは、瞬く間にペテルブルグの劇場世界を制覇した。

もちろん保守的なバレエ愛好家たちもいて、彼らにとっては裸足の舞踊家などというのは芸術の第一原則である神聖にも反する事だった。けれどもこうした考えは一般の意見とはおよそかけ離れたもので、目新しさを求める雰囲気が人々の間にはあった。

初めて彼女の踊りを観た私は完全に制服されてしまったのを覚えている。彼女の芸術と私たちの芸術との間にはほんのわずかな敬意も感じられなかった。互いの領域にとって有益となる余地のようなものが感じられて、相互に学べば多大な効果が得られるだろうと思われた」

 

 

 イサドラ・ダンカン本人が踊るダンスがどのようなものだったのか

今ではそれを残す映像は、隠し撮りされたごく短い断片しか残っていません。

URL: youtu.be

 けれども、今もイサドラに触発されて後世に作られたバレエ作品が

生まれ続けています。

 

URL: youtu.be

フレデリック・アシュトン振付

「イサドラ・ダンカン風のブラームスの5つのワルツ」

 

 


参考文献:

「踊るヴィーナス イサドラ・ダンカンの生涯」 フレドリカ・ブレア著

「ニジンスキー頌」市川雅 編

「バレエの魅力」マーゴ・フォンテーン著

「バレエヒストリー」芳賀直子著